見出し画像

<BUMP OF CHICKENだからこそ紡げた魔法のアルバム>聞いたら見えた『aurora arc』見たら聞こえた音楽体験記

※2019年8月14日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。上限1万字の壁につまずき、改行等できなかった長編です。なので読みづらいかもしれません。

<太陽が忘れた路地裏>「流れ星の正体」が一切なく、どこでもいいから太陽が忘れてくれる場所があったらいいのにと思えるほどの暑さの中、8月1日の正午、私は仙台GIGSの物販列に並んでいた。「BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark」のツアーグッズを買うためだけにとうとう来てしまった。宮城に住んでいるとは言え、仙台GIGSの最寄駅である地下鉄荒井駅にさえ来たことがなかった。2015年に開通した地下鉄東西線自体、初めて乗車した。たまたま羽生結弦モニュメント設置記念地下鉄一日乗車券を所有しており、バンプのチケットが当選したら、必ず地下鉄を利用するから、この日絶対使おうと思って取っておいたその乗車券をいよいよ使う日が来たのだった。利用日だけ印字されるから、記念になる。バンプが仙台に来てくれたその記念日を何かに刻みたかったのかもしれない。仙台GIGSは海が近い。グーグルマップによると深沼海水浴場まで車で10分の場所に位置している。海風は心地良いけれど、30℃超えの晴れ渡った真夏の正午はさすがにきつい。うなだれるという表現がしっくりする中、みんな暑いはずなのに、やたら楽しそうに列に並んでいた。楽しくないはずがない。バンプの楽曲が途切れることなく、流れていたし、中には一緒に歌っている子たちもいた。チケットを取り出して、確認している人もいた。多くの人たちがすでにツアーグッズを身に付けていて、リアルな見本として、宣伝効果抜群の状態だった。私も本当はパンフレットだけを買う予定だったのに、1時間近く並んでいるうちに、グッズをオシャレに使いこなしている周囲の人たちに感化されて、購入意欲がそそられ、ついつい他の小物類も買ってしまった。これが通販だったら、決めた物しか買わずに済んだかもしれないけれど、やっぱりライブ会場に直接足を運んでしまうと、こういうことが起きるから、財布には悪いけれど、楽しいなって思ってしまう。昨日と今日、バンプのメンバーがここにいるなんて、ライブを見られなくても、それだけで、ワクワクしてしまう。参戦できないのに、チケットを所持している人と同じように、ドキドキしてしまう。設置されているフォトスポットやフラッグを記念撮影しつつ、半分くらいはライブに参戦したつもりで、会場を後にした。はっきり言って、暑過ぎて、長居をする体力はなかった。多くのファンと同じ空気を吸って、高揚感を分けてもらって、物欲を満たして、こんなに暑い中、汗だくになりながら仕事をしているスタッフさんたちおつかれさまって思いながら、そしてバンプの皆様、来てくれてありがとうって感謝しながら、1時間ほどで帰宅の途についた。前日、仕事を終えてから、仙台に来て、バンプの仙台ライブが開演した頃から終演する頃まで、友人と過ごして、暑さのせいか楽しみなせいか浅い眠りのまま、朝になって、当然のごとくアルバム『aurora arc』を聞いて眠気を覚まして、気合を入れて、正午前には仙台GIGSに到着した。2日目のライブが開演する頃にはすでに家に戻っていた。ここ2日間、美しい夕焼けだった。見上げた空にはピンク色の雲がまるでオーロラのようにたなびいていた。ただの夕焼け雲に過ぎないはずなのに、きっとライブのことばかり考えていたせいだろう、オーロラに劣らないくらい美しいと思えた。ちょうど運転中で、もちろん車の中でも『aurora arc』を聞いている最中だった。そこは仙台でもないし、距離を考えれば完全に会場から離れてしまっていたけれど、気持ちはライブに参戦しているつもりで、自分なりに楽しい時間を過ごすことができた。ライブに参戦できた人たちはもちろん、参戦できなかった多くの人たちと同じように、バンプのことだけを考えながら、心を潤すことができた2日間はあっという間に過ぎてしまった。
