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『100万回生きたかったねこ』〈後編〉

 お父さんが死んでしまって、一年が過ぎた頃、ぼくのお母さんにそっくりな白いねこと出会った。うす汚れてはいたけれど、白い毛並で、瞳の色もお母さんと同じエメラルドグリーンだった。彼女は、脚が悪くて、いつも片脚を引きずりながら歩いていた。鈴のついた首輪をしていて、歩く度にリンリンと音がした。

 ガラの悪い不良ねこたちにからまれているところを、勇気を出して助けたのがきっかけだった。いつも通り、負けてしまったけれど、何とか彼女を守ることはできた。

「助けてくれて、ありがとう。こんなにケガをさせてしまってごめんなさい。」

彼女は脚を引きずりながら、ぼくのキズの手当てをしてくれた。

「こっちこそ、ごめん。いつもケンカに負けてばかりだから。かえって迷惑を掛けてしまって。」

ぼくはなんだかみじめになって、それ以上話すことができなかった。

「あなたはとても勇敢なねこだわ。強くてやさしいねこよ。」

彼女はこんな弱いぼくに微笑んでくれた。

「私ね、見ての通り、白い毛の汚れが目立って、脚も悪いから、不良たちからまれることが多くて。助けてくれて、本当にうれしかった。ありがとう。」

彼女の美しいエメラルドグリーンの瞳に涙がにじんでいた。

「脚のこと、何も聞かないのね。本当にあなたはやさしい。」

ほめられてなんだか恥ずかしくて黙っていると彼女は続けて話した。

「これでも昔は人間からかわいがられる飼い猫だったのよ。シロちゃんって名前ももらって。生まれたばかりの頃から、やさしい人間の家族の元で大切に育てられていたの。家族は私の白い毛並みの手入れもしてくれて、いつもピカピカだったのよ。けれどある日、大きな地震が来て、家が崩れてしまった。その家のお父さんやお母さんは死んでしまって、サクラちゃんって女の子がひとり生き残ったのだけど、親戚の人に連れられて、どこかに行っちゃった。サクラちゃんは最後まで私のことを一緒に連れて行ってほしいと泣いてくれたわ。けれど親戚の大人はねこはダメと連れて行ってはくれなかった。仕方なく私はのらねことして生きる覚悟を決めたのよ。」

ぼくはショッキングな彼女の話に言葉が出ずに、戸惑っていた。

「そこにいても悲しくなるだけだから、思い切って、旅に出たの。その途中で、人間の車に接触してしまって、それ以来、脚が不自由になったの。」

彼女は沈む様子もなく、明るく淡々と語った。今も旅の途中で、特にあてもなく、いろいろな場所をさまよっているという。

「ぼくも旅に出ようかな。お父さんもお母さんも死んでしまって、ひとりぼっちでずっと寂しかったんだ。」

「じゃあ、私と一緒に行かない?」

彼女の目が輝いた。ぼくは一目で彼女のことを好きになっていたから、うれしくて、すぐに彼女と一緒に旅に出発した。

「これから、よろしくね。頼りないけど、何かあったら、ぼくがキミのことを守るから。」

彼女は「ありがとう」とやさしく微笑んだ。

 二人で歩き始めたばかりの頃、ぼくは彼女にお父さんの話をした。

「あのね、ぼくのお父さん、100万回生きたねこなんだ。誰も信じてはくれないけれど。だからぼくも小さい頃からずっと100万回生きてみたいって夢見てるんだ。ずっと100万回生きる方法を探してるんだ。おかしいよね。」

他のねこたちみたいにきっと笑い飛ばすだろうと思っていた。けれど、彼女は違った。

「あなたのお父さん、100万回生きたことがあるの?それはすごいわね!100万回も生きるってきっとたいへんなこともあっただろうし、あなたのお父さんはあなたと同じく勇敢なねこだったのね。」

あっさりぼくの話を信じてくれて、ぼくは拍子抜けしてしまった。

「驚かないの?こんな話、うそだとは思わないの?」

「やさしいあなたが言う話だもの。本当の話よ。私は信じるわ。」

彼女は初めてぼくのお父さんの話を信じてくれたねこだった。ぼくのことを少しも疑うことなく、すぐに信じてくれた。それがとてもうれしかった。

「ありがとう、信じてくれて。王さまに飼われたこともあるし、海に行ったこともあるんだって。そうそうキミみたいに女の子の飼い猫だったこともあるって言ってたよ。」

ぼくはうれしくて、話が止まらなくなった。

「小さい頃から、見かけはお父さんにそっくりだって言われ続けて。でも実際はお父さんみたいにケンカも強くないし、たくましくもなくて。だからいつかぼくもお父さんみたいに何度も生まれ変わって、強いねこになりたいって思ってるんだ。ずっと100万回生きる方法を探しているんだ。」

