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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか155】11月(18)日本語レッスン②

 Aさんには毎週短い作文を書いてもらっている。Aさんは大学の課題で忙しい毎日を送っているから、無理だったらやらなくていいんだよ、と伝えてあるのだが、大抵は月曜日の夕方にメールで宿題が提出される。ノートに手書きしたものを写真で撮って送ってくる。そんじょそこらの日本人より字がきれいだ。デザインを学んでいるから、空間把握能力が高いのかな。
 そのファイルに赤字で直しを書き込んで、授業の最初に解説する。そして、そこでAさんが間違えたことが、次の授業のネタになったりする。

 あるとき、NHK「やさしいことばニュース」から取った「イギリスの新聞ガーディアン『Xに記事を出さない』」というニュースを見て、感想と、自分とSNSの付き合い方について書いてもらった。Aさんは、「お金持ちによるメディア支配」を批判した後、こう書いた。

「私は、SNSがインスタだけを使います。友達がさいきんすることを見ます。」

 さて、どう直します? そして、どう解説します?

 日本語ネイティブなら、誰でも直すことはできると思う。「SNSが」じゃなくて「SNSは」。そして「友達がさいきんすること」じゃなくて「さいきんしたこと」の方が自然。
 でも、なぜそうなるのか、説明するのは難しい。英語や、Aさんの母語のフランス語の発想なら「使う」の主語は「私」、だったら「私『が』SNS『を』使う」にはならないのか? 「さいきんすること」「したこと」或いは「していること」では、何が違うのか? 聞かれたらどうしよう? 日本語ではこうなんです、覚えちゃってください、ではダメだよなあ。

 人に教えるのが一番の勉強方法だというのは、これも生徒によく言ってきた話だ。私が最終的に行き着いた世界史の授業は、最初に生徒がペアを作って、ノートを見ながら相手に説明する時間を設けていた(ノートは配信された動画を見て予め完成しておく)。インプットしたことを、自分の頭の中を通して、口から言葉にして出してみるという作業が、知識を整理し、定着させるには効果的だと思う。
 私も、Aさんに教える必要に迫られて、あちこちあちこち調べてみたり、調べて分かったことを教材の形に落とし込んでいったりする中で、本当に勉強になっている実感がある。

 ただ、自分で調べても分からないことはどうしてもある。調べれば調べるほど、謎が深まることもある。
 そういうときに強い味方は、30年以上日本語教師をやっている友だちだ。中学以来の友人の一人で、ずっと日本語を教えることで生計を立てている、プロ教師がいるのである。 いきなりLINEで「ねえねえ、教えて、動詞の種類ってさあ」とか言われて、さぞかし迷惑だと思う。が、手取り足取り教えてくれる。ありがたい。人に助けられることが多い人生である。

 2か月だけの雇われ日本語教師をやってみて、人にものを教えるということについて、いろいろ考えさせられている。今回は中継ぎ登板みたいなもんだが(全ての中継ぎ投手に失礼)、先発完投、最初から体系的に教えるという経験をしたいと思ってしまう。きっと、全エネルギーをぶち込まないと無理ね。

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