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キリスト教徒にとって労働は、罰である。

「キリスト教徒にとって、
労働は「罰」である。

アダムとイブはもともと
労働がない楽園にいた。

食べてはいけない
禁断の果実「善悪の知識の木の実」を
食べてしまったために、
楽園を追放されて
働かなければならなくなった。

だから、欧米人にとって、
働くことは罰で、苦痛なのだ。

何もしない(働かない)ことが
理想であり、
そこに幸せを見出す。

日本人は労働を
罰だとは思っていない。

仕事に喜びを
感じている人も多い。

生活するためという面も
あるだろうが
それ以前に
仕事仲間との人とのつながりを
非常に大事にしている。

そこに日本人の勤勉さの
秘密がある。

 
こうして見ると
日本人にとって仕事とは
宗教のようなものかもしれない。

会社は教会で、社員は教徒で、
ひとつの共同体をつくっている。

家に帰っても、
教徒だから
会社や仕事のことを考えてしまう。

サービス残業をする、
無給にも関わらず自宅で仕事をする

休暇中でも仕事のメールを
チェックする人は多い。

ドイツ人は、
そのような休みが台無しになる行為は
絶対にしない。

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