[自己紹介] フランス🇫🇷で始めた小さなオリジナルブランドのストーリー
はじめまして、hiromiと申します。2010年に東京から結婚を機にパリに移住し、2014年から1年間、ロンドンとパリを行き来し、そして2015年にフランスに戻ってきました。現在はフランスの西部、ロワール川河畔に位置する都市在住です。
2012年にパリで起業し、小さなブランド HIROMI ✈︎ PARIS を立ち上げました。フランスから世界に自分の商品を届けて今年で9年目を迎えます。
パリに住んでいた頃に”パリブログ”なるものを4年間続けていましたが、仕事に関しては書いたことがありませんでした。
今年(2021年)で在仏11年目、最近になって初期の頃を振り返り、"これからやりたい事"について考えている今のタイミングでnoteと出会って、頭を整理する意味でも仕事のことを綴ってみたくなりました。長くなりますが、どうぞお付き合い下さい。
日本での仕事
パターンメーキングを学び、パタンナー(洋服の型紙を作る人)として某大手アパレルメーカに新卒で入社しました。パタンナーはデザイナーよりも目立たない裏方仕事ではありますが、アパレル業界を支える重要なポジションです。技術職なので、一人前になるのには何年かかります。
当時は作れば売れていた時代で、とにかく忙しかったのを覚えています。毎晩遅くまで残業していたな〜(遠い目)。いくつかのブランドに携わり、デザイナーズブランドの立ち上げも経験しました。 メンズもレディースも両方のパターンが出来るようになったのは収穫でした。CAD(服の型紙作りに欠かせないコンピュターシステムのこと)も使えるようになったし。
数年後、別の1社で海外ブランドのライセンスの仕事、それから立ち上げたばかりの小さいアパレル会社に移りましたが、その間もずっとパタンナーとして働いていました。
立ち上げたばかりの会社が急成長し、今までの人生で一番働いていた時期だと思います。 よく土日も会社に出勤していましたし、とにかく仕事に追われて必死でした。やりがいは感じていたし、他の仕事は考えられなかった。
そうしているうちに、ファストファッション(最新の流行を採り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで大量生産・販売すること)ブームが始まり、どこの会社もコストの低い中国や東南アジアなどの海外の工場で生産を始めるようになりました。私がいた会社も同様で、それまではずっと国内の工場で丁寧な妥協をしない物作りをしてきたのに、それができなくなっていくことに不安や遣る瀬無い気持ちがありました。
大量生産・大量消費・大量廃棄の社会経済システムに疑問を持ち、以前のようなモチベーションで仕事をすることが出来なくなってしまいました。
その頃始めたのがフランス語の勉強でした。社長からは「やるなら英語でしょう」と言われながら、どうしてもやりたかったのがフランス語でした。
以前、仕事でパリに初めて訪れた時に、「ここに住んでみたい」と思ったのを覚えています。あれから数年経ち、再びその気持ちが膨らんできたからです。
2008年、勉強の甲斐もあってフランス語検定2級に合格しました。
2009年、後に夫となるフランス人と出会うことになります。仕事から離れて、好きな場所で、今後のことを考えたかった時期だったので、良いタイミングでした。
”パタンナーとしての仕事はやりきった〜” と清々しい気持ちで退職できました。周囲は突然の決断と思っていたでしょうが、私的には計画通り。
フランスに移住する
2010年の2月、日本を離れてパリに移住しました。ここが人生のターニングポイントになりました。
直ぐに語学学校に通い、忙しい日々には変わりはなかったけれど、久しぶりの学生気分を味わうことが出来て楽しかった。その頃は半分旅行気分で、まだフランス生活の大変さが分からず、”旅行で滞在するのと実際に住むのはかなり違うな〜”と後で実感することになります。
何をしたいのか分からず悶々とする
ようやく語学学校も終了し、心から開放感を味わいました。と同時に”これからどうやって生きていこう”とやりたいことを探すことになります。
取り敢えず始めたのが”パリブログ”で、美術館に行ったり、パリの街を散策したり、国内外を旅行をしたり、色んな体験を日々綴っていました。
私は何が好きで、何が苦手で、何にワクワクするかを日々の体験から自分に問いかけてはみても、仕事に出来るかどうかが分からず、半年ぐらい悶々としながら日々を過ごしていました。
洋服のリフォームを始め、そこでピン!ときた
半年経った頃、退屈しのぎにミシンを買い、小物や自分の洋服を作って楽しんでいました。