ここまでは前置きで、CDを聞けば聞くほど伝えたい気持ちが増えていく一方なので、思ったこと、思い出したことを綴りたいと思う。
(※前置き自体もこの長さなので、すでにお気付きかもしれないが、上限の1万字程度で書いているため、ここから相当長くなることをご理解いただきたい。)
<誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら 生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう>「流れ星の正体」
まさにこんな状態が続いていて、心がざわざわしっぱなしだ。
アルバムが発売されて1ヶ月ほど経過した。まだ1ヶ月なのかと思えるくらい、もうずっと長年聞いていると思えるほど、私の生活に浸透している。運転中は常に聞いているし、たぶん少なく計算しても、2日間かけて「aurora arc」から隠しトラックまで通して聞いている。遠出した時なんかは1日で3周くらい聞く時もあるし、日によって変わるけれど、とにかく生活に馴染んでいて、日常に溶け込んでいる。机の上にスマホスタンドを置いているのだが、CDを購入して以来、そこはスマホではなく、歌詞カードを置く場所に変わってしまった。聞いていると、歌詞を確認したくなって、側に置いておきたくなったため、試しにスマホスタンドに置いてみたら、妙にしっくりして、歌詞カードの定位置になってしまった。おかげで、スマホを置く場所に困っているのだけれど、歌詞カード自体、キレイ過ぎて、インテリアとしても気に入っている。ROCKIN’ON JAPAN vol.510(※以下インタビューに関してはほぼこの号を参照した)において藤くんがインタビューの最後で、「ブックレットがまじで良くって。」と言っていた意味がよく分かった。歌詞カード自体、ミニツアーパンフレットとでも言えるくらい高クオリティで、バンプに興味なくて、聞きたいと思えない人でも、とりあえずこの歌詞カードを美術館で絵画鑑賞するように見たらいいよってお勧めしたくなるくらい、写真もデザインも素晴らしい。表紙のロゴはシルバーの箔押し加工で見た目も触り心地も抜群だし、何かプレゼントに困った時は、このCDをプレゼントしたらいいんじゃないかとも思っている。一家に1枚、このCDがあれば、たとえ何か苦しいこととか嫌なことがあっても、心穏やかに暮らせるんじゃないかと思えるほど、バンプならではの不思議な魔法の力が詰まった、最強のアルバムに仕上がっている。家庭に置いてなくても、学校や職場でもいいから、このアルバムを聞く時間が共有されれば、ギスギスした人間関係とか、解決できない悩み事が緩和される気がする。
何かで読んだ話だが、貧困国の支援をしている団体が、食糧や物だけを与えるだけでは、本当の意味で幸せにしてあげることはできない、たとえ支援物資が十分ではなくとも、愛情を注げば、貧しい国の子どもたちを幸せにできるという話を知って、『aurora arc』にはそういう形ない見えない幸せを与えてくれる力が備わっている気がした。実際、このアルバムが発売された時、給料日前で、あまり趣味にお金をかけられない状況の中、私は食べ物よりもCDを優先してしまった。発売日前日にいわゆるフラゲをし、おなかは満腹じゃなくても、心は完全に満たされた。たいへんな時はパンよりも本が大事とかって聞いたことがある。『aurora arc』はまさにそれ。無人島に持って行けるものを厳選しないといけない時は間違いなく持って行く生きるうえで必須アイテムだ。
ここから、どの辺が最強かということを具体的に見ていきたい。
