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ショートショート:やわらかい釘

「ただいまー!」
マンションのドアを開けた僕は無駄に元気よくそう叫んだが、その声は1K7畳の狭い部屋に虚しく吸収されただけだった。
北山慎二、27歳。仕事有りの彼女無し。
真っ暗な部屋からは、当然誰の返事も返ってこない。
田舎から上京して早5年。
恋人どころか友人の1人さえいない。
だが寂しいとは思わない。
元々人付き合いが得意でない僕は、むしろ1人でいる時間の方が好きだった。
しかし、取引先で初めてプレゼンが成功した今日でさえ、酒を酌み交わしながら一緒に祝ってくれる人がいないというのは少々堪えた。
今日も今日とてしっぽりとひとり酒だ。
そうしてしばらくテレビを見ながら缶ビールを飲んでいると、地元の友人から一本の電話が入った。
相手は大学時代の友人の原田拓也からだった。


「もしもし、拓也?」
「あ、慎二、元気?」
「あぁ、元気だよ。どうした?」
「いやぁ〜、急にお前の声が聞きたくなってさ。俺らの周りで地元離れたのってお前だけじゃん?だから今何してんのかなって。どう仕事は?順調?」
「今日、初めて取引先でプレゼンしたんだけど、上手くいったよ」
「まじ?!よかったじゃん!あっ!て事は今、会社の人達とお祝い中だったりする?」
「いや、家で飲んでる」
「1人で?」
「1人で」
「それ寂しすぎないか?今彼女は?」
「いないな」
「彼女はいいぞ〜。いつでも側にいてくれるし。お前も良い人いないの?」
「今は。まぁそのうちな」
「そうか〜、じゃあできたら報告しろよ!待ってるからな。」
「あぁ、分かったよ」
そう残して友人は電話を切った。


「彼女ねぇ〜」
飲みかけのビールを再度手に取りそう僕はそう呟いた。
彼女は欲しくない訳ではない。
しかし、出不精の僕にはあまりにも出会いがない。
かと言って社内恋愛だけはしないと決めている。
一時の感情で恋愛関係になると、その後気まずくなる事を高校時代に知ったからだ。
しかし、この考えが翌日に一変する事を、僕は知る由もなかった。


翌朝、全員が出社したのを確認し、部長が社員に声をかけた。
「皆さんちょっといいですか?こちら、本日よりうちへ転職してこられた真田さんです。では挨拶を。」
「初めまして、真田雪と申します。まだ分からないことばかりですが、本日よりお世話になります。」
身長は160センチくらいだろうか。ショートヘアーが似合う小さな顔に、今にも溢れそうな大きな瞳。美人というより可愛い系だ。
僕はそんな彼女に一目惚れした。
「ひとまず真田さんには教育係をつけたいと思うのですが、北山君、お願いできますか?」
「え、あ、はい」
「では以上です。皆さん業務に戻ってください」
そうして全員が席へ戻った後、真田さんが僕の席へやってきた。
「真田です。宜しくお願いします」
「北山です。こちらこそ宜しくお願いします」
こんな偶然があって良いのだろうか。
宗教も占いも信じない僕だったが、この時ばかりは神に感謝した。
そして、それからは彼女に仕事の一連の流れを説明した。
その際何度も質問され、答えはしたが、僕は彼女の顔を直視できないでいた。

そして昼休み、弁当を持ってきていないという真田さんを僕は社員食堂へ案内した。
食事中、話していると、彼女は僕と同い年だということが分かった。
それからはお互いタメ口で話すようになり、そしてなんと地元も近いということで地元トークで盛り上がった。
また、酒が好きという共通点もあり、僕らは随分と仲良くなった。


