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「ライオンなんかに負けない~馬もおだてりゃ筆を持つ~」

あれは3年前、2018年の夏…。ガン検診で異常がみつかり、再検査の通知が届いた。もしかしたら自分は長くは生きられないのかもしれない…。仕事が充実しているわけでもないし、結局、結婚もできなかったな…。つまり出産、育児も経験できないまま、近い将来、死んでしまうかもしれない…。

仕事で何か実績を残せていたら、別に結婚なんてできなくても悲観せずに済んだし、仕事が順調でないとしても、普通に結婚できて子どもがいたら幸せだったかもしれない。私はそのどちらもうまくいっていなかった。

自分には何もなかった。このまま何も残せないまま自分の人生が終わってしまったら、自分は何のために生まれてきたんだろう。空っぽの人生のまま、終わるのはイヤだな…。そう思った私は、自分に何ができるだろうと考え始めた。

仕事で国語と接しているから、文章を読んだり書いたりすることは得意な方かもしれない。むしろ自分にはそれくらいしかできそうにない。とりあえず、何か書いてみよう。そうだ、地元の新聞の投書コーナーに投稿してみよう。

そして2018年秋、一編のエッセイを投稿してみると、間もなく、新聞社の方から電話がかかってきた。
私の母も新聞に投書するのが趣味で、エッセイの中でその母について触れたら、
「近いうちに掲載します。ところで母ってどなたですか?」
という流れで、その新聞社の人と電話越しに少しばかり話し込むことになった。話を聞けば、その方は母の投書も担当したことのある人だった。
「母を見習ってというわけではないんですが、何か書きたいと思っていて…。」
そんなことを話したら、

「これだけ書ければ何かもっと書けるんじゃないですか?」

とお世辞だとしても新聞社の方から文章を褒められて悪い気はしなかった。
「そうですね…いつか本、作りたいと思ってます。」
と何気なく、一言つぶやいてみたところ、

「本ね、本なんて、簡単に作れますよ。お金さえ出せば、自分で作るのは簡単です。私も自分で本は作りましたから…。」

というように、ほとんど思いつきのように何の気なく発した一言に対して、真剣な返答をいただき、その瞬間、「そうだな…お金貯めて、本気で本を作ろう。本を作れるようにこれから何かたくさん書こう。」その新聞社の人との会話をきっかけに初めて自分の夢をみつけてしまった。「物書きになって、本を作ること」を最初で最後の夢にしようと。

幼い頃から、夢なんてほとんど持ったことがなくて、妙に冷めた人間だった。どうせ自分なんてがんばったところで報われるわけないと努力すること自体避けていた。自分ができること、やるべきことだけこつこつこなして、例えば子どもならよく言う「アイドルになりたい」とか「プロスポーツ選手になりたい」とか、非現実的な夢は最初から考えないようにしていた。どうせ自分はそんな夢を描いたところで、叶えられるわけがないから…。もっともアイドルやスポーツ選手になりたいとは思ったこともなかったけれど。しいて言えば「おもちゃやさん」になりたかった。単純におもちゃで遊ぶことが好きだったから。小学生の頃の将来の夢は「自分に合った仕事を自分で作る」という夢だったので、それは今考えている「自分には文章を書くことが合っているから、物書きになりたい」という夢と同等と言える。ある意味、小学生の頃に思いついた具体性のない漠然とした夢を今さら叶えようとしているのかもしれない。

中学生になり、中二病真っ只中の私は、書くことで自己主張し、大人や社会に対して反抗心を伝えられるようになった。優等生ぶっていたけれど、内心、気の合わない同級生や尊敬できない先生方に囲まれて、鬱屈とした日々を送っていた。他人は信じられなくなっていた。でもそのおかげで「詩を書くこと」を覚えた。

卒業文集に載せたその詩は、その尊敬できない嫌いな先生から褒められた。

書くことを覚えた私は、高校生になると文芸部に入った。中学とは一転、高校は素敵な同級生たち、尊敬できる先生方に囲まれて、平穏に過ごせるようになったせいか、反抗心ではなく、自然の美しさや人のやさしさを感じられる詩を書くようになっていた。しかしまだ人を信じることに慣れていなかった私は、根暗な生徒としてひっそり文芸活動をしていた。

けれど尊敬できる国語の先生から読書感想文を褒められ、文化祭で文芸部の活動を見に来てくれた人たちから認められるようになると、書くことがもっと好きになった。やっぱり自分にはこれしかないかもしれないと思った。写真を撮っては詩を綴り、詩を綴っては写真を撮っていた。当時の私は、詩を書くことと写真を撮ることがセットでそれが自分の創作活動の原点だった。(今ではnoteで同じような創作活動をしている。)

「このまま詩人になれたら」なんて思った時期もあったけれど、詩だけで食べていけるほど、詩の才能があるわけでもなく、それこそ子どもの頃に考えもしなかった、「アイドルになりたい」とか「スポーツ選手になりたい」と「詩人になりたい」は似たような非現実的な夢だから、その夢は叶えたいと努力することもないまま、高校卒業後、どんどん縮小し、小さくしぼんでいった。

大学生になり、ロック音楽に目覚めた私は、文芸活動をやめ、とあるバンドの追っかけをしていた。しかしその追っかけで書くことから全然離れたわけではなく、例えば音楽誌の読者ハガキに感想を書いて、ほしいプレゼントをゲットしたり、当選率は悪くなかったので、推し活動するにも書くことは役立ったなと思っている。

