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移住の先に私がこの国で得たもの

私が日本を離れたのは2010年の2月のこと。
とりあえず3年は住もうと決めて、パリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。
あれから丸13年過ぎたなんて、こんなに長く住むとは思っていませんでした。

学生の海外留学や情熱に満ち溢れた若者達とは違って、いい大人になってからの移住。「決断は大変だったでしょう?」と言われることがあるけれど、そこまで迷いは無かったんです。「住んでみてダメなら日本に帰ればいいや」くらいの思い切りの良さでした。


移住を決断したキッカケ

どうしてそんな思い切った決断ができたのか?
実は移住の1年半前に人間ドックで病気が見つかったんです。幸い初期の段階だったので、手術を受けて、無事に完治しました。
仕事に復帰はしたものの、「ここが人生の変え時のサインだな」と気づいたんです。

そして、病気をしたことで「このまま一生を終えたら後悔するな、やりたいことはやろう!」と思えたのも後押しになりました。
後悔することはなんだろう?と自分に問いかけた答えが「フランスに住む」ことでした。
人って何か大きな出来事が起きないと変わらないし、決断できないのかもしれませんね。

なぜフランスだったのか

移住先はフランスのパリと決めていました。
出張で最初にパリを訪れた時、「いつかここに住みたいな」と思ったんです。
と言うか、直感で「いつかここに戻って来るだろうな」と感じたのが正しいのかもしれません。

私の泊まったホテルがサンジェルマン・デ・プレにあって、着いた瞬間に「この場所、なんか知ってる」という懐かしい感じがしました。
今思えは一種の「デジャヴュ」体験だったのかもしれません。皆さんもこんな体験したことありませんか?
ちなみに「デジャヴュってフランス語の「déjà vu」で、「既に見た」という意味なんですよね。
出張の合間にパリの街を歩く度に益々その感覚が強くなっていきました。
わ〜パリ!って感じじゃなくて、自分が街にすっと馴染む感覚だったんです。

凱旋門とかエッフェル塔などの観光地にはさほど興味がなく、古いパッサージュやマレ地区の何気無い通りを歩く方が好きで、小道に入ってみたり、小さなお店を覗いたりしていました。

2区にあるパッサージュ・デ・パノラマ

どの国に行ってもそんな感じで、昔から続く人々の暮らしを垣間見れる感じが好きなんです。

例えばパリ、昔の薬局だった場所に洋服屋さんがあったりします。外の外装や看板はそのまま残してあるのに、不思議と違和感がないんです。
そういうところがフランスの魅力の一つだと思います。

5区にあるお店。元薬局で、今はmajeという若い女性に人気の洋服屋さん。
実は150年続いた歴史ある薬局でした。


帰国してからの数年間、思えば色々サインは来ていました。
なぜか選ぶ物がMade in Franceだったり、フランス人の方に出会ったり、フレンチに誘われたり、フランスに縁のあることが増えてきました。
そんな自然の流れでフランス語のスクールに通い始めたんです。そのスクールで仲良くなった女性がドイツ人の方と結婚して、移住しました。それを間近で見ていて、「こんな生き方もいいな」と思ったんですよね。
その後、少しフランス語が話せるようになって、何度かフランスに一人旅をしました。

パリは華やかで、おしゃれな印象があると思います。雑誌や他の媒体でもそんな一面だけを特集されることが多いから。
しかし実際のパリやフランスには色々な側面があって、決して憧れだけでは住める場所ではありません(実体験)。
実際に「パリ症候群」という言葉もあるくらいですから。
「パリ症候群」は現地の習慣や文化などにうまく適応できずに精神的なバランスを崩し、鬱病に近い症状を訴える状態を指す精神医学用語だそうです。
いわゆる適応障害の一つですね。

フランス語のスクールで使用した資料には、実際のフランスの生活、様々な社会問題などが取り上げられていました。内容によってはイメージと現実のギャップにちょっとビックリしたのを覚えています。

日本人が持つフランスのイメージとは違う部分も理解した上で、やはり移住することを決めました。
理由は冒頭に書いた通り、「後悔したくなかった」から、そして最初にフランスを訪れたときの直感を信じて。

