『100万回生きたかったねこ』〈前編〉
お父さんが死んでしまった。立派なとらねこでやさしくてぼくの自慢のお父さんだったのに。お父さんはお母さんが大好きだったから、お母さんが死んでしまって以来、亡くなる直前まで、一日中、泣き続けていた。強くてたくましいお父さんが泣いているのを見たのは初めてのことだった。
ぼくは兄弟の中でも見かけはお父さんに一番よく似ているとらねこで、「お父さんにそっくりだね。」と言ってもらえるのが、うれしかった。何しろ、お父さんのことを尊敬していたから、似ていると言ってもらえることが誇りだった。
と同時に、たしかに見かけは似ているかもしれないけれど、お父さんのように強くもなければ、たくましくもなかったから、内面もお父さんのようになりたいと心の中では思っていた。
友だちとケンカをすれば、いつも負けて、体はキズだらけ。「おまえの父ちゃんは強いのに、おまえは弱っちいな」とバカにされた。「似てるのは見かけだけなんだな」と笑われた。ぼくはくやしくて、泣きながら帰っていた。
いつものようにケンカに負けて、泣きながらとぼとぼ歩いていると、あまり見かけない年老いたヨボヨボのおばあさん三毛ねこに出くわした。
「何を泣いているんだい?」
おばあさんはぼくにやさしく話しかけてきた。
「いつもケンカに負けてばかりでくやしくて…」
ぼくは泣きながらおばあさんに話した。
「ぼくのお父さんは立派なとらねこで、めったにケンカはしないけれど、時々家族を守るためにいたずらねこと戦うことがあって、絶対に負けないんだ。お母さんのことが大好きだし、ぼくたちにもやさしい。強くてやさしい自慢のお父さんなんだ。それなのにぼくは…」
お父さんの話をしているうちにまた涙があふれてきた。
「そうなのかい」
よしよしとおばあさんはぼくを慰めてくれた。
「そういえば、若い頃、おまえさんによく似たとらねこから話を聞いたことがあってね。おれは100万回も死んで、100万回も生きてるんだぜと自慢されたことがあったよ。」
おばあさんは信じられない昔話をし始めた。
「100万回も生きたねこがいるの?それほんと?」
ぼくはまだ信じられなかった。
「本当かどうかは知らんが、とらねこ本人が自慢気にみんなに言いふらして歩いていたからね。本当におまえさんはその時のとらねこによく似ていること。」
おばあさんが話しながら、まじまじとぼくを舐め回すように見つめてきた。
「ぼくも生まれ変わってみたい!お父さんのように強くなりたいから。どうすれば100万回生きることができるのかな?」
もしもその話が本当なら、本当に100万回生きてみたいと思った。
「さあ、それは知らんよ。もしかしたらまだ生きているかもしれないから、探して直接、本人から聞いてみたらいいよ。けれど…わしはあのとらねこのようになりたいとは思ったことがないがね。死ぬのなんか怖くないとか、妙に威張っていて、好かんかった。強くなりたいと必死なおまえさんの方がわしは好きじゃよ。」そう言うと、二コリと笑って、おばあさんはゆっくりぼくの元から去っていった。
ぼくは家に帰るとすぐにお母さんに今日のことを話した。
お母さんは白い毛並とエメラルドグリーンの瞳が美しくて、とてもやさしいねこだ。ぼくの自慢のお母さんだ。
「あのね、お母さん、今日すごい話を聞いちゃった!」
「どんなお話?」
お母さんはぼくのキズの手当てをしながら、やさしく尋ねてきた。
「知らない三毛ねこのおばあさんに会って、若い頃に、100万回生きたねこに出会ったことがあるって言ってたの。ぼくによく似たとらねこだったって。」
ぼくの話を聞くとお母さんは驚く様子もなく、クスっと笑った。
「それ、若い頃のお父さんのことよ。」
ぼくは驚いた。
「え?ぼくのお父さんが100万回生きたことがあるの?ほんとのほんとに?」
「ええ、ほんとの話よ。お父さんに出会ったばかりの頃は耳にタコができそうなくらいその話を何度も自慢されたもの。」
お母さんは笑って話した。
「お父さんができるなら、ぼくも100万回生きることができるかもしれないよね。ぼくはお父さんに一番よく似ているんだから。」
ぼくの心に希望が湧いてきた。
「本気でお父さんのように、100万回生きたいと思っているの?」
お母さんは目をぱちりとさせて、呆れたように静かに笑った。
「ぼくは本気だよ!だってお父さんのように強いねこになりたいんだもの。」
ぼくの決心は固かった。
その夜、ぼくはお父さんに真剣に聞いてみた。