その推し活動の延長線上とも言えるのだが、通っていた大学で童話賞が開設され、その童話賞にその好きなアーティストの楽曲からイメージした童話を書き応募してみたところ、入賞し、入賞作品をまとめた一冊の本の中に収めてもらった。もちろん歌詞を引用したわけではないし、どの楽曲からイメージしたのかは、誰も気づかないと思う。その好きな音楽からイメージを広げて、何かを書くという手法は本格的に書くようになって以来、よく使っているので、大学生の時、あの童話を書いて良かったなと思っている。大学生の頃に文芸から離れて、音楽に没頭して結果的に良かったなと…。

時代のせいにはしたくないけれど、当時は就職氷河期だったらしい。しかも自分は積極性があるわけでもなく、努力型人間でもないので、結局就職できないまま、唯一受かった在宅で中学国語の添削指導をする仕事を1年契約で始めることになった。その契約を更新し続けること、今年で16年…。何年もひたすら中学国語だけと触れ合っていたら、中学国語の教科書に掲載されるような小説なら、書けるんじゃないかと思えるようになった。

その矢先、検診でひっかかり、自分の人生を見つめ直し、新聞社の方からもらった一言、「もっと何か書けるんじゃないですか?本なんて簡単に作れますよ。」という社交辞令におだてられて、邁進すること3年…。まだほとんど結果を残せないまま、とりあえず書くことだけは続けられている。

少し話は脱線してしまうけれど、小学生の頃のあだ名が「馬」だったので、「馬もおだてりゃ筆を持つ」と言ったところだろうか。勘違いでもいいから、モチベーションを上げるために「何か自分にしか書けないものがあるはずだ」と思い込んで、数だけはこなしている。

大学生の頃、たった一編仕上げるのに、何週間もかかった童話は、今となってはアイディアさえまとまっていれば、2時間程度で書けるようになったし、物書きを始めたおかげで、タイピングのスピードも速くなった。(つい最近は5時間で16000字以上書けた。)しかし、そこに中身は伴っていない…。文章を書く速さだけなら、そこそこ自信あっても、人に感銘を与えられるような芯の通った内容を書けているわけではないので、結局まだ、自己満足の域から出られないのだろう。

中学生の頃、苦手で嫌いな人たちに囲まれていたおかげで、詩を書くことを覚えたので、二度と戻りたくはない苦しい時期だったけど、あの時間があって良かったと思う。高校生の頃、文芸部に入って良かったし、尊敬できる国語の先生と出会えて良かった。そして大学生の頃、音楽にハマって本当に良かった。少し文芸から逸れたおかげで、音楽と文章を融合させる手法が身についたから。

それから仕方なく、あまりお金にはならない今の仕事を辞めずに続けて良かったと思う。中学生向けの小説のコツなどを覚えることができたから。

その仕事をしている間、家庭でいざこざが耐えなくて良かったとも思う。成人して以降、診断された発達障害の妹がいるおかげで、社会から疎外されて生きているような家庭でひっそり暮らしていたので、妹からの暴言だけでなく、妹に関わる社会的立場の強い人たちから、散々家族も悪いと罵倒され続ける日常を過ごしていた。たしかに私たち家族も悪いのかもしれない。けれどその注意してくるお偉いさんたちは、こういう発達障害の人と同居したこともないから、過酷さも分からないまま、ただ偉そうに言いたいことを言ってくる。ずっと悔しいと思っていた。いつか見返してやりたいとも思っていた。そこで「ペンは剣よりも強し」。体力も権力もある社会的に優位な人たちとまともに張り合っても勝てるわけがない。私は、自分の特技、書く力で、妹が発達障害という病気で社会に迷惑を掛ける度に妹の代わりに頭を下げる家族の代表として、溜め込んだ悔しい思いを、ペンを使って吐露することに決めた。

「ライオンはね、わざと子どもたちを谷へ落とすんだよ。あなたたちは甘いんだよ。」

「もしも自分の子どもだったら、私だったらとっくに首絞めてるかもしれない。よく面倒見てるね。」

なんてうちの家庭を馬鹿にするような発言ばかりしてきた人たちを私は、物書きになって見返してやりたい。言ってはいけないようなことまで、平然とした口調で言ってくる、それこそライオンみたいなお偉いさんたちをぎゃふんと言わせたい。

そんな鬱憤が積もりに積もっていた時期に、検診でひっかかって良かった。おかげで、本気で書くことに目覚めたから…。

夢らしい夢を持ったことがなく、夢を叶えるための努力も知らない人間なので、まだ手探り状態ではあるけれど、時間のある限り、書き続けている。それは、初めて叶えたいと思える夢を追っかけるという行為で、大学生の頃にバンドの推し活動をしていたことに似ているかもしれない。「物書きになって、本を作りたい」なんて非現実的かもしれない。けれど、今はその非現実的な推し活動がとても楽しい。

この夢が叶ったら、自分のこれまでの人生すべてをひっくるめて肯定できる。闇の中学時代も、就職、結婚、子どもができなかったことも、妹が病気のおかげで家族が肩身の狭い思いをして惨めに暮らしている今も、全部きっと肯定できる。自分の人生を少しでも肯定してからこの世から去りたくて、今さら夢を追い続けている。

「もっと何か書けるんじゃないですか?本なんて簡単に作れますよ。」

と言うエールをもらってちょうど3年が過ぎた今年の秋。今年目標にしていた詩、童話、短編小説、児童文学などはすべて応募完了したので、来年に向けて新たな物語を書き始めようとしている。応募したところで、賞はおろか、なかなか一次審査さえ通らない。でも、書けるうちは諦めずに書き続けようと思う。「やっと本を作ることができまた。」と、今はもう退職されてしまったけれど、エールをくれた新聞社の方にいつか報告したいから…。

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