幼い頃憧れたキャラメルマキアート
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私がまだ小学生の頃、
『高校生』という存在に憧れた。
同じ制服に身を包む彼女たちが、ものすごく大人に見えて素敵だった。
その中で特に、私もああなりたいと、強く憧れた高校生像がいた。
冬の寒い日に、マフラー巻いてキャラメルマキアートを飲みながらひとり電車を待つ女子高生。
本当にそういう人を見たのか、
単に幼い頃の想像した人物なのか。
どうだったかは忘れたけど、
そういえばそんなことを考えた頃もあったなぁと、コンビニでキャラメルマキアートを見つけてふと思い出した。
実際のところ、高校生の頃は、毎日部活に明け暮れていたし、友達と帰りに毎日寄っていた、駅前唯一のコンビニでは、お菓子やパンばっかり買っていたしで、小さい頃に思い描いていたようなオシャレな飲み物なんて買わなかったんだけど。
そもそも富士山に近い高校だったから冬は寒すぎて寒すぎて冷たい飲み物は全く買う気にならなかった。
マフラーは必須でしていたが。
ど田舎の高校生ライフで学校帰りに遊びに行くとかしなかったけど、それはそれでいい思い出だったりする。
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多分だけど、幼い頃の私はキャラメルマキアートにも憧れてたんだと思う。
なんかオシャレな名前の響きと、キャラメルの甘さだけでなく、コーヒーの苦味も共存しているところに。
飲むたびに、今の自分よりちょっと大人になれる気がして。
憧れとか理想とかって美化される。
過去や思い出も同じく美化される。
そう思うと最近、ただ憧れるとか理想を思い浮かべるってことをしなくなった気がする。
これだけ聞くと大人になって想像力が乏しくなったつまらないヤツみたいに聞こえるけど。
その憧れにどうしたら近付けるかって考えが、頭から離れなくなった。
子どもの時より大人は想像力が減るとよく聞くけれど、憧れの存在や理想の姿みたいなものは年々増えていく。
素敵な人に会えば会うほど。知れば知るほど。
そして、考えれば考えるほど、思考の沼から出られなくなる。
頭の中が煮詰まってしまった時に、ブラックコーヒーより甘いコーヒーが飲みたくなる。
キャラメルの甘さに安心する。
幼い頃に憧れた、『キャラメルマキアートを飲んでいる大人びた高校生像』というのは、今も私の中に残っているんだろう。
それは、美化された過去の憧れで、そうなりたいと思っても決して届かない、というより別の域に存在してる永遠の憧れ。
だけど今の私が憧れているあの人には、どうにか届くように手を伸ばし続けようっと。
いつのまにか秋になって、
キャラメルマキアートがより美味しく感じる季節になった。
わくわくするのは今も昔も変わらない。