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自分が「光っている人」になる

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『ありがとうの奇跡』(ダイヤモンド社)です。その中から「一隅を照らす人(元旦によせて)」という題でブログを書きました。

本書の中に『自分が「光っている人」になる』という心に響く一節がありました。

【自分が「光っている人」になれば、明るい人が集まってくる】
おもしろいことに、人に対して「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。 「世の中のここが悪いじゃないか、ここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」 と言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。「暗い社会じゃないか」と言っている人ほど、本人が暗い。社会を勝手に評価・論評し、問題点を指摘している人ほど、 「暗くなっている」ように私には見えます。
「世の中を暗い暗いと嘆くより みずから光ってその闇照らせ」 これは、私が、自分自身に言い聞かせている言葉です。 その人が「光」だったら、その人のまわりには闇はないでしょう。論評する暇があ ったら、まず、自分が「光」になることです。
「自分がどう光るか」を考えるといい。 世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけてい るのかもしれません。早くそれに気づくことです。
「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向へ、「明かり (火)」が発している様子が元になった象形文字です。 「光」がどういう人の頭から発しているのかというと、「明るい人」の頭から発しています。真っ暗闇の中で「明るい言葉を発する人」と、「愚痴や泣き言ばかり言っている人」を比べてみると、光り方が違います。
明るい言葉を言っている人は、頭から光を発しているようです。 ニッコリ笑って「ありがとう」と言うと、ぼうっと、あたりが明るくなったような気がします。
「観光」という言葉があります。この言葉は、海や山のような景勝地へ行くときに用 いられます。観光の語源は、中国の『易経』といわれていますが、私は「仏像などから出ている光を観る」という意味で用いられていたと考えています。 仏画にはよく「後光」が描かれていますが、昔は仏像の光を観るために、各地の神社や仏閣をまわった人もいたようです。
「光」の元になっているのが、「人」というのは、すごいことです。そして、光を発し ている人のことを、「明るい」と呼んだ。 古代の人は、「光を発している明るい人」と、「光を吸収する暗い人」を見分けることができたらしい。「陰気な人」のことを「暗い人」と表現したのは、その人が「光」を発していなかったからでしょう。

「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的 な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで、光を発するので「明るい」。 そしてその光は、暗い人を照らして明るくするのです。 「光」とは、「人」が光ることによって、まわりの人や環境を、明るく照らしてあげることです。光を発している人のまわりには「明るい人」が集まり、明るさを宇宙に投げかけているようです。

本日は元旦。新しい年が始まりました。明るい未来がいよいよやってきます。「自らが光っている人」をめざし、今年も頑張りたいと思います。

今年もどうか宜しくお願い致します。

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