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「中学受験は親のエゴ」などと言い捨てる人にこそ伝えたい、本当にヤバい公立中学校の実態

「俺の若い頃は・・・」
「昔は大変だった・・・」
というのは、飲み会で年配の人たちから一番聞きたくない話題でしょう。

若い頃、「あー、またかー」と思った記憶があるから、若者が飲み会を避けると聞いても、「わかるなー」と共感してしまいます。

それは、子どもにするのも同じです。


おじさんの話がうんざりな理由

まず、リピートが多い。
「それ、この前も聞きましたよ・・・」
という話を何度もされる。これはきつい。
注意しないといけないと自分にも言い聞かせつつ。

次に、大した話ではないとリアクションに困ります。
「わざわざ数十年前の話を持ち出すほどか?」
という内容なのに、「ふーん」とスルーするわけにはいかない話を聞き続けるのは疲れます。

最後に、要するに説教したいだけの場合。
そりゃ、飲み会の参加率は下がりますよね。
業務時間外になんで説教されなきゃいけないんだ、と。
しかも、尊敬していないような先輩に言われたらなおのこと。

まだまだほかの理由もあるでしょう。
Z世代じゃないけれど、十数年前にそう思っていた人は少なくなかったはずです。
今よりも、働き方改革とかハラスメントとかが叫ばれていない時代なわけで。


親のヤバい話はヒットする

親の自慢話、武勇伝も同様です。
そう感じていたからこそ、自慢話、武勇伝の類は子どもに話しても効果は薄いとわかっています。

親の武勇伝を子に語ったところで、さほど教訓は得られない。それで、「がんばろう」とはなりにくい。

逆に、「小さい頃の父はこんなにしょぼかった」という話は、めちゃくちゃ真剣に聞いてくれます。
別に特別な失敗談じゃなくてもいい。
ありのままの失敗談やダメダメな話。

「大学受験のとき、数学ができなかったから、小5のレベルからやり直した」
「自分が小学生のとき、君たちが今受けているような中学受験の模試を受けても、たぶん1点も取れなかっただろう」

という類の話には、ものすごい食いつきで聞いてくれて、質問まで出ます。

そういう話をしていると、
「今回の模試よくなかったけど、父の昔はもっとしょぼかった」
と、立ち直りやすくなります。
それでいいのか悪いのかはわからないけれど・・・

一方で、
「父は、今は結構かしこいのに、昔はひどかった」
と、言われます。「結構」とか、失礼なやつだ・・・
ただ、そういう思いがあるからこそ、
「今はあまりできなくても、父よりはましだから、なんとかなるだろう」
という気持ちも持っているようです。


公立中学がいかにヤバかったか

さて、その最たる話が中高生時代の話です。

いつも前提で書いたり言ったりすることですが、別にすべての公立中学がヤバいわけじゃない。すべての私立中学の方が優れている、どこであれ私立中学へ行くべきだとも思わない。

高校受験より中学受験すべきだ、とも思いません。

どちらであっても、親が子を見て、中・長期の子育てビジョンを持って、我が子にとっての最適解を探った結果であればよいでしょう。

ただ、自分の経験値くらいの情報だけでものを言っていたり、フロックで成り上がったような人にSNSで
「中学受験は親のエゴだ」
「受験制度はガラパゴスだ」
「中受の勉強は意味がない」
とか言われると、ちょっとね・・・。

ヤバい中学受験をしちゃう家庭もあるかもない。
ヤバい私立中学もあるかもしれない。
けれど、本当にヤバい公立中学校の現実も知らないでしょ、と思ってしまいます。

少なくとも他人にとやかく言われる問題じゃない。

というわけで、子どもたちにも話す「私の通ったヤバい公立中」の話をどうぞ。


ブラック部活の話

朝練が毎日あり、夜は日が暮れるまで練習。もちろん強制参加。塾通いの子だけは早上がりが許されていました。
日が暮れてから、校庭を10周ほどして部活終了。
雨の日でも、筋トレを4時間くらいやります。
土日は毎週試合が入ってつぶれました。もちろん、夏休みも冬休みも春休みもない。つまり、プライベートはほぼない。
ゲームはおろか、やりたいことは何もできません。

少し着替えに遅れると、顧問から罵声を浴びせられ、殴られます。昭和の時代に生きた人は、身に覚えがある人も多数なはず。
「部活やだなー」以外の思考をほとんどしない日々。
やめたくても、「一度始めたことを簡単にやめるな」という親の根性論でやめることもできない・・・

書いているだけで、地獄だったなーと。
強制されるだけの3年間。
中学時代は、大会に出れば入賞して、メダルやら賞状やら取りまくっていたけれど、その競技は嫌いになり、今はもうやっていません。テレビでもその競技は見ません。