「あなたは十分に強くてたくましいねこだと思うけれど…いつか100万回生きる方法が見つかるといいわね。」

おせじでも強くてたくましいねこと言ってもらえて、うれしかった。彼女のために本当に強くてたくましいねこになりたいと思った。

「キミは何か夢はないの?100万回生きてみたいとは思わない?」

「そうね…できることなら、もう一度サクラちゃんに会ってみたいわ。またシロちゃんって名前を呼んでもらいたい。一度でいいから。」

遠い目をして彼女はつぶやいた。

「でも私には100万回生きる勇気はないわ。100万回生きるってことは、100万回死ぬってことでしょ?100万回も死ぬなんて、怖いもの。一度きりの人生で十分。今はこんな生活だけど、幸せな過去があるし、それにほら、あなたとも出会うことができたから、今も私は幸せよ。」

彼女の瞳はいつも輝いていた。白い毛並はうす汚れていても、瞳と心はいつでも美しいねこだった。脚を引きずりながら、鈴をリンリンと鳴らしながら歩き続ける彼女はとても美しかった。

ぼくは彼女の言葉を聞いて、はっとさせられた。ずっと100万回生きたいと思っていたけれど、100万回生きるってことは彼女の言う通り、100万回死ぬってことなんだ。そんなあたりまえのこと、考えもしなかった。そういえば、あの時のおばあさんねこも100万回も死んで、100万回も生きているんだぜってお父さんが言ってたって教えてくれたっけ。100万回も死ぬなんて、お父さんは怖くなかったのかな…ぼくは100万回生きるという本当の意味をぼんやり考え始めていた。

 そして彼女の夢を応援したくなった。

「ぼくがサクラちゃんを見つけ出してあげるよ!一緒に探そう!」

ぼくは初めて100万回生きる方法を見つけたいという夢以外の夢をみつけることができた。彼女の喜ぶ顔が見たいと心の底から思った。

「ありがとう。サクラちゃんを一緒に探してくれるなんて、本当にうれしいわ。お返しに私は100万回生きる方法を一緒に探してあげるわね。」

ぼくたちはそれぞれの夢を叶えてあげると誓った。

 旅の途中、急な雨に降られて、雨宿りをしたこともあった。雨上がり、一緒にキレイな虹を見た。寒い冬の夜、二人で寄り添って寝ている時、空には満天の星が輝いていた。時々流れ星を見つけて、「夢が叶いますように」と願った。時々すれ違う人間たちからは「汚いのらねこたちだな」とののしられたり、「かわいそうに、これをお食べ」と心やさしい人間からはエサをもらって食べたりもした。相変わらずケンカに負けながらも、時々彼女に絡んでくるねこたちから彼女を必死に守った。その度に彼女はキズの手当てをしてくれた。そうやって何度も季節は巡り、ぼくたちは夢を叶えられないまま、年老いていった。

 彼女が歩くペースはますますゆっくりになっていった。リンリンという軽快な鈴の音はリーンリーンとテンポが遅くなっていた。ぼくは彼女のペースに合わせて、ゆっくり歩いた。

「気遣ってくれてありがとう。」

彼女はグルグルとのどを鳴らした。

ぼくもグルグルとのどを鳴らして微笑んだ。

雪が舞い始めた冬の寒い朝。彼女が死んでしまった。

「あなたと出会えて良かった。ありがとう。」

お父さんと同じ言葉を残して、やさしく微笑んで眠るように静かに息をひきとった。

ありがとうなんて、感謝されるようなことは何もできていないのに。結局サクラちゃんを見つけてあげることもできなかった。ぼくは彼女からたくさんのやさしさをもらったというのに。悲しみと悔しさで涙が止まらなかった。泣き虫のぼくは一日中泣き続けた。

彼女の体には真っ白な雪が降り積もっていた。白い毛並にお似合いの真っ白な雪が。ぼくは涙も枯れて、もういっそこのまま彼女と一緒に死んでしまおうかとも思った。けれど、ふと彼女の鈴が目に入って、決心した。これからはぼくがこの鈴をつけて、ひとりでサクラちゃんを探そうと。ぼくはサクラちゃんのことを顔すら知らない。けれど、サクラちゃんって名前は知っている。命が続く限り、サクラちゃんを探し出してみようと彼女の首輪を外して、自分の首につけた。

「MY LOVELY SHIRO」

読めないけれど、革の首輪の裏に何かが刻まれていた。

 ぼくはまたひとりぼっちになってしまった。リーンリーンと鈴を鳴らしながら、とぼとぼ歩いていると、子どもの頃、出会ったおばあさんねこによく似た三毛ねこがどこからともなく現れた。

