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悪口を言われたとき

今日のおすすめの一冊は、ひろさちや氏の『捨てちゃえ、捨てちゃえ』(PHP研究所)です。その中から「むやみに奇跡を願わないほうがよい」という題でブログを書きました。

本書の中に「悪口を言われたとき」というお釈迦さまの話です。

あるとき、釈迦はひとりのバラモンからさんざんに罵詈雑言をあびせかけられた。 わたしたちは、釈迦は偉い人であって、他人から非難されるようなことはなかった、と思っている。 しかし、それは誤解である。 釈迦のような人でも、ときには非難攻撃を受けるのだ。
だから、わたしたちが他人から非難攻撃されたとき、その故をもって悲観してはいけない。 どんな人だって、他人から悪口を言われ、攻撃されるのだということを、しっかり銘記しておきたい。 問題は、その非難攻撃に対する、こちらの応じ方である。
釈迦は、罵詈雑言をあびせるバラモンに向って、こう言った。 「バラモンよ、きみのところに客がやって来て、きみがその客に食べ物を出す。 しかし、その客がその食べ物を受けなければ、その食べ物は誰のものになるか…」 「そりゃあ、もちろん、客人が食事を受けなければ、その食事は主人のものになる」 「では、バラモンよ、わたしはきみの罵詈雑言を受けない。 だから、その悪口はきみのものだ」
私たちは、この釈迦の態度に学ぶべきだ。 もっとも、自分に悪口を言っている相手に、釈迦と同じ言葉を返す必要はない。 そんなことをすると、かえって逆効果になり、喧嘩になる。 わたしたちは、釈迦は相手の悪口を受け取らないようにされたのだと知って、 自分もまた自分に向けられた非難・悪口を受け取らないようにすればいい。 うすれば、自然に静かになるだろう。 そういう解決法がいいと思う。

「天に唾(つば)する」という言葉があります。 天に向って唾を吐けば、自分の顔にかかってきます。 人のことを非難攻撃したら、いつかそれがそっくりそのまま自分に返ってくる、ということです。

非難攻撃は怒りと一緒で、相手を病気にするくらいの強い悪のパワーを持っています。 だからこそ、悪口を受け取らないことが肝要です。

「風疎竹(そちく)に来る 風過ぎて竹に声を留めず」という禅語があります。 風が竹林にサーと吹くと、竹林はザワザワと騒がしいものです。 しかし、一旦風がおさまると、竹林はうそのように静寂になります。 留めない、こだわらない、執着しない、ということです。

どんなに非難されようと、こちらがそれに反応しなければ相手はそれを持って帰るしかありませんから。

今日のブログはこちらから☞人の心に灯をともす


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