石川へ度々④能登編:移住体験で初の奥能登入り
コロナを機にリモートワークが導入され、勉強もリモート、逆に言えば家にいてもデジタル漬けで身体感覚が取り残されたワタシは危機を感じていた。
国が地方創生を推進していることもあり都会から郊外や地方への移住者は増えている実感はあったが、私の中にも「移住」という考えが浮かんできた。年に1〜2回のペースで北陸、石川へ訪れるようになっていた2021年頃だった。
フットワークは軽く、ふらり旅立ってしまう体質だけど、やはり旅と暮らしは異なる。ともかく、ググっていると「移住体験」なるものがあることを発見。
この手のサービスは自治体によってバラつきがあるけど、石川県に関しては能登の玄関口と加賀に複数家があり、移住検討している人は7日間まで無料で宿泊できる。話を伺うと滞在中は色々と案内してくれるという。暮らし体験なら「冬の時期に来るのがいいんじゃないですか」という最もな意見に従って雪の降る頃にお世話になった。
いざ、石川でお試し移住
移住コーディネートをしてくれる事業所のボスはTさん。ワタシを能登へと誘ってくれた方だ。とにかくフットワークが軽く、飄々とし、涼しい顔でスイスイ仕事をこなす方。
4,5日滞在したが、Tさんと他コーディネーターさんはワタシの行きたいところを全て周ってくれ、他にもおすすめスポットや店に連れて行ってくれた。思い出せるだけでも結構な数だ。これ、他の自治体ではなかなかこうはいかないと思う。本当にありがたい。
ワタシの移住候補は小松であった。東京から金沢では意味がない、けど交通の便も街の感じも加味すると小松が現実的かな、と思っていた。
石川のあらゆることに精通しているTさんは能登に愛着を持っていることが伺え、せっかくなら能登へも、と誘ってもらっていた。なので宿泊は最初、能登の玄関口である宝達志水町にある一軒家へ。リアルな民家で一人過ごすのは若干テンションが下がるので、初日から台所を使って過ごした。台所にいるのが落ち着くのだ。
いい空気が漂う七尾のヨットハーバー
廻ったところを一つずつレポートする長いので、印象的なところを。
2日目、Iさんに、能登の玄関口辺りでいくつか廻ってもらった。Iさんは能登の方で、センスがよく、鼻が効くという感じの女性。
彼女に連れて行ってもらった七尾のヨットハーバーがすごく良かった。ヨットハーバーの目の前にあるカフェ、その向かいには牡蠣を売っている店もあり、景色共々かなり素敵。
能登に惹かれる人
このカフェの店主は以前はセーリングで世界中を旅して周っていた方らしく、店内では外国のラジオが流れ、いい空気が漂っている。目の前の景色と彼の醸し出す空気感が合わさって、なんとも「いい〜」のだ。
他にもどこかで聞いたけど、能登には日本を出て海外で過ごした方が戻ってきて住む場所でもある。
チェーン店は少なく、娯楽施設も少ないこの能登に住む人は(他の地方でもそうだけど)やはり消費社会へ乗っからず、自分たちの暮らしをクリエイトしようというタイプの人が多いように感じる。暮らしぶりが自立している。
カフェの向かいにある、「能登牡蠣」の店がまた味わい深い。牡蠣を買って自分で調理したけど、初めての体験だった。もちろん絶品だった。
アジアを感じさせる輪島朝市
3日目はいよいよ奥能登。一点、能登でどうしても行きたかったのが輪島の朝市。起源は平安時代に遡る、千年を軽く超えて続いてきた、日本三大朝市の一つ。それだけで涙が出そうになる存在だ。続いているというのは、かつての人たちの息吹も積み重なってその「場」が形成されている。文明開化以降、道路使用許可が下りないとか観光地化されたとか、色々あって当然だが、とにかく正午までは歩行者天国で朝市が開かれていた。
到着した時は、正午に近く、コロナの時でもあったので市もまばらだった。だけど、チラリ店を覗くと商売人の声がけが始まる。どこの店も商人気質。
なんだろう、この感じ……アジアだ!インドでも東南アジアでも活気のあるところってこんな感じ。このリズムに乗ってこちらも駆け引きをする。本来物が行き交う場は人の交流もセットであることを思い出せてくれる。「日本にも残っている!!」という嬉しい手応えがある。
少し立ち寄るとどんどん乗せられていく。荷物が増えても困るのだけど……気付いたら能登の魚醤「いしる」を買っていた。漆の店に入っては、輪島塗の箸を買っていた。買わずに店を出られない空気が満載なのだ。