「ねぇ、お父さん、お父さんは100万回生きたことがあるってほんと?」
お父さんは参ったなという様子でぼくに尋ねてきた。
「どこでそんな話を聞いたんだい?」
「今日道端で出会った知らないおばあさんとお母さんから聞いたの。」
「ほんとの話なの?」
お父さんはしばらく黙って、やさしく笑った。
「おまえには話すつもりはなかったけれど、本当の話だよ。」
「すごい!お父さんは何度も何度でも生きることができるなんてすごいや!」
やっぱりぼくのお父さんはすごいねこだった。もともと立派なねこだと思っていたけれど、さらに尊敬した。
「ねぇ、どんな風に過ごして生きていたの?教えて、教えて!」
ぼくはお父さんの昔話を聞きたくてせかした。
「そうだなぁ、そんなにすごい話はないけれど、王さまに飼われて戦地に行ったり、船乗りのねこになって海へ行ったり、サーカスで曲芸を披露したり、孤独なおばあさんや小さな女の子に飼われたこともあったな。」
お父さんが淡々と話してくれた。
「すごい!すごい!ぼく海なんて見たことないし、王さまになんて会ったこともないよ!お父さんはやっぱりすごいや!」
ぼくは身を乗り出してお父さんの話に釘づけになっていた。
「後はどろぼうに飼われていたこともあったな。」
思い出したようにお父さんはつぶやいた。
「えーどろぼう?でもやっぱりすごいや!」
ぼくのお父さんは思っていたよりずっと偉大だと思った。
「何もすごいことはないさ。今となればどうしてあんなに何回も生き返っていたのか不思議なくらいだよ。」
お父さんは自慢することもなく、一通り話し終えると黙った。
「お父さん、ぼくも何回も生きてみたいと思っているんだ。ぼくも生まれ変わってみたいの。どうしたらできるの?」
お父さんは少し驚いた様子でぼくを見た。
「本当に何回も100万回も生きてみたいと思っているのかい?」
「うん、ぼく本気だよ!お父さんにできるなら、ぼくにもできるんじゃないかなって。」
「うーん」とお父さんは少しうなって静かに答えた。
「実はお父さんもどうやって100万回も生きたのか、今となっては分からないんだよ。」
「えー」ぼくはがっかりした。
「何度も生まれ変わる方法はもはや分からないけれど、ひとつだけ言えることは、お父さんにとって今の人生が一番、自分で素晴らしい人生だと胸を張って自慢できるよ。ステキなお母さんに出会えたし、かわいいおまえたちにも巡り会えたから。」
お父さんは微笑んでいた。
「でも、ぼくも何度も生きて、海を見てみたいし、王さまにも会ってみたいなぁ。そして何よりお父さんのように強いねこになりたい!」
お父さんはぼくの話を黙って聞いていた。
「もしかしたら、いつかおまえもお父さんのように100万回生きるねこになれるかもしれない。けれど、いつか今のお父さんのように、今の自分の人生が最高だと思える人生を送れるといいね。」
「100万回なんて回数は自慢にはならないことを分かる時が来るといいね。昔のお父さんはバカだったから、そのことに気付くまでずいぶん時間がかかってしまったけれど。」
「もう遅いから、おやすみ。」
お父さんはそう言って、ねむりについた。
お父さんは100万回生きることはたいしたことはないなんて言っていたけれど、ぼくは翌日になっても生まれ変わってみたいと思っていた。
どうしたら100万回生きることができるのかなぁ。だれか知っているねこはいないかなといろいろなねこたちに聞いて尋ねて歩いた。
初めに友だちに聞いてみた。
「あのね、100万回生きたねこがいるって知ってる?」
「そんなことできるはずないよ。」
「ありえない。」
「そもそもそんな必要ないだろ。」
友だちはぼくの話を信じてはくれず、笑い飛ばした。ぼくは本気なのに。
次に赤ちゃんねこをあやすお母さんねこに聞いてみた。
「おばさん、100万回生きたねこがいるって知ってる?ぼく、生まれ変わる方法を知りたくて。知っていたら、教えてほしいの。」
「100万回生きる方法?そんなの知らないわ。今赤ちゃんをあやすことで精一杯なの。赤ちゃんを泣きやませる方法なら知りたいけれど。ごめんね。」
お母さんねこは赤ちゃんねこをよしよしとなだめながら、去って行った。
今度は小鳥を捕まえようと空を飛ぶ鳥をじっと見つめるおじさんねこに尋ねた。
「おじさん、100万回生きたねこがいたって話知ってる?100万回生きる方法知ってる?」
おじさんはじろっとぼくを横目で見ながら言った。
