今年も暑い朝
毎年この日は8:15に、できる限りテレビの前で黙祷を捧げることにしている。
今年は、開催中のイベントに汚染されていなくてよかったと、ホッと胸をなでおろした。今や公共放送も信用に値しないけれど、この日だけはこの時間に市長や子供代表の言葉を聞けて今年もありがたいと感じた。
広島市長と、広島市の子供の言葉はいつも胸に刺さる。
市民の、平和と核廃絶への覚悟の度合いが私なんかとは全く違うと痛感させられる。
我々が学んでいた頃は、平和教育が充実していた。
大人たちの、原爆や平和への意識も高かったように思う。
また、遠い国の話だったけど戦争している国があったから、戦争はダメ!という言葉に現実味があったのかもしれない。
今はどうなんだろうか…
戦争という言葉で表される事案は皆無に等しいが、テロとか内紛とかクーデターとか軟禁監禁とか他にもたくさん、非人道的で平和とは程遠い出来事は世界中のあちこちで起こっている。
今のこの世界的な混乱の状況だって、非人道的で平和からは程遠い。
混乱せざるを得ないのではなく、情報と印象の操作が多すぎることが更にコトを厄介にしているのだけれども。
人は、こんなにも真実を見る目が鈍っているのだろうか、と思うと自身も含め情けなくなる。SNSなどから真実を読み取る若者たちの方が、私達世代のバカな大人たちよりずっと優れている。
そんな彼らを守ってこそ大人なのに、と更に情けない。
今朝の話に戻すと
広島市長も、広島市の子供たちも、原稿からほぼ間違えることがなくわかりやすく読み上げた「言葉」。
読みあげ方は伝え方に直接つながる。世代を超えて伝えたい気持ちの表れともいえる言い回しも、素晴らしいと毎年思う。
ただ原稿を読み上げることすらまともにできない首長に不快さを感じた私である。
今朝もよく晴れて暑かった。広島も暑いことだろう。
原爆が投下された76年前と然程変わらないであろう蝉の声が、立秋を前に鐘の音と人々の祈りと煙とを巻き込んだ弔いのように、今年も、聞こえた。
1945年8月6日午前8時15分から、76年が経過
黙祷