「ステキな鈴の音色だこと。」

しわくちゃの顔を微笑ませながら、話しかけてきた。

「そんなステキな鈴をつけているというのに、浮かない顔をしているね。どうしたんだい?」

「ずっと一緒にいた彼女が死んでしまって…彼女の代わりにサクラちゃんっていう名前の人間を探そうとしているところだけど、名前しか知らなくて、途方に暮れてしまって。」

ぼくはいつの間にか泣きながら話していた。

「わしはずっと旅をしているんじゃが、西の方でサクラという名前の人間と出会ったことがあるよ。」

「それは本当ですか?」

「本当だとも。太陽が沈む方向へ歩いて行ってごらん。いつか会えるかもしれないから。」

「ありがとう、西の方へ行ってみます。本当にありがとう。」

ぼくはわずかな希望を胸に少しだけ足早に歩き出した。リンリンと彼女の鈴を鳴らしながら。

 西の方向へ歩く途中、立派な冠をかぶった人間のパレードを見かけた。もしかしたら、あれが王さまというものなのかもしれない。大きな大きな池よりも湖よりも大きくて、果てしなく広くて、動く水の塊を見たこともあった。その水を舐めてみるとしょっぱい。あれが海というものだったのか。魚を釣っている人間のおじさんがぼくに魚をくれた。またある所では、大きなテントにたくさんの人間が集まって、何やら楽しそうな顔をして、拍手をしていた。テントの外では「ぼくもサーカスが見たい」と人間の子どもが駄々をこねていた。そうか、これがサーカスというものかと初めて知った。

 いつの間にかぼくもずいぶん歳を取ってしまった。もう歩く力はほとんど残っていない。彼女から受け継いだ鈴もすっかり古びてしまって、鈍い音しか出なくなった。力なく、とぼとぼ歩いていると、何かが降ってきた。雪かと思えば、桜の花びらだった。季節は春になっていた。その桜の花が彼女の毛並の色に似ている気がして懐かしくなって、少しだけ桜の木の下で休むことにした。

 そして夢を見た。お父さんとお母さんが笑っている。彼女も微笑んでいる。ぼくはひさしぶりにみんなに会えて幸せな気分になった。

 太陽が沈みかけた頃。

「このとらねこ、笑いながら、眠っているよ。」

と子どもが近寄ってきた。

「全然動かないね。」

もうひとりの子どもがぼくの体をさする。

ぼくはもう動けなかった。死んでしまったのだ。

「このねこちゃん、死んじゃったのね。かわいそうに。」

女の人がぼくを腕に抱えて、涙を流してくれた。

「サクラ先生、ねこちゃん死んじゃったの?」

「死ぬってどういうこと?」

子どもたちが不思議そうな顔をして尋ねる。

「死ぬってことはもう動けないし、もう生きることができないってことよ。」

「死は精一杯生きた証なのよ。」

女の人は穴を掘って、ぼくを埋めようとしてくれた。

「首輪は取ってあげましょうね。」

リンリンと昔のようにキレイな音色の鈴が鳴った。

「MY LOVELY SHIRO」

「どうして、この子がシロちゃんの首輪をつけているの…」

女の人は首輪の裏に刻印された言葉を見て、しばらく呆然としていた。そう、この人間こそが大人になった「サクラちゃん」だった。

「ずっとシロちゃんに会いたいと思っていたの。とらねこさん、あなたにシロちゃんのことを教えてほしかった。」

サクラちゃんはぼくをぎゅっと抱きしめた。

サクラちゃん、できることなら、生まれ変わって、キミに彼女のことをたくさん教えてあげたいよ。彼女もサクラちゃんに会いたいって思って、ずっと探していたこと、ぼくと一緒に旅をしたこと、全部教えてあげたい。けれど、ぼくは結局生き返る方法を見つけられなかったし、死んでみると不思議なことに生き返りたいとは思わないんだ。生きている頃はあれだけ100万回生きたいなんて思っていたのにね。彼女に出会って、ぼくの夢は100万回生きることじゃなくて、サクラちゃんを見つけることに変わったんだよ。だから、ねぇサクラちゃん、ぼくは最後に夢を叶えることができて良かった。彼女の夢を叶えることができたから、もうぼくは生き返りたいとは思わないんだ。お父さんが言った最後の言葉の意味がようやく分かったよ。ぼくはお父さんやお母さんや彼女、それに最後にサクラちゃんに出会えたから、100万回生きられなくてもぼくのたった一度きりの人生は幸せだったって心から思える。ありがとう、サクラちゃん。

死んだはずのねこののどがグルグルと鳴った気がしたとかしないとか。100万回生きたいと思ったねこのお話はこれでおしまい。

(2019月1月  執筆)

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