自己紹介|いじめを受けた私がカウンセラーになった話Part2
みなさん、今日はいかがお過ごしですか?
私は最近少し良い日傘を買ったのですが、1カ月も使わずに無くしてしまいました…。まだ残暑が残っているこのタイミングで無くすなんて…。
電車の手すりには注意してくださいね!
今回も前回の続きでいじめを受けた私がカウンセラーになったお話を書いていこうと思います。まだPart1を読んでいない方は少し長いですが、そちらから読んでいただけると嬉しいです。
Part1はこちらから👇
前回に引き続き読んでくださってるみなさん、本当にありがとうございます!また、ハートを押してくださりありがとうございます!みなさんのハートがとても励みになりますので、少しでも良いなと思ってくれたらハートをくださると私が頑張れます!笑
では前置きはこの辺にしまして前回の「母が残した言葉」からスタートいたします。
保健室で聞いた母が担任に言い残した言葉
保健室に行った私は先生から聞いた母の言葉に押さえ込んでいた涙が止まらなくなりました。母が残していた言葉は
「ご迷惑をおかけしてすみません…。あの子とはあの子が家を出たきり話していないんです。なんて声を掛けていいのか私もわからず、1年もの時間が過ぎました。最初はあの子のことが理解できず、裏切られたという感情になりました。悲しくて、辛くて、眠ることもできませんでした。寝ることができず、朝から夜まで仕事をする、そんな日々が続き私にも余裕がありませんでした。でも、あの子はとても優しくて自分のことよりまず家族のことを考える子なんです。わがままも言わず、お姉ちゃんのことも気遣って自分の感情を表にださない。そうしてしまったのは私のせいなのかもしれません。」
母は涙を堪えながらそう語ったそうです。
私は母から恨まれている、嫌われているとずっとそう思ってきました。そして、やはり母が眠れなくなるほど辛いことをしてしまったんだと実感しました。そして母はもう一つ衝撃的な言葉を残していきました。
母「私、海外に移住することにしたんです。それを伝えたかったんですが、あの子は私とどう接したら良いのかわからないみたいなので…。」
海外移住!?私はまた姉や私を置いて遠くへ行ってしまうんだと複雑な気持ちになりました。
その後、母は海外へ発ち現在も日本へ戻ることなく海外で暮らしています。
私はこの出来事から母と少しづつ打ち解け話せるようになりました。
高校進学への迷い
中高一貫校なのに外部へ進学
結論から言うと、私が人生で一番やり直したいと思う出来事です。
私は小学校から高校までエスカレーター式で行くことのできる私立校に通っていました。周りの友達はもちろん、私でさえこのまま高校に進学するのだと思っていました。ですが、私は高校受験をし外部の公立高校に進学しました。
なぜ高校受験をしたのか
もちろん理由があります。
それは「やり直したかった」からです。どういうこと?と思われたと思うので説明しますね!私は小学校高学年から中学校まで自分を演じていました。本当の自分を出せず、肩身の狭い学校生活を送っていました。また、少し友人関係も満足のいく関係ではありませんでした。仲間はずれはないにしても、女の子同士の陰口の言い合いや噂話が苦手で嫌気がさしていました。ですが思春期の女の子です。陰口やテリトリーなどは実在していて、参加しないと、賛同しないとすぐ悪口を言われる。そんな恐怖を感じながら過ごしていました。だからすべてやり直したかったのです。誰も私を知らない場所で最初から過ごしてみたくなりました。それともう一つ、離婚した父の負担を軽減してあげたかったのです。私の姉も私立高校に通っていました。学費は公立高校の何倍でひとり親になった父には負担ではないかと思いました。姉はすでに卒業済みだったので、当時の私が父に貢献できることは学費の安い公立高校に行くことだと思いました。それもありで高校受験をし、公立高校に進学しました。
人生を狂わす高校生活
人生で一番楽しかった高校1年生
両親や姉、先生方の反対を押し切って公立高校に進学した私は人生で一番楽しいと思える高校生活を送っていました。私が過ごしてきた学校や環境、友人も全く別の世界で新鮮で楽しかったのを覚えています。かわいい制服を着て、毎日のように友達と遊んでプリクラを取ったり、学校に遅くまで残ってお菓子パーティーをしたりとても充実した日々でした。新しい学校で親友もでき、いつも一緒、何をするのも一緒という感じで学年では「有名な仲のいい二人」でした。学校では比較的目立つ何人かのグループにいて、高校生らしく毎日楽しく過ごしていました。違うクラスの子とも仲良くなり、朝、駅で待ち合わせをして学校に行っていました。今思い返しても本当に楽しい高校1年生だったと思います。
人生で一番辛い高校2年生
順風満帆な高校1年生が終わり、高校2年生の幕開け。
クラス替えの日がやってきました。
「同じクラス!」