まずひとつ言えることは、私にとってイントロでインストの「aurora arc」から、隠しトラックまで、1曲も早送りしたい曲は存在しない。すべて神がかった楽曲で、曲順もぴったりで、特に「流れ星の正体」から隠しトラックの流れは個人的に好き過ぎて、恒例の隠しトラックではあるけれど、1番好きな隠しトラックになった。「魔法の料理~君から君へ~」みたいに、みんなのうたで採用されてもいいんじゃないかと思えるほど、なかなか奥が深い楽曲だと思う。バンプにあまり詳しくない友人に今回のアルバムを通して聞いてもらったところ、最後の曲って何?なんか違うくない?と首をかしげられてしまったけれど、私としては孤独とは何か、ひとりとは何のためにあるのかということを考えさせられる最強の隠しトラックになったと思っている。明るい曲調の中で、孤独を歌っているからこそ、趣があるし、泣ける。
いきなり、ラストの楽曲の話になってしまったので、ここからは順番通り、最初の曲から見ていくことにする。
「aurora arc」…せつなくて、儚いイメージ、でも希望がある、もっと長く聞いていたくなる余韻の残るインスト。刻まれるリズムからはオーロラが揺らめいているイメージがした。
「月虹」…コード進行が目まぐるしく変わる部分が、最高。
<耳と目が記憶を 掴めなくなっても 生きるこの体が 教えてくれる>という転調した部分が、温かくて柔らかくて、はっとさせられた。認知症で、あまり誰のことも分からなくなってしまった祖母を思い出した。娘たちのことも、孫のことも、自分のことさえ記憶の中に残っていない様子だけれど、今も体は生きているから、孫として、記憶なんてどうでもいいから、長生きしてほしいと思っている。
<何も要らない だってもう何も持てない あまりにこの空っぽが 大き過ぎるから>というフレーズも考えさせられた。そっか、喪失感が大きい時って、たしかに何も心に入って来ないことがある。虚しさとか悲しみで心が震えた後の空っぽの時って、無が心で溢れているから、何も受け付けられないんだなと気付いた。例えば失恋の時とか、誰かを亡くした時とか。ラスト、ピアノの音で終わるところも締りがあってステキ。
「Aurora」…この楽曲については、すでに音楽文で長々と書いてしまっているため、歌詞についてはあえて触れないが、メロディに関して、思い起こせば最初にドラマの中で聞いた時は、良さは分かるけれど、でも自分としては「ray」や「アリア」のようなキラキラチューンには敵わないかもしれないと思っていたのが、百回以上聞いた今となっては、おそらくそれらの曲以上に惹きつけられるメロディと思えるようになったから、不思議な楽曲だ。高音でファルセットが使われている部分なんて、好き過ぎて鳥肌が立つ。
「記念撮影」…<昨日と似たような繰り返しの普通に 少しずつこっそり時間削られた>という<終わる魔法>について。終わりって気付かないうちに迎えていることが多くて、例えば中高生の頃、文通が流行っていて、たくさんの人と文通をしていたけれど、最後に出したのはいつだったっけとか、私が出さなくなったのか、それとも相手から来なくなったのかそれさえも覚えていなくて、似たような日々の繰り返しのはずが、今となっては全然違う生活を送っているわけで、その時間が変化した境目っていつだったんだろうって時々思う。似たような時間が実は少しずつ変化していて、いつの間にか過去とまったく違う時間になっているから、不思議。だから今を大切にしたい。いつかは削られて変わってしまう時間だから。
<ポケットには鍵と 丸めたレシートと 面倒な本音を つっこんで隠していた>このフレーズも共感できる。本音って本当に面倒で、本音隠して、上っ面だけ良くして、愛想笑いだけしてれば、波風立てることなく、平穏で何の面白みのない人間関係を築き続けることができるんだけれど、心を許した人には本音を吐き出したくなる時が時々ある。嫌われたくないから、合わせることが多い自分が、時々本音を出してしまう時があって、それが功を奏する時と、自爆に繋がる時とその時次第だから、恐ろしい。けれど、人間らしくてたまには本音を吐き出すのもいいだろうと思っている。
