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他人の存在について思うこと

ひとつめ。

我が家は機能不全家族だと思っているのだが、子を救ってくれるべくなのか単なるエゴなのか、特定の子だけを甘やかしその子や私にいちいち指南してくる親戚がいる。

正直、大きなお世話だ。その子は思考がどんどんそちらに傾いているのが分かるから余計にそう思う。


親と向き合わなければ、子が抱く不満や抑圧や鬱憤や悪しき思いなどは、解決に至らない。

味方をしてくれるのは大いに結構だけれど、子が幸せな人生を送れるように相手をしてほしいと強く願う。…まぁ、親戚自身の単なるエゴみたいだから、無理かな…(^_^;)

親戚は私のことが気に入らないの感じるし、まぁ、それでも私は子のためにかげながら色々やっていく。



ふたつめ。

家族の様子を投稿している動画をよく見かけ、微笑ましかったりなるほどと思ったりするけれど。

羨ましいな、いいな、

ウチではありえないな

と比較してしまうので、見すぎるのも良くないと思った。


世の中には見るからに幸せそうな家族もいれば、そうではない中で生きている人もたくさんいる。

「幸せ」の定義は人それぞれだし、幸せそうな映像をみてステキだなと思えたらそれでいいけど(私はノーテンキだからそんな感じ)、モヤッとしたりする人もいるんじゃないのかな?と昨日ふと思ったのだ。

見なきゃいいじゃん。

確かにそうなんだけどね?

なら、意図的に(メディアで取り上げるとかね)拡散もしないでほしいなぁ。

興味のある動画や情報を、割と自由に、しかも家でチョチョッと操作すれば見ることができる時代。

個々が情報を選択し、いらない情報には目を向けない事は大切だが、知らなくてもいい他人のことを不特定多数に発信しないことも大切なんじゃないかな。



他人の存在を、自分とあまり比較せずに生きていけたらいいね。

私は、私だもの。


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