終業後

「初出勤はどうだった?」
「緊張したよー。でも皆んな良い人ばかりで本当に安心した。何より教育係の慎二が同い年だとはねー。しかも趣味まで一緒ってすごくない?」
「本当びっくりした。まさか家まで近かったりしてね」
「いや、流石にそれはないでしょ」
「じゃあせーので最寄駅言ってみようよ」
「いいよ」
「せーの!」
「「笹塚!」」
「え」
「まじで?」
一瞬お互い信じられないと言ったような表情で間が空いた後、2人とも声を出して笑った。
「本当に一緒じゃん!」
「こんな奇跡あるんだな」
「じゃあ休日も一緒に遊べるね!」
彼女の言葉に「え」と心の中で呟いた。
嬉しいが、とんとん拍子過ぎないかと耳を疑った。
そして呆けた僕の顔を見て彼女がいう。
「流石に会って1日目の女が言うセリフじゃなかったね。ごめんごめん」
「あ、嫌とかじゃなくて、びっくりしたというか。僕も遊べるなら遊びたいと思うし」
「本当?!よかった!こっちに知り合いなくてさ、正直寂しかったんだよね」
彼女の気持ちはよく分かった。
先日自分も同じ気持ちになったばかりだったから。
そうして僕らは駅につき、改札をくぐった。
「じゃあ私はこっちだから」
「あぁ、また明日」
そう言ってこの日は別れた。


それからというもの、会社では教育係として仕事を教え、週末になると2人で出かける機会が多くなっていった。
そうして彼女と過ごす時間が増えていくにつれ、僕の彼女に対する気持ちは言葉として姿を変え、喉元まで上がっているのを感じていた。
それはもう大きくなりすぎて、吐き出さずにはいられなかった。
そしてとある夜、僕は拓也に電話をかけた。
「もしもし拓也?」
「おぉ、慎二から電話とか珍しいな。どうした?」
「俺、好きな人はできた」
「まじ?!早いな!前話してからそんなに日経ってないぞ!どんな子なの?」
「うん、会社の子でさ、最近うちに転職してきたんだけど、色々と話が合う子なんだ」
「そうか、よかったな。で、告白はどうすんの?」
「しようと思ってる。でも恋愛なんてご無沙汰だし、大人の告白ってどんなタイミングでやればいいのか分かんなくて」
「そんなのデート中にどっかいい店ですればいいんじゃないの?」
「そうか、そうだよな。ありがとう」
「おう、アドバイスになったか分かんないけど、上手くやれよ」
「あぁ」
そうだ、特に悩む必要はない。
いつも週末に遊ぶように、何気なく誘えばいい。
ただそれだけだ。
そして、すぐさま彼女に連絡し、次の休日に遊びの約束を取り付けた。

当日。
僕らはいつも昼から買い物に出かけ、夜は互いの趣味である酒を楽しみに行ったことのない店を回るのがルーティンだ。
そして今日、僕は告白するべくお洒落なバーを予約しておいた。
陽が傾いてきた頃彼女が言った。
「そんじゃ、そろそろいつもの行っちゃいますか?」
僕の体に緩く緊張が走る。
「そうだな」
「どこ行く?」
「いつもは居酒屋だけど、今日は気分を変えてバーとかどう?」
「おお!いいねぇ」
快く賛成してくれた彼女に感謝しつつ、僕は予約してあるバーへ案内した。


ネオンの看板に照らされた古びた木造の扉がいい雰囲気を醸し出している。
中に入るとカランコロンと客の入店を知らせる音が高く鳴った。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥には渋めのマスターと若いアシスタントとみられる男が立っていた。
店内を見渡すと数人の客がテーブル席に座っている。
僕らはカウンター席に座り、メニュー表に目を通した。
「何をお飲みになりますか」
渋めのマスターが聞いてくる。
「じゃあ、スクリュードライバーとマティーニを1つずつ」
「かしこまりました」
僕はマスターがシェイカーを振る姿を眺める彼女の横顔を見つめていた。
この距離で彼女の顔を見たのは初めてだった。
長いまつ毛にスッと通った鼻筋、艶やかな唇。
バーの雰囲気も相まって、僕は耳に心臓があるのかと錯覚するほど自分の鼓動を感じていた。
そうしているうちにカクテルは完成した。
「どうぞ、スクリュードライバーとマティーニでございます」
出来上がったカクテルは見た目もさながら、味も最高だった。
「うん、美味しい。私バーに来るの初めてだけど、結構好きかも」
「そう、よかった」
僕は彼女のセリフに確かな手応えを感じていた。
そうして何杯か飲んでいるうちに彼女の頬は紅く火照り始め、童顔な彼女に僕は妖艶さを感じていた。
「好きだ」
口がそう動こうとした瞬間、彼女はマティーニを見つめながら言った。


「親友って、私達みたいな関係を言うんだろうね」

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