「ジャングルジム」…ジャングルジムと電車を掛け合わせるなんて、凡人では思いつかない発想力に圧倒された。弾き語りでとても静かな曲なのに、妙に斬新。私も子どもの頃、みんなで遊んでいる時は、楽しいフリをしたし、電車で通学した時、多くの乗客に合わせて<自画像みたいな顔>ですまして乗っていたことを思い出した。集団の中にいる時は、みんなけっこう本当の感情を押し殺して生きているのかもしれない。それは当たり前のことなんだろうけど、よく考えてみれば、虚しい気もする。みんな輝いている月しか見ていないことが多い。私もそうだ。満月なんてイベントにさえなってしまう。けれど、月は元々丸くて、見かけ上、形が変化しているように見えるだけで、本当はずっと同じ形の丸なのだ。<欠けた月の黒いところ>なんて誰も見ていないのに、見ようともしないのに、それを見つけてしまう藤くんはやっぱり天才だ。欠けた黒い部分も含めて、月として存在が成り立っている。つまり人間だってみんなに合わせた表向きの感情だけでなく、ひとりになった時<拳の鉄の匂いを嗅いでいた>り、電車の中で人目を憚らずに泣いている人がいたとしても、そういう他人に見せにくい感情もひっくるめて、(月で言えば、黒い部分も含めて)人間は形成されているということなんだと気付かされた。この楽曲で、見える部分だけが物事のすべてではなく、見えない部分も大事なんだってことを藤くんから教えられた。
「リボン」…<僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ>絆とか、運命の糸とか今まで何回もそんな言葉を聞き続けて生きていたけれど、それは定められたものではなくて、相手と一緒に自力で必死に繋ぎ止めているものなんだと教えられて、長い間、関り続けている人たちのことがより一層大切に思えた。そういう相手がいるとしたら、幸せなことなんだと気付かされた。
「シリウス」…まさにバンプのカッコいいロックチューン。歌詞は刺々しさの中にも温かみのある言葉が使われていたりする。
<ただいま おかえり>は「Spica」の<いってきます>に通じる気がした。
「アリア」…MVのイメージもあるせいか、個人的にはキラキラチューンと思っている。この楽曲がリリースされた2016年、出会った人がいたのに、早々に縁を切ってしまった。バンプ好きなんですと言った時、アリアとかいいよねって言ってくれたのに。どこか行きたい国ってある?って聞かれて、あまり旅行をしない私は漠然と夢物語で、オーロラが見える国に行ってみたいと答えた。それを彼は鵜呑みにして、本当にいつか行こうよって言ってくれたのに、性格的に受け入れられない部分があった。こういう別れがある度に、私は綺麗事ばかりで、心の広くない人間なんだって気付いて、自分に対して嫌気がさす。そういう思い出があって、せつないと思える曲。
「話がしたいよ」…バスを待っている間、つまりそんなに長くはない<おまけみたいな時間>に考えた内容だとしたら、名曲過ぎる。バス、ガム、信号機、ボイジャー…。一見、生身の人間とはかけ離れた無機質な言葉なのに、それらの対象から、<君>という愛しい相手を思い起こしてしまうこの歌詞の主人公が正直、うらやましい。
この曲は映画『億男』の主題歌であり、その映画の中には落語が登場する。落語は噺(はなし)とも呼ばれるため、だから「話がしたいよ」というタイトルがついたのか?という対談がCUT No.401に掲載されていたが、それは偶然らしい。それを読んだ時、私は思い付いた。しゃべるのは苦手だけれど、書くことだったら、内容の良し悪しは別として、こうしていくらでも書ける。だから私はしゃべる噺家ではなく、机上で書く噺家になろうと思った。そう思わせてくれた楽曲でもある。
(5月29日早朝)日の光が射し込む電車の車窓にもたれて、移ろいゆく景色を眺めながら、私はひとりで「話がしたいよ」を口ずさんでいた。この瞬間に私と同じようにこの歌を歌っている人がどこかにいるだろうか。いてくれたらうれしい。いてくれると信じている。電車が海沿いを通過した時、水面がキラキラ輝いていた。という夢を見て目覚めた。本当に見た夢の中の話。
「アンサー」…藤くんが好む言葉がたくさん詰め込まれた楽曲だと思う。
魔法、虹、銀河、風船、流星など、藤くんらしい言葉遣いが多い。