ある日、近所の人からパンツの丈上げを頼まれて、喜んで受けていたら、あちこちから洋服のリフォームの依頼が来るようになりました。
依頼を受けるのは嬉しかったけれど、ワクワクするかと言えばそこまでではなかったんですよね。並行して好きな小物を作ってはフランス国内のイーマーケットプレイスで売っていました。あくまで趣味の域でしたが、時間を忘れて楽しんでましたね。
「できること」と「やりたいこと」の違いを実感しました。
そんなある日、とある男性からトートバッグを作って欲しいと依頼がきました。 その時にEtsy(エッツィ)の話題になって、なんかピン!ときたんですよね。
これだ!って思いました。
Etsyとは、アメリカのEtsy, Inc.が運営している、主にハンドメイドやビンテージの雑貨、洋服などを扱うイーマーケットプレイスのサービスです。世界に向けて販売できるし、何よりサイトのお洒落な雰囲気、デザインにワクワクしました。
売りたい商品を絞る
Etsyというイーマーケットプレイスにワクワクした私は、今まで作成した中から世界に向けて売りたい物を絞り二つのカテゴリーに分けました。
*旅行 (voyage) 主にトラベルランジェリーバッグ、ランドリーバッグ
*ルームウエア(pyjama) 家でくつろげるショートパンツ、ロングパンツ、キャミソール等
作りたい生地はすでにピックアップしていたので、型紙を作り、試作品作りを急ピッチで進めました。
その中でもトラベルランジェリーバッグが今ではショップで1番の人気商品になり、作ったバッグは累計3000個以上。そのトラベルランジェリーバッグの誕生秘話については別記事で改めて書きましたのでご覧下さい。
ついにHIROMI✈︎PARISショップオープン
試作を繰り返しつつ、フランスで個人事業主としての登録を終え、ついに2012年の8月にEtsyと、今は無くなってしまったフランスのイーマケットプレイスの2サイトでHIROMI✈︎PARISのショップがオープンしました。
最初はなかなか売れず。。。。でも試行錯誤しながら、少しずつ売れてきました。海外のブロガーの方々の目に止まってブログで紹介していただいたりもしました。
ネット販売だけでなく、地元で開催されたエクスポジションに参加したりもしました。
洋服を続けるか、やめるか
フランスはもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、アジア各地からオーダーが入るようになって、トップスやワンピース、スカートなどの洋服まで拡げていきました。 しかし洋服はサイズ展開する必要がありました。
アメリカ、ヨーロッパ、アジア人の体型はかなり違ってくるので、2〜3サイズの展開にとどめてはみたものの、それぞれに対応すのが大変になってきました。
ネットでは試着が出来ない為、届いてサイズが合わない場合は返品になります。 サイズごとに在庫の偏りも出てきました。
う〜ん、人を増やして体制を整えて洋服を続けるか、洋服をやめるか、二つに一つ。私は自分の身の丈に合った、キャパを超えない範囲で出来る方を選ぼうと思い、潔く洋服をやめることに決めました。
昔みたいに仕事漬けの毎日には戻りたくなかったから。今となっては拡げなくて良かったと思います。
トラベルグッズに特化したブランドに
サイズのバリエーションはあっても、試着不要のトラベルグッズに特化したブランドに絞っていきました。その後メンズも展開していきます。
現在の収入は日本で会社員として働いていた時よりも少ないけれど、以前より今の私は、何より自由で、幸福度が高いと実感しています。
今後を考える
2020年、私達にとって非常に厳しい年になりました。フランスでは2度のロックダウンを経験しましたし、現在も夕方18時〜朝の6時までは外出禁止令が出ています。大きな商業施設や映画館、レストラン、バー、カフェは全て閉まっています。 1度目のロックダウンは郵便局も閉まっていたので、発送が出来ず、私も2ヶ月間ブティックを休みました。
皆が旅行に行けなくなり、トラベルグッズを売る私のお店も厳しい状況ではあります。今後どうするか、何をやめて、何を新しくするか、新たな挑戦の始まりかもしれません。正直悩みます。地球の環境の為に物作りを減らすべきではないか?私が作るものが本当に必要な物なのか?とか。。。。
今考えていることは、商品や包装に至るまで地球や人に優しい素材を使い、在庫を持たないオーダーメイドにすれば、必要な人に必要な物が届けられるし、無駄が無いのではないかということです。
旅行が再開できる日を楽しみに、新しい取り組みをしていく過程や物作りについて等、これから綴っていけたらと思います。
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