輪島朝市の名物だという「えがらまんじゅう」もありつく。店もまんじゅうもとにかく可愛らしく、美味しかった。大満足。
輪島朝市のような場は次元の異なる心地良さを感じる。大きな存在に包まれているような。霊力はなくとも感度の高いワタシにはここで過ごしてきたヒト達の息吹が感じられる。この生きた市場のあり方は日本に残された宝の一つである。「自分の生まれた国に歴史があって良かった」とはかつて旅で世界を廻ってた知人が漏らした本音である。
この通りも店もみんな焼けてしまった……嘘のような現実。今回の火災で廃業する人も出るだろう。だけど、1200年続いた朝市をそう簡単に諦めない人は沢山いると思う。自分に何ができるのだろうか、微力でも力になりたい。組合のサイトでは募金も募っている。今できるのは募金やクラファンかな。
日本で唯一継承してきた揚げ浜式の塩
輪島の後は珠洲へ。沿岸の国道249号沿いに、NHK朝ドラ「まれ」でも有名になった揚げ浜の塩田地域がある。江戸時代からこの伝統技術を守り続けているのが角花家一軒のみ。
500年以上も前から続いたこの技術も、明治38年に塩が国の専売になり、生産性が低い、と揚げ浜式は消滅の危機に。昭和34年には海水から直接塩を作るのが禁止。角花家を含む3軒だけが伝統技術の保存を目的に許されたが、最終的には一軒に。数百年前の技術を現代行うのは超ハイパフォーマンス。97年に国の専売が廃止されてたが、新規でやるのはかなり気骨ある限られた人で、現在も数軒ほどがここで塩を作っているよう。
Tさんの計らいで角花さんをちらり訪問。偶然居合わせた現在6代目の方と立ち話でき、ほとんど流通していない角花家の塩も購入できた。
数分の立ち話ながらも、伝統を残すことの重要性を自覚しているのは容易に見て取れる。ただ、人によってはここで一生塩づくりすることに喜びを見出すのは難しいのでは? 若い頃なら尚さら。
「他で生きていこう、という気持ちはなかったのか」と軽く尋ねてみた。朴訥としつつ「守らないといけない」というようなことを言う。自我や個から解き放たれた境地にいる人間は強い。こういう人がいるのが能登なのだ。
こういう時、つくづく自分は都会の人間だ、と鏡のように自分がうつされてしまう。Tさんが見せたかった能登、ほんの少し垣間見させてもらった。
今年の地震での被害状況はわからないが、塩づくりの別の職人は亡くなり、また別の方が被災後に初めて塩炊きをした、とニュースがあったので、まだ厳しい状況なのだろうな。
映画の舞台にもなった「さいはての珈琲屋」
その後、Tさんが立ち寄ってくれたのは船小屋を改装した、という珈琲屋。その小屋は現在は焙煎所で、カフェは街の方にあるという。
現在のオーナーの祖父の船小屋を改装してはじめた珈琲屋。その珈琲屋こそ、永作博美主演の映画「さいはてにて」の舞台にもなった「二三味珈琲」であった。
ここはサイトやSNSもないけど、映画の影響か全国的にもファンが多く有名。ワタシが珠洲に行った、というと「二三味珈琲行ったの?」という友人がいたほど。
珠洲の町中、飯田町にある二三味珈琲はお洒落なカフェだった。ここは町のインフラ、道路なども区画整理されたのか、と思うほど綺麗。芸術祭が行われることが関係しているのかはわからないけど、錆びれてない印象だった。
この辺りでは少し目を凝らすと芸術祭の名残を発見できる。ちなみに二三味珈琲では店内の陶器などもアーティスティックで素敵だけど、これは芸術祭と関係ないらしい。
そして二三味珈琲ももちろん被災はしているが、奇跡的にマグカップは一つも割れずに済んだようで、オーナーは珠洲を離れない、と復興への決意を固めている。よかったら検索してニュースを見て欲しい。
珠洲に関してはまた別の会で書くけど、この数時間の奥能登体験はなかなか印象的であった。「さいはて」と呼ばれるこの珠洲、本州で一番人口の少ない市に年間100人近くが移住してきている。珈琲の後は近くのガクソーという移住者が立ち上げたNPO法人のサブカルスペースに押しかけた。
ほんの少しの滞在でもここは少し違う、という感触があった。能登はちょっとハードルが高い……と思っていたワタシもついに能登デビューを果たしのたである。