「望遠のマーチ」…このアルバムの中では、一番分かりやすい言葉が使用されていると思う。そのまま聞けば分かる内容の歌詞。なのにやっぱり奥が深くて、特にレコーディング中にひらめいたという<与えられた居場所が 苦しかったら そんなの疑ったって かまわないんだ>というフレーズが私は一番気になる。たぶん周囲の人たちから、逃げた方がいいよって言われる環境で暮らしているからだと思う。誰も迎えにこない絶望的な状況でも、希望を捨てないで、もともと付いてもいない自分の羽根で<いこう いこうよ>って勇気をもらえた。もっとも逃げるのと、自ら行くのとではちょっと意味が違うかもしれないから、できれば逃げるんじゃなくて、自分で見つけた道を<いこう>って思えるようになった。
「Spica」…<汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ>ってまさに究極の愛の形だと思った。私にはまだこんな風に思える相手はいないかもしれない。だから<手をとった時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった>って体験も実感もまだない気がする。いつかそういう風に思える人間になれたらいいなと思っている。
「新世界」…私はラブソング系が苦手だ。ショッピングモールにおいて、隣合ったショップで、一方が西野カナの曲、もう一方が米津玄師の曲だった時があり、迷うことなく、米津玄師の方に駆け来んだことがあるくらい、ラブソングとはなるべく関りたくない人間である。あからさまなラブソングが少ないバンプが好きだったはずなんだけれど、この明らかにラブソングとしか表現できない「新世界」は妙に気に入ってしまって、このアルバムに収録されている曲で付け難い順位を付けるとしたら、好きな曲トップ3に入るくらい、大好きな曲になってしまった。ラブソング嫌いの私が、どうして好きになってしまったんだろうと自分なりに考えてみたところ、愛すべき対象が異性じゃなくても、成り立つ曲だからだと気付いた。友達でも、家族でも、動物でも、植物でも、自分が好きと思っている対象なら、何に対してもカッコつけずに自然体で<ベイビーアイラブユーだぜ>と言える点が、この楽曲の最大の魅力だ。「新世界」は単なる恋愛ソングじゃなくて、愛の賛歌と言えるかもしれない。
『RAY』が発売された時は「ray」は新しいバンプだ!って感動して、大好きになって、『Butterflies』収録曲の「Butterfly」もさらに新しいバンプが来た!って、興奮して、そして今回『aurora arc』ではこの「新世界」がバンプの新しさをさらに更新した感じがする。
「流れ星の正体」…この楽曲に関してはショートバージョンから少しずつ、フルサイズで聞くことになったため、公開されるタイミングごとに印象が変わった不思議な曲。個人の内から他者という外へ向かう広がりのある曲で、ラストはかなり感動的で泣ける曲。やっとフルで聞いた時、知らなかった部分の歌詞を思わず歌詞カードから自分のメモ帳へ書き記してしまったくらい、エンディングはこう来たかと衝撃を受けた。
<太陽が忘れた路地裏に 心を殺した教室の窓に 逃げ込んだ毛布の内側に 全ての力で輝け 流れ星>以降、最後まで、ただただ、藤くんの力強い歌声に勇気付けられたし、泣かされた。全然しんみりするだけの曲じゃなかったってイメージが変わり過ぎた曲。
以上、短かったり、長かったり、レビューとしてはバランスが取れていないかもしれないけれど、『aurora arc』に収録されている曲すべてを自分なりに考察してみた。
全体を通して言えることは、特に気になった部分は急にメロディが変わる部分(Aメロでもなくサビでもない、ブリッジという言葉があるらしいが、その部分)が、特に見せ場であると思った。特に「月虹」、「ジャングルジム」、「望遠のマーチ」、「流れ星の正体」におけるブリッジ部分はすべて心に刺さって、もちろんAメロもサビもいいんだけれど、違う曲が始まったのかと勘違いするくらい、違うメロディで<生きるこの体が 教えてくれる>とか<例えば最新の涙が いきなり隣で流れたとしても>、<与えられた居場所が 苦しかったら>、<全ての力で輝け 流れ星>とか歌われてしまったら、意識せざるを得ない。こういう変わった構成の曲が多い所も、バンプの魅力のひとつだと思う。