なんと8クラスある中で親友と同じクラス!最高だと思いました。ほかにも何人かもともと同じクラスだった仲いい子がいました。ですが、唯一少し苦手だなと思う子も一緒のクラスでした。ですがそれよりも親友と同じクラスになれたのが嬉しくてなにも気にしていませんでした。その時の私はまだ、この後待ち受ける悲惨な出来事など知る由もなく、また最高の高校生活が始まるのだとわくわくしていました。
不穏な空気が流れ始める
クラス替えがあり、友達グループの再編成が行われました。
私が少し苦手だなと感じていた子(以下B子)は元々B子が仲が良かった子とも同じクラスだったにも関わらず、私と親友が話している中に来るようになりました。私は「みんなで仲良くできればそれでいいじゃん」と思っていたので周りの子に何か言われても「ただ仲良くしてるだけだよ」とその子に批判が集まらないようにしていました。ですが、それは私を孤立させるための作戦でした。
いつの間にか奪われた立場
そんな日々が続いていたころ、私は自分のグループ内での立場が変わっていることに気が付きませんでした。元々、親友と私は「二人で一つ」という感じで何をするのもペアワークや移動教室でも常に一緒にいるような存在でした。ですが、それはB子の出現で崩れたのです。B子は私の親友とずっと一緒に行動し始めたのです。5~6人のグループでしたが、「2人で遊びに行こう!」や親友にだけおそろいのキーホルダーを買ってくるなど。それらが続き、いつの間にか私と親友の関係は前のように「二人で一つ」ではなくなりました。
他のクラスの子と過ごすように
私はほかのクラスにも行き帰りを一緒にする仲のいい友達がいました。お昼などはその子たちと食べるようになり、グループには所属しているものの、あまり多くの時間を一緒に過ごさなくなりました。教室では話すし、移動教室も一緒に行動していたけど前のような熱量はありませんでした。
突然やってきた地獄の日
その日は突然やってきました。
今でもまだ鮮明にその日を思いだせます。それは小雨が降る梅雨の日。
授業が終わり、いつものように友達と帰るため、いつも行き帰りを一緒に帰っている2人に電話を掛けました。でも、電話は繋がらない。どっちも電話には出ませんでした。そこでその子たちのクラスに行き「○○いる~?」と聞くと「もう帰ったよ」と。その時の私はただ「なぜ?」と思うだけでしたが、これが始まりだったのです。なぜおいて行かれたのか、携帯をずっと見ている2人がなぜ電話に出ないのか。傘を忘れた私は雨の中「なぜ?」を考えながら小走りで駅に向かいました。帰りの電車の中で「どうしておいてくの?なんで電話にでないの?」とLINEを送りましたが無視。返信が帰ってきたのは夜中。帰ってきたLINEは「私、あなた嫌いだから。」
訳が分かりません。今日の朝はいつも通り駅で待ち合わせをして、楽しく話しながら登校したのに。そのあとは特に話していないのに、なぜ急にそんなことを言われるのかわかりませんでした。
地獄の日は翌日も
翌日の朝。
「嫌い」と言われた真相が知りたくて、いつも通り待ち合わせの時間に駅に行きましたが2人の姿はありませんでした。
私は仕方なく1人で登校しましたが、教室に入った瞬間いつもとは違う雰囲気を感じました。教室に入るなり、私がいた仲良しグループから睨まれこそこそと何かを言われているのが聞こえました。チャイムが鳴り、親友におはよう!と声を掛けても無視。朝礼中だったのもあり、追及はしませんでした。1時間目は移動教室。親友とは席が隣だから、その時話せばいいやと軽く受け止めていました。移動教室で私が席に座り、親友に話しかけようとした瞬間、親友は席を立ちB子の元へ行きました。そして私に聞こえる声で「あいつと隣の席まじで嫌なんだけど。朝から最悪、気分悪い。」、「昨日はあいつ居なくて楽しかったね。」と。その後、授業中も親友は私の隣の席に座らず、席を移動していました。
ここでようやく「何かがおかしい」と気づいたのです。
その後も1日中無視し続けられました。お昼も一人で食べ、私は完全に孤立していました。「何かしたのか」と考えましたが、最近の私は親友との関わりも少なく話す機会もなかったのに何をしたんだろうと答えが出ませんでした。だから直接聞こうと思い、無理やり親友を引っ張り話すことにしました。ですが私が話す前に親友が……(続く)
あとがき
今回も最後までお付き合いしてくださったみなさま、ありがとうございます。今回は前回よりもボリュームがありましたがいかがでしたか?
いよいよ私の過去もクライマックスに突入してきました。
さて無理やり話をしようとした私に親友が言った言葉とは何だと思いますか?
私の人生で一番地獄の日はまだ終わりません。
ぜひ、次回の更新もお楽しみにしてくださいね!
最後に…
私はその当時、本当に辛い思いをしました。友人を恨みました。ですが、今となっては今の私がいるのは彼女たちのおかげだと思っております。
辛い過去ではありますが、今こうしてカウンセラーとして活動できているのはそんな過去があるからだと思います。
だれかの物語だと思って楽しんでくださるとうれしいです!
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