能代記 其の一
ご無沙汰していました。9月で能代に来てちょうど1年半が経ちます。僕は周囲のお陰でなんとかこれまでの自分の姿勢を崩さずに、しかも頼まれる仕事はすべて引き受けています。あれやこれや、福島にいたときとほぼ同じ類いの仕事が向こうからやってきました。面白いものです。本来の仕事も上向きです。
さて、それ以上に、今年の6月から全く新しい仕事を始めています。とある会合メンバーです。月末から月頭にかけて五、六度能代から秋田市へ日帰りします。この仕事は、依頼あっていつもの様に何も考えず受けたのですが、その後酷く大変なことが分かりつつあります。大まかに言うと、この組織でこれまで二十年以上も続くとある規則(即ち前任者、或いはまたその前任者が設けた規則)と僕の考えに齟齬が大きいのです。そうなると自分がその規則を受け入れるのか、或いは組織に規則を改めてもらうか、どちらかしかない。
考えるだにむかむかして吐きそうです。
しかし僕はごく当たり前の現在スタンダードな考え方を述べているのであって、僕が考えを変える必要はこれっぽっちも無い。つまり、僕にしてみれば組織が何故か玉虫色の極めて鵺的なローカルルールを運用していると言うことなのです。お金が大きく絡む事なので恐らくは秋田県のドンに誰かが(前任者が)忖度して損が生じないよう極めてグレイなルールを主張してそれが罷り通っていたと言うことなのでしょう。
仕事を始め当然のように意見の相違は3か月で表面化しました。新任の僕がオカシナ事をしている、と。そして遂にここ数週間で火花がバチバチと散る事態がありました。担当者が書類を持って何度か僕のところへクレームに来ました。そのたび僕は身体が強張り顔は青ざめていたと思います。詳細割愛しますが、いろいろ意見交換をして結果、なんと組織が折れたと言いますか、当該運用規則が僕の意見に沿って全面改訂というオチが着くこととなったのでした……。
しかしこんなバカバカしいこと、心底疲れます。本当に吐き気がします。だけどお陰様で能天気な僕は士気高く元気です。それで愚痴を溢しにここでお父さんに話そうと思いました。また来ます。今日はこれくらいで。