3年半ぶりのアルバムとは言え、少しずつリリースされていたシングルの集大成でもあるから、多くのリスナーにとって、1曲1曲にすでに思い出や思い入れがあるわけで、『aurora arc』を聞いているうちに、自然と私も自分なりに3年半を振り返ることができた。楽しい時も、つらい時も、バンプの曲が心の側で寄り添ってくれたなって改めて実感した。1ヶ月ほど聞き続けているけれど、聞き飽きる気配はない。たぶん今年はずっと聞き続けると思う。過去を回顧しつつ、聞く度に新しい発見もあり、様々なことを考えさせてくれる。いろいろあるけど、もう少しがんばってみようかなって思わさせてくれる。
好きな色は何色?って聞かれたら、たぶんこれからはオーロラ色って答えると思う。バンプが実際にイエローナイフに言って、オーロラを見て来たそうだが、インタビューによると、思っていたよりははっきり見えないぼんやりしたものらしいから、その見えるか見えないかぼんやりした色を音楽で表現してくれるのが、バンプだと思う。オーロラは揺らめいていて動きがあるため、ある意味リズムを刻んでいるわけで、オーロラに音があるとすれば、それはバンプにしか紡げないものだと思う。『aurora arc』は藤くんがたまたま見つけたステキワードなんかじゃなくて、藤くんが今まさにこの時期に出会うべくして出会った運命の言葉というか、バンプワールドを作り上げる上で、必然的に必要なキーワードだったのだと思う。3年以上かけてこつこつシングルをリリースして、それがもしパズルだったとしたら、最後のピースをはめ込んだ時に、浮き出た言葉が『aurora arc』になったとしか思えない。1曲1曲を全力で作り上げているからこそ、そんな偶然みたいな必然を手繰り寄せることができるのだと思う。いつでも音楽と真剣に向き合っているから、奇跡を起こせるのだ。
オーロラなんて、一生のうちで1度でも見れたらラッキーくらいの類稀なる現象なのに、それを音楽という形ではあるが、バンプが表現してくれたおかげで、私もオーロラを見た感覚になれた。『aurora arc』は多くのリスナーにレアで貴重な体験をもたらすことになったに違いない。
これだけ毎日聞いていたら、ちっともレアじゃなくなってしまうんだけれど、聞く度にちゃんと感動できているから、バンプが描いてくれたオーロラを堪能し続けようと思う。
まるで目で聞いて、耳で見る音楽とでも言えるだろうか。オーロラを見ればバンプの曲が聞こえるし、バンプの曲を聞けば、オーロラをイメージできる。『aurora arc』はそういうアルバムだ。
バンプは五感の枠さえ越えて、心を癒してくれるし、オーロラさえ出現させてくれるから、魔法使いのような存在だ。
アルバム発売後、この1ヶ月の間も、泣きたくなることとか、つらいことが多少はあったわけで、その度に傷付いたりしているんだけれど、私にはこのアルバムがあるから平気、嫌なことでも何でもかかってこいよとさえ思えるようになった。対峙できる勇気をもらえた。今のところ、終わる気配のない『aurora arc』という魔法にかけられて、今日も<嵐の中>のようなリアルを懸命に生きている。
心も体も疲れている時、『aurora arc』というお薬を処方された感じでもある。疲れるってことは、ぐだぐだ適当に生きていると思っていた自分も、それなりに必死に生きている証で、案外自分もがんばって生活してるんだなって気付かされた。『aurora arc』は疲れるくらい必死に生きている人にとってはご褒美のようなアルバムで、逆に言えば疲れているからこそバンプの良さに気付けるわけで、疲れるくらい必死に生きるって悪くないなって思えた。

#バンプ #BUMPOFCHICKEN #藤原基央 #auroraarc #音楽文 #考察 #感想 #歌詞 #アルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?