知識を増やす意味
娘と、話が通じない相手への対処はどうしたらいいのだろうという話になり、ザックリした結論としては「たくさんの知識を得てそこから『いいわけ』になることで自分の中で決着をつければ辛くない」ということで落ち着いた。
娘は、学びたいことは山ほどあるのに無駄な知識が自身にたくさんあるせいで非効率にならないか、と心配をしていたのだが、多分、自分が知りたくないことや知る気のないことには興味は示さないと思うし、だから無駄にはならないんじゃないかな、と伝えたら、少しは納得したようだった。
自分が困難に陥った際に、気持ちをどう鎮めたり落ち着かせたりできるのか、とか、そういうときに無駄だと思っていた知識が生かされることは多い…かもしれない。私の個人的な意見だ。
知識は結局、自分のために身についていく。
もちろん、職業的に必要な知識もごまんとあるだろう。それだって自分が生きていくために必要なことだ。
無駄な知識なんて一つもない。
そして人間の記憶や知識は今、この瞬間にもアップデートされていく。
人の考えや思いは変わるものだというのが私と娘の共通する持論である。
温故知新は念頭に置きつつ、変わることを恐れず、むしろ変わるべく、生きていきたい。
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