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0174 ジャーナリングをして得た気づき

夜にもやっとする出来事があって、
また頭の中だけで考えていると
どんどん自分が被害者になって。

私はこんなに寂しかった。
こんなに悲しかった。
こんなに惨めだった。

そんな思いに頭の中が占領される。

私が被害者。
私はどうしたらよかった?
私の配慮が足りなかった?

だってあの時だって、
この時だって。

そんな気持ちがどんどん溢れてくる。

私は被害者。
もうこれ以上無理かも。

そんな気持ちになってしまう。

どうも気持ちが落ち着かなくて、
早く寝たほうがいいと思いつつも
やっぱりジャーナリングをしてみる。

そうすると、
すぐに気づきがある。


あ、これ私がやっちゃってることじゃん。

これ、私が被害者なんじゃなくて
わたしもやっちゃってるよって気づかせてくれている
出来事なんじゃん。

うわ。
こんなみ惨めで、悲しくて、
大切にされていないっておもってたけど
私がやっちゃってるんじゃん。

しかも、一番大切な大切な
自分の子どもたちに。

こんな惨めで、悲しくて、寂しい思いを
させてしまっているなんて。

自分がそうされていると思うのは簡単で、
それをさらに怒りに変えちゃったりして
周りにぶちまけるってことをずっとしてた。

今でこそ、もう怒りをぶちまけることはないけども
自分一人で寂しさと惨めさと悲しみのヒロインに
なるってことは最も簡単にできてしまった。

おっそろしい。
わたしにジャーナリングという手段があってよかった。

もしジャーナリングしていなかったら…

今もなお、私は惨め、私は悲しい、私は寂しい。
そんな思いで自分を悲劇のヒロインにしていたんだ。

こわっ。


ちょっとジャーナリングをするだけで、ちゃんと気づける。
昨日気づいたのは、たったの7行書いた時だった。

こんなことが悲しかった、惨めだと思った。
あれ、でもこれ、わたし子どもにもしちゃってるじゃん…
そう気づいた。

頭の中で、何時間も考えていても出てこなかった思考が、
たったの7行書いただけで出てくる。
時間にして、ほんの数分。

悩むこと、悲しいと思うこと。
イライラっとすることがあったら
とにかく何にイライラしたのか、
何に悲しいと思ったのか
何が惨めだと思ったのか。

全部書き出すといい。

自分が悲しいとか、惨めだとか、
寂しいだとかそんな気持ちを認めることも
難しいかもしれない。

これまでの寂しい気持ちや
惨めな気持ちをなかったことにするために、

わたしは惨めなんかじゃない。
悲しくなんかない。

だって自分一人で全部できるもんって、
どんどん自分一人でできることが増えて
どんどん強くなっていって、
どんどん自分の寂しさや悲しさや惨めさに
蓋をしてしまっているかもしれないから。

惨めな自分、寂しい自分、悲しい自分なんて
認めたくないもんね。

そんな可哀想な自分になりたくないもんね。

だけれども、いいんだよ。
どんな感情も、ないものとしていいわけじゃない。

いつもうれしい、楽しい、幸せ。
そんな気持ちばかりだったらいいかもしれない。

だけど、それだと鈍感になっちゃうかもね。

せっかく喜怒哀楽っていう感情があるからさ。

どんな自分の気持ちも大切にしてあげたらいいよね。


そう思えるようになったのも、
ジャーナリングをしたおかげなんだよね。

よろこびも、怒りも、悲しみも楽しさも。
全部、平等に大切な気持ち。

無いほうがいいものなんてない。
存在するものには、全て意味がある。

そう気づかせてもらえたな。

そして、私が子どもたちにもしてしまっていること。

子どもたちの些細な「これしたい」を無視すること。

まぁ頻度が違う。
こどもたちからの「あれしたい」「これしたい」は
分単位で飛んでくる。

全てのリクエストに応えるのは、やっぱり難しい。
二人同時にこうれしたいって言われたりもするし。

だけどわたし、ほんとちょっと蔑ろにしすぎてた。

2階で鉄棒するから見にきて?
って言われても
ん〜あとでね〜って。

その時に、子どもたちは見てほしいのにね。
その時が、子どもたちのタイミングなのにね。

後で後でって、
後にしても許してくれる子どもたちに
甘えすぎていた。

その割に、こちらのいうことを聞いてくれない子どもに
なんでいうこと聞かないの!?ってイライラして。

なんて都合のいい母親なんだろう。

子どもとか夫とか、身近な人ほど
大切にってよく聞くけど
そんなこと当たり前って思っていたし
できていると思ってた。

だけど、全っ然できてなかった。
全くできていなかった。

本当に甘えていたんだな。

今回のことは、
そんなことに気づかせてくれる
きっかけだったんだな。

そうしてね、思ったの。

これからも、私には課題があって、
これからも何かに気づくための出来事が起こる。

もうね、いい。
覚悟きめたから、もうまとめてきてくれないかな。


って、本当にまとめてきたらきついか…。。。


でも、またどんなことが起こったとしても、
私にはこのジャーナリングという手段があって、
いつでもフラットに考えて、
優しい自分に戻ることができる。

だからこれからも、どんなことが起こっても、
また書くことで、自分を取り戻す。

そして、この方法を、必要な方に届けていきたい。

ジャーナリングができれば、
自分の願望を見つけることができるし、
自分の本音を見ることができるし、
それを受け止めることで
自分を許すことも
自分を認めることも、
優しい自分に戻ることもできる。

みんなジャーナリングをして、
穏やかな自分に自分自身で戻れたら
穏やかな社会になっていけるんじゃないかな。

本当にそう思うよ。

ジャーナリングを始めてみたい方は
サポートしますので、
ご連絡くださいね。

それではまた。

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