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なんか違う、と思ったら

今日はこれから雨が降るようです。福井県では昨日、珍しい現象の空が見えたそうですね。

天候や自然現象は思わぬことがあるもの。

それをいいなと思ったり、なんとも思わなかったり、むしろ不吉だと思ったり、いやだなぁと感じたりするのはごくごく当たり前のことだし、人それぞれ、その時の気分で違うのも当然なのです。


人からかけられた言葉や、読んだ本や観た映画・ドラマ、現実で見た何気ない光景なんかも同じ。

自分の中で違和感みたいなものがうまれることってあります。でもそれが何なのかはよくわからなくて、ただ少々不快だとかモヤモヤしたりとか。


これは、自身の心のサインだと思っていい。自分の心を信じてあげるのは大切なことです。


私自身の話をすると。

先月から図書館で借りていた本があり、読んていたら違和感なんです、とても。

そこで少し振り返り、考察してみると、今の私には全く合っていないし求めてるものとは違うことが分かりました。

そして私は「この本は必要ない」と判断を下しました。するとかなりスッキリしたんです。


断捨離にも通じそうですが、様々な場面での取捨選択は心を軽くするのかもしれません。

現代は情報もモノも、巷に、身近に、溢れすぎ。

溢れたものにオロオロするのではなく、深呼吸して、自分の胸に手を当てて、少しココロを落ちつかせて考えてみると、意外とすんなり解決したりして(^^)


ココロは、キュウキュウではなく、ふっくらしていたいものです。



また、これは昨日のテレビをみて思いましたが

親を捨てられない…?


捨てていいと思います、私は。


世間体を気にして見捨てないか

自身を大切にしたいから捨てるか。


そんなに単純なことじゃない、とお叱りを受けそうですが。

親を、死ぬまで面倒見て墓までたててあげる生物って人間くらいのもので、他の生物は淘汰されていくんだし、人間だって本来ならばそうだったはず。

倫理とか社会とか心理とか、そういう人間独自の文化的な生活が邪魔をする世の中、しかし結局親が子にしてやれることは、自立して生きていけるように育てること…って、私は、人間は他の生物と何ら変わりがないように感じています。

「捨てたい」と子に思わせる親は、子をそのように育てたのです。


世の中的には間違ってないと言われる育児育児だったとしても、その子にとっては捨てたくて当然の育児をした「結果」だと、私は思います。



未だ育児は終わってませんが、子の誰か若しくは全員が私を捨てたい、と思っているのなら、私の育て方がその子に合っていなかったのでしょう。

試行錯誤して育児してきました。でも正答なんて何処にも無かった。


だから、自分が正しい、間違ってない、とは言い切れません、

私はね。



これも、取捨選択になるんじゃないかな。



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