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かくなるものと 知りながら
皆さんこんにちは。坂竹央です。
トンガで起きた大規模な噴火において被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
トンガは2020年東京オリンピックの選手入場の際に、見事な肉体美を晒してトンガ国旗を持った旗手・ピッタ=タウトファさんで一躍注目を集めましたが、実は歴史的には我が国よりも先に憲法を導入し、現在も大枠はその憲法のまま国家運営がされている由緒ある立憲君主制の国家だそうです。
実は私の妻が小学校6年生の時にトンガにホームステイしたことがあり、ご飯も美味しく、平和で美しい国だったと聞いています。
多くの人は、ここでTwitterにお見舞い文を書き込んだり、有名人や自衛隊などのTwitterにリプをしたり、ヤフコメなどに書き込みをするのだと思います。
実際、自分もそれをやろうかと思ったことがあります。
しかしできませんでした。
正直言うと、私の記事も多くの方に読んでいただき評価を頂いてはいますが、まだまだ名が売れているわけでもなく力不足を日々感じています。
邪なことを言えば、宣伝が足りていないのだからトンガ噴火にかこつけて、あちこちにリプを飛ばしたりしてもいいわけです。
はっきり言ってしまえば「売名」行為ですよ。
でもね。そんなことできません。
人様の不幸にかこつけて自分を有名にしようとか、お金を稼ごうとか出し抜こうとか。
そんな生き方を私は両親や先祖から教わっていません。
お金持ちになろうとおもったり、世間で発言力を得ようとする方にとってはとんだ甘ちゃんなのかもしれません。
歴史を見ても、すべからく権力者になった人々は他人の不幸などを自分のチャンスに変えてきました。
豊臣秀吉は本能寺の変で主君・信長が横死したときにひどく嘆き悲しんだ一方で、これを好機と捉え逆臣としての明智光秀を討ち、信長の葬儀を取り仕切り、清須会議で主導権を握り、重臣・柴田勝家を倒して織田家を手中に収めました。
そして信長の死からわずか4年後には太政大臣となり天下人となります。
漢を興した劉邦は、広武山の戦いで食糧難に陥った項羽と和睦を結ぶも、弱り切った楚軍を後方から約束を破って攻撃し、ついには垓下・烏江へと追い詰め項羽を討ち取り天下を収めました。
人様の不幸の時に名を上げてこそ有力者になれるというのは歴史が証明するところです。
じゃあ自分がそれをするのか、といったら出来ませんし今後もやりません。
そりゃあ家族を豊かにしたいですし、明日のお金のことを気にする生活なんて送りたくはありませんよ。
でもね、人としての尊厳まで自分で手放したら、もう何ていうか生きている価値がないような気がするのです。
お金とは友達になれても、一番大切な自分自身、自分への誇りという友人を失ってしまうと思います。
武士は食わねど高楊枝、という言葉があります。
徳は孤ならず必ず隣あり、とも言います。
たとえ歴史の教訓から権力者やお金持ちになる術を学んだとしても、私は自分の誇りを捨てて生きるほど強い人間ではありません。
私の敬愛する吉田松陰先生は、ペリーが浦賀に2回目の来航をした際に海外のことを知ろうと黒船まで小舟で漕ぎ寄せ、幕府に内緒で密航を企てますが失敗し牢につながれます。
この時にこのような和歌を詠んだといいます。
かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
有名になれるかもしれないと知りながら、売名などして誇りを失うことなどできぬ、と押しとどまってしまう人間でございます。
売名とか炎上とか、そういう世間の喧騒から逃れたところで世界の片隅にひっそりと生きる一介の人としてこれからも生き続けようと思います。
お読みいただきありがとうございました。
令和4年1月21日
坂竹央