傑作をもう一度
のんびり眺めていてほしい、とは言ったものの、これはさすがにのんびりしすぎた。それに今日は前の記事に書いたロンドン飯の話題ではない。
実は最近、以前から興味があったライティングの講座に参加している。
書くことには昔から興味があった。実は友人たち誰にも言っていないが、こそこそと脚本を書いてみたこともある。稽古終わり、一時間以上かけて横浜の家まで帰り、今日も書くぞ! と意気込んでパソコンを開く。主人公がもっと苦しんだ方がドラマとして厚みが出るんじゃないか、設定を変えたほうがテーマが活きるんじゃなかろうかと色々と思案して執筆は深夜に及んだ。
傑作だ。やはり僕には才能が眠っていたんだ。落ちてくる瞼とは裏腹に、深夜テンションでエキサイトしていく自分がいた。なかなか面白い展開になってきたぞ、これは。しかし時計は深夜3時をゆうに回っている。明日も朝から講義だし、そのあとは稽古だ。今日はこのくらいにしといてやろう。
まるで大作家にでもなったつもりで、パソコンを閉じ、悠然とシャワーを浴びて眠った。
自分にも秀でる才能があったのだと、ご満悦で夢の中へ入っていった。
次の日、同じく稽古を終えパソコンを開いた僕は愕然とした。
データを保存し忘れていた? 違う、そうではない。
つまらない。
圧倒的に、つまらなかった。
昨夜、世紀の大発見だとばかりに思いついたアイデアも登場人物たちのセリフも、全てがサムい。カッコつけていて気持ちが悪い。目も当てられない。
絶望して僕は昨夜からデスクトップのど真ん中に鎮座していたワードファイルを、ゴミ箱に入れた。そして抜かりなく、ゴミ箱から完全に消去した。自分で出したゴミは自分で処理しなければ。そんな謎の使命感に駆られていた。
それ以来、大学のレポートや卒業論文。修士課程の終わりに書いた修士論文以外に、作品として何かまとまった文章を書いたことはなかった。翌日読んだ自分の作品の痛々しさの破片が、今も心臓の片隅に刺さっている気がする。
しかし、今回意を決した。
別に誰に請われた訳でもない。本を読むのが好きだから、自分で書けるようになってみたいと考えるのは当然だ。
そして上達には“見られる”ことが大切なことも知っている。
だから講座の課題とは別に、このノートは定期的に更新していきたいと思う。
今後はのんびりとだけでなく、何か気づいたことがあったらコメントいただきたい。