アル・カポネの正義
今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『この世の悩みがゼロになる』です。この中から、「腹を立ててみせるという方法論」というテーマで書いてみました。
小林正観さんは、「100人いたらほぼ100人が、怒ったりイライラしてしまったりするようなときであっても、ニコニコしていられるか、穏やかでいられるかが、その人の本当の価値を決める」といいます。
なぜなら、「怒らせる人も」「イライラさせる人」もいないからです。なぜなら、同じことを言われても、ある人は頭にきたり怒ったりするけど、別のある人はまったく怒らないし、なんともないということがあるからです。
小林正観さんは、「現象そのものに色はついていない」といいます。たとえば自転車に乗っていて転んでケガをしたというとき、ある人は「まったくツイてない、最悪だ」といい、別のある人は「この程度で済んでよかった、ラッキー」と。つまり、現象そのものをどう捉えるかで、幸不幸が決まってしまうということです。これは、腹を立てることや怒ることと、まったく同じなんですね。
とはいえ、すぐに怒ったり、イライラしたりしてしまうのが凡人の悲しさです。そんなとき、自分は「正義中毒」になっていないかチェックする必要があります。
「正義中毒」になっている人は、怒ってしまったあと「ねえ、私って間違ってないよね」とまわりに同意を求めたりします。「向こうが間違っている、だから私が怒るのは正当だ」という立派な正義中毒です。また、「普段怒らない私がこれだけ怒るのだから、相当向こうはひどい」なんていったりします。
正義を振りかざして、たとえ相手を屈服させたとしても、相手に恨みや、敵対心が残るだけです。100人いれば、100人の正義があります。アメリカの禁酒法時代のギャング、アル・カポネでさえ「おれは働き盛りの大半を、世のため人のためにつくしてきた。ところが、どうだ…おれの得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ」と、嘆いたそうですから。
「カポネほどの極悪人でも、自分では悪人だと思っていなかった。それどころか、自分は慈善家だと大真面目で考えていた」(ディールカーネギー)といいます。
だから、怒って相手を、屈服させよう、謝らせよう、従わせよう、なんて考えてもムダだということです。
つまり、いくら怒っても相手は変わりません。怒るのってホント、あとでドッと疲れがきますからね。怒りそうになったら、アル・カポネのことを思い出すといいかも、です(笑)
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