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箸休めのような人生
今日のおすすめの一冊は、『60代からもっと人生を楽しむ人、ムダに生きる人』(PHP研究所)です。その中から、宇野千代氏の「まず面白がること」という題でブログを書きました。
本書の中に、阿川佐和子さんの「箸休めのような人生」という心に響く文章がありました。
エッセイストの三宮麻由子(さんのみやまゆこ)さんの『鳥が教えてくれた空』という本の中で出会った言葉が、「箸休めのような人生」。
この言葉に触れた時、涙がこぼれました。 そもそも私は、いつまでたってもメインデイッシュにはなれない人間です。ひょんなことからテレビの世界に入ったものの、いつまでも腰掛け気分で怒られてばかり。
たまたま父の悪口を書いたのが面白いからと、エッセイを書かせていただくことになりましたが、「何書きゃいいの?」。 こんな言い方は生意気だしおこがましいのですが、インタビュアーも司会者も得意でもないし大好きってわけじゃない。
「夢は? 目標は?」「専門は何ですか?」と聞かれるたびに身の縮む思いばかりしてきたのです。才能もない、やりたいこともない。なんだか不安で、居場所がなくて...。 そんな時に出合ったのが、三宮さんの言葉だったのです。
メインディッシュになれなくたって、箸休めになれればいいじゃない。「あなたがいてくれてホッとした」 「あなたの文章を読んだら、笑って気持ちが軽くなった」 そんなふうに思ってもらえたら幸せ。こう考えるようになってから、迷いが吹っ切れた気がします。
とはいえ、グチっぽいのは相変わらずです。『週刊文春』で連載しているインタビューは、もう十八年目に入りました。それなのに、いまだに出かける前は、「行きたくないよぉ」 「イヤだなぁ。今日会う人、テレビで観たら恐そうな感じだし」「だいたい私、インタビューなんか得意じゃないもん」とまで言い出す始末。
それでもなんとかエイッと出かけられるのは、いい言葉やステキな言葉が聞けるから。きっとそこにも私がすがる藁があると思えるからなんでしょうね。
◆箸休めとは元々は日本料理のコースの中で、口のなかをさっぱりさせたり、気分を転換させるような小皿料理のことを指す。それは、たとえば「酢の物」や「おひたし」、「漬物」などの一品。メインの料理を引き立たせるための、付け合わせの小皿や小鉢のこと。
「箸休めのような人生」もまた素敵だ。
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