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「待つ、合わせる」は手放す 処理能力や目的はそれぞれ違うもの

現実は停滞したり、ゆっくり進むことがあります。
しかしそれは停滞したりスローペースに見えて、水面下では色々と動いています。

動くための準備時は、あまり大きな動きが見えないのです。

そんな時、人は悩みます。
「物事が停滞している」「動かない」「動きが遅い」と。


ただ、それは幻想です。
物事が止まることはありませんし、物事に早いも遅いもありません。
そう見えるだけなのです。



動きが目で見えないと、動かそうと強く働きかけたくなりますが
動かそうとすればするほど動かなくなりますし、望む状態から離れてしまいます。

なぜならそうした一生懸命何とかしようとする状態は「執着、固執状態」
その状態になるととてもエネルギーが重くねっとりしているため、人生全体がねずみ取りのネバネバに引っかかったような状態になるのです。

意識を常にそちらに向けて頑張ろうとするとねずみ取りに引っかかって動かなくなる。

そうと覚えておくと、無理に力を入れて頑張ろう、過度に働きかけようとはしなくなるのでよいかもしれません。


この世界で1つだけ確実に動かせるものがあります。

自分の手だけでなんとか出来ること

人と歩みを揃えることは、時に大切なことかもしれません。
しかしそれぞれ搭載された処理能力や目的が違うので「歩みを揃えること」に意識を向け過ぎるとお互いに苦しくなります。

処理能力や目的はどう頑張っても「同じ」には出来ません。
なんとなくすり寄せることは出来そうですが、それにも限界があります。


みんなと同じことを同じように。
古い価値観で言えば社会とはそういうところだったのかもしれません。

しかし、パソコンにも処理能力や目的の違いがあるように
同じ場所で同じように生きていても、それぞれ生きている世界や見えているものは「違う」のです。


人は待たなくていい。待ってもらわなくてもいい。
無理に合わせなくていいし、合わせることを促さなくていい。

待つ=「遅い人を早い人が待つ」というイメージになりますから
遅い人が早い人にイライラされる、遅い人が早い人に気を遣う、早い人が遅い人の心配をしなければならなくなる、早い人が遅い人の尻拭いをする状態を誘発しかねません。


どちらかがどちらに過度に合わせようとすると
余計に噛み合わなくなっていきます。

ペースの違いなど、イライラすることがある場合は
とりあえず自分以外のことは放っておき、まずは自分のことをどんどん進めていくとなぜかそれなりに「合ってくるポイント」が出てきます。

放っておけない、どうすればいいのか、と思うと
放っておいてはいけないような現実を創造します


遅いも早いもなく
「私たちはそれぞれの設定を生き、それぞれの宇宙を生きている」だけ。

それぞれが「人の目を気にしない自分のペースとスタンスで生きればいい」と自分を許すと、ポテンシャルを最大限に発揮することが出来るので、遅いも早いもない「自分のペースで適切的確に成果をあげられる状態」になります。



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石原そら
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