謙虚さを失うとき
今日のおすすめの一冊は、渡辺和子氏の『どんな時でも人は笑顔になれる』(PHP研究所)です。その中から「神様のポケット」という題でブログを書きました。
本書の中に「謙虚さを失うとき」という心に響く一節がありました。
仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」。「苦」とは苦しいということではなく、思い通りにならないことを言う。つまり、人生とは思い通りにならないことを知ることから始まる。何故「苦」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべてがうつり変わるから。
人生は思い通りにならないことの連続だ。逆に、もし人生が思い通りになることの連続だとしたら、我々は、あっという間に謙虚さを失い、鼻持ちならない傲慢な人間となるだろう。
お金は思うままにいくらでも手に入り、金で買えないものはないとばかり、豪邸も豪華な生活も思いのまま、そして、誰でも頭を下げてきて自分に従う、となったらどんな人間でも、思いあがり、慢心してしまう。
分際(ぶんざい)とは、「身のほど」ということ。「身のほどをわきまえろ」というような言葉は、現代では死語のようになっているが、分(ぶ)をわきまえるとも言い、本来は、謙虚さを失わないということであり、自分中心にならない、我を張らないということでもある。
曽野綾子さんは「不条理だからこそ世の中である」と言う。つまり、ままならないからこそ人生なのだ。ままならない人生を、淡々と笑顔で受け止めて生きていきたい。
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