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執着を手放すということ

今日のおすすめの一冊は、松島龍戒氏の『嫌なことがスーッと消える ほとけさまの話』(徳間書店)です。その中から「念を入れて生きるとは」という題でブログを書きました。

本書の中の話ではありませんが、「ほとけ」についての小林正観さんの話があったのでシェアします。

執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。
ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。
「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります。超能力の立場からしても、「こうでなきゃイヤだ」と思ったときは脳波がβ(ベータ)波になって、15%の力でしか、ものを克服することができませんし、実力でしか表現することができません。一方、「こうなるとうれしい」「こうなると楽しい」「こうなると幸せだ」と思ったときは脳波がα波になり、不思議な力(85%の潜在能力)が助けてくれます。
超能力的な解決方法とでもいうのでしょうか。そういう力が、どこからか支援してくれるのです。こういう考え方もぜひ覚えておいてください。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときは、「やだ」か「ゼロ」しか待っていません。例えば、「明日晴れなきゃ、やだ」と思ったときには、晴れないと(つまり、雨や曇りだと)、「やだ」なのです。晴れて当たり前ですから、それが「ゼロ」になります。「やだ」か「ゼロ」、「マイナス」か「ゼロ」しか待っていません。
一方、「明日晴れたらうれしい」と思ったとしましょう。晴れなくても、雨でも曇りでも「ゼロ」です。「晴れたらうれしい」のですから、晴れたときにはその分「プラス」になります。「プラス」か「ゼロ」しか待っていません。「晴れたら楽しい」と思ったときには、「ゼロ」か「楽しい」しか待っていないのです。そういう、ほんの少しの考え方の違いで、未来に待ち受けているものが、完璧に違うのです。
いろいろなものを、「こうでなけイヤだ」「どうしてもこうなってほしい、こうあってほしい」と思うことが執着。その執着はほとんど自らの手でむんずとつかんでいるところから始まっています。ちょっと見方を変えて、そのつかんでいる手を放してみたらどうでしょうか。『この世の悩みがゼロになる』(大和書房)

経営学者の飯田史彦氏は、経営学の見方から、「生まれ変わり」について述べています。「生まれ変わり」など絶対にない、怪しい考え方だと思っている人が、亡くなったとき、「あの世があった」としたら、がっかりして、「マイナス」な気持ちになります。そして、もし、「あの世がなかった」としても、何もないのだからプラスもマイナスもない、「ゼロ」の状態です。

反対に、「生まれ変わり」があったら楽しいなと思っている人が、亡くなってあの世に行ったとき、「あの世があった」としたら、思った通りだとうれしくなり、その分「プラス」になります。もし、「あの世がなかった」としても、ないのだから、「ゼロ」です。だから、「生まれ変わり」を信じた方が得だ、という考え方です。

この世における「執着」も同じです。絶対にこうでなければイヤ、と思う気持ちを捨てることです。「そうであったら楽しいな、でもそうならなくても大丈夫」と執着しないことです。見方を変えて、執着を手放したいものです。

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