体力はついたかというと、全然そんなことはない。
すぐ疲れます。


素行不良の話

いじめは日常茶飯事でそこら中で横行していました。
最初は、特定の部活の中だけでゲームをして、負けたら罰ゲームが、どこまでも広がっていきます。
罰ゲームが、裸で逆立ちして校庭一周のような、漫画の世界。
昭和、ヤバいなー。

日替わりで、昨日はいじめる側だった子が、次の日にはいじめられる側になっていることもありました。
「タイマン」(1対1の喧嘩ね)はったらしく、顔に青タン作って登校する子も、ちらほら。

ある年に、短ラン、ぼんたん(今あるのかな?)を着た転校生が入ってきてからは、さらに荒れ方が増していきました。
その子は結局本職の方へ進んだという風の噂も・・・

法を犯すこともしばしば。
警察沙汰になっていることもよくありました。
修学旅行で、学生でごった返すお土産屋でどさくさに紛れて万引きしている人がいました。
しかも、万引きしたものはジッポって・・・
衝撃的過ぎて、鮮明に覚えています。
卒業後、暴走族に入った人たちも結構いるとかいないとか。

部活で忙しすぎたから、そういう世界にあまり巻き込まれなかったのは不幸中の幸いかもしれませんが。
どちらに転んでもやっぱり地獄のような中学校生活。


先生とか成績とか進学の話

そんな学校なので、秩序を正すことに先生たちも背一杯なんでしょう。
校則などによる締め付けはものすごく厳しかったです。

どの先生も軍曹のようだったけれど、中でも英語の先生は忘れられません。
教室に入ってくる段階から、基本的には不機嫌なオーラをまとい、全員がびくびくしながら授業を聞きます。
教育実習生がきたときは、授業中にいきなり英語で叱責していたこと・・・。もちろん生徒の前で。

友達がふざけて、
「〝Look at the マー〟ってどういう意味かわかる? 〝ざまー見ろ〟だよ」
と言っているのを、たまたま聞かれて、
「私の指導が疑われるからそういうことを言うな」
と真面目に怒られているなんてことも。

そんなわけで、全員かはわからないが、英語嫌いな人はとても多かったと思います。
中高と続いた英語嫌いは、予備校の先生のおかげで好きになりましたが。

そんな中でも勉強ができる人はいます。

学級委員で、生徒会長で、部活では部長で、成績は学年トップの子。
定期テストでは、毎回5教科で480点以上とって、実技教科もそつなくこなし、オール5の成績。
絵に描いたような優等生で、教師からの評判も最高レベル。

そのころの私は5教科200点台の劣等生。
どうしたらそんなことができるのか、と神を見るように眺めていたのを覚えています。

結局、卒業後、当時の最高峰の私立進学校へ。
ところが、大学はGMARCH。
私はいわゆるFラン都立高校から早稲田。
東大に行った人は聞いたことがありません。

大学ですべてが決まるとも思っていません。
彼より自分の方が優秀だったと言いたいわけでもありません。

今はどこで何をしているかわからないけれど、どこかで活躍して幸せに生きているならそれでいいでしょう。

人生なんてどこでどうなるかわからない。
でも、中学校時代の成績で決まらないのは確か。


自分で選択した進路の価値

最後だけ武勇伝になるから、子どもたちに威厳を保てるのかもしれません。

また、これは後で気づいたことなのだが、「性格の悪い人」が多かったな、と。
予備校、大学、就職をしていくうちに、高学歴な人と出会って衝撃だったのは、「世の中にはこんなにいい人がたくさんいるんだ」ということ。
他人のことを思いやって行動できる人がたくさんいる。

中学の頃の悪意剥き出しだった人たちはなんだったのか?
まあ、年齢によるものもあるでしょうけど。

性格は数値化できないし、個人の体感でしかないけれど、学力と「いい人度」はある程度相関すると思っています。
それが、「民度」とか言われる指標なんでしょう。

そんなわけで、うん十年前に通っていた都内の公立中は、かなりヤバかったです。どことは言わないけれど、今でも似たような学校はあります。
環境は悪かったな、中学受験したかったな、と常々思います。
ちなみに、都立高校もなかなかにヤバかったのですが、それはまたどこかで。

いずれにしても、「父、ヤバかった」という話の方が、子どもたちが自分の人生を自分ごととして考え、思考や行動につながっているのはまちがいない。
危機感を募らせて、「中高一貫校に入らなくちゃ」とはなっていないけれど、「自分で行きたい学校を選び、その学校に入れるよう努力しよう」とはなっています。

結果、受験を終えた息子は嬉々として毎日通っています。
こちらがうらやましくなるほどに。


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