決断すると運命の歯車が回り出す

移住を決断した後は仕事を続けながら、水面下で少しずつ調べていきました。
どんなVISAがあるのか、どの語学学校にするか、どこに住むか、お金はどうするか、向こうで何の仕事をして生きていこうか(この時点で全くの白紙状態)。。。。

そんな時に出会ったフランス人が現在の夫です。その出会いは突然で、でもベストタイミングだったと思います。男友達の一人でしたが、色んな偶然が重り、そうこうしているうちにパリで一緒に住もうということになりました。

この出会いによって移住への道のりがぐっと近づきました。
移住を決断した時には彼のことは知らなかったのですから、まさに「決断すると運命の歯車が回り出す」瞬間でした。

追い風に乗って進む

一緒に住むことを決めて、先ずは家族に報告です。
両親は遠い異国に行く娘に対して、反対はしなかったですね。どんな時も私が決断したことに対して、両親は陰ながら応援してくれていましたから。
今回も娘を信じてくれていたんだと思います。

そしていよいよ会社を辞めることを伝える時が来ました。本当は希望する時期(半年後)に辞めることができるかな?と不安でした。重要なポストにいたので、引き延ばされそうな気がしていたんです。
ところが、上司や同僚達からは、盛大に祝福してもらい、希望の時期よりも少し早めの退社を受け入れてもらえました。

とりあえず学生VISAで渡仏して語学学校に通うことにしました。
当初は2010年の1月に学生VISAを申請する予定にしていたのですが、1月から申請方法が変更になる情報が耳に入ってきました。
確かキャンパスフランスの手続きをしてから、フランス大使館でVISAの申請をするようになったと記憶しています。

それを避ける為に12月中にVISAの申請を終えたいなと考えていた時に、手続きを手伝ってくれる人が見つかり、スムーズに準備が進みました。
12月初旬にはフランス大使館に出向いてVISA申請を終え、渡仏1ヶ月前には無事にVISAを取得することが出来ました。

渡仏荷物も早々に船便で送り、追い風に乗って、あれよあれよと言う間にフランスに移住したのでした。

移住の後にもまた移住

渡仏して半年後に結婚し、学生VISAから配偶者VISAに切り替えました。
5年間はパリに住み、その間の1年間はパリとロンドンの2拠点を行き来していました。
2015年にパリ同時多発テロ事件が起きたのはご存知のことと思います。
私たちが住んでいた11区でも発砲事件が相次ぎました。歩いてすぐのところです。
その時は運良くパリから離れていて無事だったんです。今考えても恐ろしい。。。

以前から気になっていた治安の悪さや、大気汚染の問題もあって、私たちはパリを離れることに決めました。
もっと落ち着いて、安心できる場所で生活したかったから。

その後、フランス西部、ロワール川河畔に位置する地方都市に移り住み、現在に至ります。2021年から都市と田舎の2拠点生活をしています。

2拠点目の田舎の風景
ここはリラックスできる場所です

私も結構移動してますが、夫は更に海外生活が長かったので、私たちにとって住む場所を変えることに対してあまり抵抗がないのかもしれません。

最初から決めていたのか?

ここからは仮説になります。
この移住に関して、実は生まれる前から決めていたのかな?と思うことが時々あります。ここでは書きませんが、そうじゃないと説明できない偶然が色々あったから。
きっとあのタイミングだったから移住できたんじゃないかな?とか。
もっと前でも後でも叶わなかったんじゃないかな?とか。

物事が上手く進む時というのは、自分の深いところにある願いと一致している時なのかもしれないなと思ったりします。

仮に、もし生まれる前から決めていたならば、移住が叶ったその先に、本当に得たいもの(あるいは学び)があり、移住はその為の序章でしかなかったのではないかと思えたりもします。

