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「あきらめる」とは
今日のおすすめの一冊は、五木寛之氏の『あなたの人生を、誰かと比べなくてもいい』(PHP研究所)です。その中から「風のように、軽やかに生きる」という題でブログを書きました。
本書の中に『「あきらめる」とは』という心に響く文章がありました。
西洋の考え方と東洋の考え方は、ずいぶん異なるものだと感心してしまうことがあります。たとえば、病気に対する考え方です。
ヨーロッパの医学では、病気とはそのほとんどが外からやってくる「侵入者」であり、「治療」も、まず病気と闘い、克服することが目標とされます。こうした考え方は、社会の土台にあるキリスト教的世界観―神と悪魔は全力を挙げて戦い、神(善)が悪魔(悪)を打ち破るからきているように思います。
一方東洋では、病気は外からやってきた何かによって引き起こされるだけではなく、人間内部の心身の調和が乱れて生ずるのだと考えます。特に仏教では、「四百四病はもともと人の内部に存在するもの」と教えています。病気ひとつとっても、まさに逆からの捉え方でしょう。
現代の日本では、医学も西洋医学が主流ですから、病は克服するものという立場にあろうかと思います。その背景には、西洋近代の人間万能主義がありますが、しかしここで私はやはり限界を感じずにはいられないのです。
何度もお話ししてきましたが、人間とは「死のキャリア」です。どんなに病気と闘い克服し続けても、必ず誰もが死ぬ…必ず「敗れる」存在です。その大切な真実をみてみぬふりをしてはいけない。
無限のいのちなどないという事実を、私たちはしっかりと認め受け入れなければならないのです。私はこれを「あきらめる」ということだと思っています。「あきらめる」というと、受け身で弱々しいことのように思われてしまうかもしれませんが、私はそうは考えません。
「あきらめる」とは「明らかに究める」ということです。勇気をもって真実を見つめ、それを認めることが「あきらめる」ということだと思うのです。繰り返しますが、私たちは自分のいのちが有限である事実を認め、受け入れる必要があるということです。
《「あきらめる」は明らかに究めること》
◆枡野俊明氏の『競争からちょっと離れると、人生はうまくいく/三笠書房』の中に、「あきらめる」についての文章があった。
「あきらめる」とは、ギブアップするのではありません。うまく「手放す」のです。「勝ちたい」「負けたくない」という思いをいったんあきらめる。少しのあいだ脇に置いてみる。ちょっとそこから離れてみる。すると、必ず、気づくこと、見えてくるものがあるはずです。
道元禅師の言葉に、「放てば手にみてり」というものがあります。欲や執着を手放したとき、本当に大切なものが手に入る、ということです。
「あきらめる」とは、欲や執着を手放すこと。人生において、ときに「あきらめる」ことはとても大事だ。
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