「今そんなくだらない話を聞いているヒマはないぜ。他をあたってくれ。」
「あの鳥がここに羽を休めに来たところを狙うんだから。静かにしてくれよ。」
「若い頃はあんな小鳥くらい、ジャンプして一瞬で捕まえたものだが、この歳になるとなかなかうまくいかねぇもんだ。」
とぶつぶつ呟きながら、じっと鳥を見つめていた。
おじさんも生まれ変わることができれば、若返って、また小鳥をすぐに捕まえられるようになるのになと思いながら、ぼくはおじさんねこの元を後にした。
夕方になって、もう帰らないといけないと思っていると、泣いているお姉さんねこを見つけた。
「どうして泣いているの?」
ぼくはお姉さんねこに話しかけた。
「私の彼氏が浮気しているの。もう相手になんてしてやらないんだから!」
泣いているかと思えば、今度は怒り出した。
「それなら、生まれ変わったら、いいよ。ぼくね、今100万回生きる方法を探しているんだ。お姉さんも一緒に生まれ変わろうよ。」
お姉さんはますます怒り出した。
「大人をからかわないで。100万回生きる方法なんて、知りたいとも思わないわ。何よ、そんな話。私は彼のことが好きなのに。」
と今度はまた泣き出した。
昨日のぼくよりも泣いているお姉さんねこを見て、どうすることもできなくて、「ごめんなさい。」と謝って、慌てて逃げ出した。
急ぎ足で帰る途中、お兄さんねこに出くわした。昨日のぼくみたいにキズだらけだ。
「どうしたの?そのキズ。」
ぼくは思いきって、話しかけてみた。
「ああ、これかい。これはさっき彼女とケンカして、引っかかれたのさ。」
お兄さんねこはペロペロキズを舐めている。
「痛そうだね。ぼくも昨日キズだらけだったよ。お母さんが手当てしてくれたから、すぐに治ったけど。」
「ねぇ、お兄さん、100万回生きる方法を知らない?」
お兄さんねこはキズを舐めるのをやめて、言い放った。
「はぁ?そんなことできるわけないだろ。」
「そんなことよりこれから、新しい彼女とデートなんだよ。子どもはとっととお母さんの元へ帰りな。」
ははん、きっとこのお兄さんねこはさっきのお姉さんねことケンカしたんだな。お姉さんねこはまだお兄さんねこのことを好きだと言って今も泣いているのに、このお兄さんねこは新しい彼女とデートなんて、切り替えが早いなと感心しながら、お兄さんねこの元を去った。
一日中、たくさんのねこたちに聞いて回ったけれど、100万回生きる方法を誰も知らなかったし、そもそも信じてももらえなかった。ぼくだって昨日お父さんの話を聞くまでは信じられなかったのだから、当然のことだ。明日また他のねこたちに聞いてみよう。
その次の日も、そのまた次の日もいろいろなねこたちに聞いて回ったけれど、
100万回生きる方法なんて、やはり誰も知らなかったし、信じてももらえなかった。そんなことを何年も繰り返しているうちに、ぼくはいつの間にか大人になっていた。
相変わらず、ケンカに勝ったことなんてないし、お父さんに似ているのは見かけだけだとからかわれ続けていた。彼女もできたことがない。他の兄弟たちはとっくにそれぞれの家庭を築いているというのに。ぼくはひとりぼっちののらねこに成長していた。
そんな矢先、お母さんが死に、お父さんも死んでしまった。お父さんは100万回生きたことがあるのだから、もしかしたら、また生き返ってくれるのではないかと期待していた。それなのに、ちっともお父さんは姿を見せない。
亡くなる直前、ぼくはお父さんに泣きながら話した。
「ねぇ、お父さん、また生まれ変わってよ。またぼくの側に帰って来て。」
お父さんは最後の力をふりしぼってぼくにやさしく答えてくれた。
「おまえはまだそんなことを言っているのかい。小さい頃から変わっていないね。また生まれ変わってほしいなんて、本当におまえはお父さんの若い頃にそっくりだ。どうしようもないな。」
お父さんはぼくの顔を見て、微笑んだ。
「おまえもいつか分かる時がきっと来る。おまえと出会えて良かった。ありがとう。」
それがお父さんの最後の言葉だった。
いつか分かる時が来るなんて、そんなの一生分からないまま、死んでしまって、このまま弱虫のまま100万回生きることもできないねこで終わるとしたら、なんてみじめだろう。ぼくはそんなのごめんだ。どうしたら、何度も生きることができるんだろう。ぼくはひとりで、まだそんなことを考え続けていた。
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