移住の先に私がこの国で得たもの

じゃあ本当に得たいものは何だったのか?
この国に住んで私が一番得たもの、それは「自由」じゃないかと思うんです。
「自由」と聞くと、どんなことが思い浮かびますか?
私が得た「自由」今までの思い込み、抑え込んでいた感情、価値観、制限などから解放されて、素の自分を生きることです。

私は意外と人見知りで、人の目を気にする、人に気をつかうタイプでした。
やりたいけど遠慮したり、言いたいけど我慢したり、気を利かせ過ぎて疲れるみたいな。

そして、自分の思い込みや価値観に関しても、
女性はこうあるべき、仕事とはこうあるべき、時間は守るべき、○○しないといけない、○○やるべき。。。。etc
すごく視野の狭い、制限の多い窮屈な世界に生きていたなと思います。

どのように解放されていったのか

フランスに根を下ろして、本格的に生活する中で、それらを強制的に解放せざるを得ない事が次々に起きてきたんです。

パリを離れてから特にそうでした。パリには日本人が多いし、日本人の様々な分野のプロの方がいらっしゃるので、何かあっても頼ることができました。
ところが、日本人がほとんどいない場所だと、完全にフランス社会の中で揉まれることになります。いわゆるアウェイ状態です。
そしてフランスの家族や知人との付き合いにおいても、ここで詳しくは書きませんが、色々なことがあったんです。

日本での社会人経験が長く、日本人共通の常識、習慣、価値観の枠の中にいた私は、違う文化や生活に触れることで、今までの思い込みや、抑え込んでいた感情、価値観と向き合うことになりました。
フランスの生活や関わった人達を通して、鏡の様に、それらが浮かび上がってきたのです。

そこで、私は少しずつ「自分で作っている枠」を外していくことになります。
何度も自分自身と向き合いました。その間には体や心の不調が続き、辛いと感じることもあったんです。やはり心と体は連動してるんですよね。

でも、全て必要な経験だったと思います。そして沢山の気づきや学びがあり、一気に世界が広がってく感じがしました。
例えるなら、「狭い囲いの中で生活していた羊が、ある日、囲いを出てみたら、実は広大な放牧場の中にいたことに気づいた」感覚です。

自分と向き合う時に助けになったのが、毎朝やった瞑想とヨガで、今でも続けています。

よりナチュラルに、よりシンプルに生きる

今では言いたいことは言いますし(主張しないと、この国では生き辛い)、人目は気にしませんし、良い距離間で他人と関わることが出来るようになってきました。
そして、前より考え方がシンプルになり、生きやすくなりましたね。
他人が自分とは違う行動や考え方をしても、「そうだよね」ってリスペクトできるようになってきたんです。

様々な国籍の人達と交流し、私も外国人として生活しているわけで、価値観の多様性を受け入れることが当たり前になってきたのだと思います。

さらにフランスの国民性の影響も大いにあります。個人主義が徹底した国だから、全員の考え方が違っているのは当たり前。人は人、自分は自分というスタンスで、我慢というものをこの国の人たちはしないんです。
時には「自由すぎるでしょ!」とツッコミを入れたくなることはありますけどね(笑)。

今は心も体も以前よりナチュラルな状態でいられます。それでも昔の思い癖が時々出てくることはあります。
そんな時はすぐに気づいて思考を変えるようにしています。

前より自由になったことで、感情を素直に表現できるようにもなりました。
もともと私たちは感情豊かだったはずなのに、成長する段階で感情を抑えることを覚えてしまったんじゃないでしょうか。

感情はその場で感じて、その感情がどこからくるものなのか探っていくと、色んな気づきがあります。そして、また1つ手放して「自由」になれます。

もし私がフランスに移住していなくても、別の道でこの「自由」を体験したかもしれません。あの時、私が選んだ道が移住だったということなのでしょう。

最後に自分の枠を外したい大人の方に一つ提案です。
どこか気になる国に旅行ではなく、しばらく住んでみるのはどうでしょう?
慣れ親しんだ場所から離れて、全く違う文化の国で生活すると、強制的に枠が外れるかもしれませんよ。
その際には、日本人のコミュニティーとは少し距離をおいて、その国の人達の中に飛び込んでみることをおススメします。



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