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チョコモナカジャンボの話
私は夜中にアイスを食べたくなることがよくある人間だ。
先日も例外ではなく、森永製菓の「チョコモナカジャンボ」というアイスを恋人とシェアして食べた。半分こにするため恋人がアイスを割る。
私は恋人に「多い方をちょうだいね」と冗談交じりに言ってみた。恋人は私に、「もともとちょうど半分に割れるんだから多いほうなんてないよ」と笑いかけた。
そうなのだ。チョコモナカジャンボは6列のブロックに割れているので3列ずつ分けることができる。どうして私がチョコモナカジャンボは半分こすると多い方と少ない方に分かれると考えたのか。
思い返してみると原因はおじいちゃんにあった。
おじいちゃんの話
私のおじいちゃんは頑固でいかにも昭和の男だった。
医者になりたくて勉強を頑張ったが長男で家を継がなければならないため、泣く泣く諦めたという。そのまま聡明で誠実な男になればいいものをおじいちゃんは家庭を顧みず、自分勝手に生きる男に成長してしまった。同居していた私は成長するにつれおじいちゃんを嫌いになっていった。
家を出て五年後、おじいちゃんは病気で死んだ。
病院で息を引き取り、その瞬間、家族は誰も傍にいなかった。
そんなおじいちゃんが小さい頃の私は大好きだった。
私と犬の散歩に出かけてはパチンコ屋に寄り、外で待つ私に口封じにセブンティーンアイスを買うような大人。甘いおやつに飢えていた私はとっても嬉しかった。
そして、暑い夏の日、近所のスーパーに一緒に行ってチョコモナカジャンボを半分こして食べた時「多い方をあげる」と4列に割られたチョコモナカジャンボをくれた。おじいちゃんとチョコモナカジャンボを食べるとき私はいつも「多い方」だった。
それを思い出したときなんだか涙が止まらなくて、嫌いだったはずのおじいちゃんとの楽しい思い出が次々と思い浮かんでは消えてゆく。
おじいちゃんが死んだときあまり悲しくなかった。人の死とはこんなものかと思ったものだ。私は今更泣いていた。チョコモナカジャンボをまだ一口しか食べていないのに涙が止まらなくて、口の中がしょっぱくなっていった。
後悔はしない、しても遅いからだ。私は死んだおじいちゃんが残した数少ない私を愛した記憶をたよりに、おじいちゃんの面影を探す。
チョコモナカジャンボを頬張るおじいちゃんは笑顔だった。