完全版「熱力学エントロピーの世界地図」その2 ひーろまっつん 松尾浩一著
§5. 私が、熱力学に関する研究結果がもたらす可能性について言及するならば、まだまだ、未知の可能性があると思っている。
その可能性の一つに、私が、現在行っている、経済学分野への応用があるし、その他にも、天文学等の自然科学分野にも、熱力学という学問に関する研究結果が、さらに応用できると、私は、思っているのであるが、それはなぜならば、熱力学エントロピーというエネルギーに関する研究そのものが、万物に共通する自然界の摂理に通ずるためであると、私は、考えているからである。
もしも、その私の考えが正しいならば、熱力学や、熱力学エントロピーに関する研究結果の応用によって、様々な、自然科学的現象のメカニズムの解明につながることが期待できる。
例えば、経済学を、自然科学の一分野として捉えた場合には、現在では、経済物理学という学問が現れてきたように、経済的な現象そのものが起こるメカニズムの解明につながることが、大きく期待できることになるのである。
そこで、私は、 「経済力学」という、新たな学問を提唱して、自ら、その学問研究に乗り出すことにしたのであるが、既に、私は、経済力学の研究においても、経済において、デフレとインフレが起こるメカニズムの解明を、自ら試み、その研究結果を導くことに成功している。
また、つい最近の作品の中で、天文学に関しての熱力学エントロピーの関与についてを、私は、論じるに至っているが、こちらの方は、まだ、研究半ばではあるが、発表済みの作品を、載せておくことにしたい。
このように、熱力学エントロピーについて研究していると、様々な気づきが生まれてくるため、熱力学という学問の可能性についても、まだまだ、様々な分野で応用ができると、私自身は、考えるに至っているのだ。
熱力学エントロピーというエネルギーは、万物に共通する、自然界の摂理であると考えた場合に、この宇宙空間全体にも適用できる、理論的な新たな、熱力学エントロピー的な見解を、生み出すことも可能であると思えるし、この地球上で起こり得る、様々な自然現象の解明にもつながるような、新たな、熱力学エントロピー的な理論も、生み出すことが可能だと、私は、思っている。
§6. ここからは、私が、前々作、「最新版 科学小説 〜熱力学的エントロピーの正体〜」の中で、初めて論じた、熱力学経済論について、さらに、本格的な新たな学問として、構築するために、私は、「経済力学」と名付けて、現在、研究を行い続けているが、この「経済力学」について、これまでの私の研究結果についてを、述べていくことにしたいと思う。
私は、日本人であるため、主として、今現在の日本経済を、経済力学を通して、研究しているのであるが、今の日本経済は、まさに、国家的犯罪に悪用されているだけでしかないと、私には思えてならない。
その理由について言及すれば、バブル崩壊後、この30年間以上にわたって日本銀行の行い続けて来た、ゼロ金利政策や、マイナス金利政策といった金融政策そのものが、日本の経済成長を完全にストップさせ、その上、アベノミクスという国家犯罪により、日銀は、異次元緩和策、大規模緩和策と称して、日本国民全体の財産そのものを、大きく目減りさせ、その大きく目減りさせた日本円の価値を用いて、新規通貨発行を行い、その全てを、日銀自らの資産として、せしめてしまったという、日銀の悪行について、明らかに、日本国家の一機関である日銀が、国民全体の財産から、ただ単に、非常に莫大な金額の盗みを働いてきただけであるということに、他ならないためである。
この様な、明確な国家犯罪が行われ続けてきた下で、私達、日本国民は、失われた30年間を、過ごしてきたのかと思うと、心底、ぞっとするが、現在の、日本国民の大多数が、大きく貧困化してきているという現状において、そのすべての責任は、この様な、日本の国の犯罪行為に、日本経済が晒されてきた現実を見れば、明らかに、これまでこの日本の政治を牛耳ってきた、国家主導者達に、その責任があることになるのは間違いのない事実である。つまり、私達、日本国民は、その日本国家の明確な犯罪行為による、これまで、私たちが受けてきた経済的損害を、日本の国に対して、全額、請求する権利が、当然のことあるのである。なぜならば、これまでの約30年間にわたって、私たち日本国民の大多数は、日本国憲法によって保障されなければならない、生存権、財産権、幸福追求権といった国民の権利を、日本の国によって、侵害し続けられてきたためである。
また、現在のように、国会において、違憲立法が平然となされるようになったのも、この失われた30年の間に、違憲立法が集中的になされてきたことに関して、多くの日本国民が、政治的な関心そのものを、失い続けてきたことに、事の発端が、私には、あるように思えてならない。
日本の最高法規たる、日本国憲法を守らない政治家ばかりになっている今の与党政党を、多くの日本国民が支持し続けているから、今のような、心底、おかしなことばかりが、平然と行われるような、日本になってしまったのである。
今の日本に必要なことは何かと言うことについて、私が言及するのであれば、私は、まず、国民一人一人が、公共の福祉、つまり、国民みんなの幸せを大切にする、気持ちを持つことだと思えてならないのであるが、今の与党の政治家には、全く、その様な考え方を重要視する人物は皆無である。
だからこそ、公共の福祉、つまり、国民みんなの幸せを第一に考えられる、政治家が、この日本の国には必要なのであって、自分たちだけが良ければいいと思っているような、人々への思いやりの欠片さえ持たない政治家は、この日本の国には、全く、必要ない。
今の与党、自民党、公明党と、それに同調している、維新の会、国民民主党、立憲民主党も含めて、これらの政党を、日本国民が支持し続ける限り、日本国民の本当の幸せというものが、全く見えてさえ来ない世の中になっている、今の日本の現状において、今は、本当に危機的な状況であると言えると思う。
今現在の日本の政治には、革命政党の存在が必要不可欠であると、私自身は、そう思うのであるが、この世の中を、本当に良い方向に導いてくれる政党の存在が不可欠であると、私は、思わずにはいられない。
私は、これからの日本の世の中を良くするためには、今の政治腐敗に対して、これまで、真っ向から、戦ってきた、日本共産党と、れいわ新選組に、日本国民が、期待するしか方法がないと思えるのであるが、今現在の日本国民はどのように考えているのであろうか?
これからの日本を、国民が、本当に幸せに暮らせる世の中にしたいのであれば、公共の福祉、つまり、国民みんなの幸せを望むのであれば、私は、この2つの政党の大躍進に賭けるしかないと、思えてならないのである。
日本国民の幸せを第一に考えた政治、公共の福祉、つまり、国民みんなの幸せを、日本国民が本当に望むのであれば、その選択しか、私には、考えられない。
今の与党政党による完全に独裁化し、腐敗しきった政治に期待するよりも、明らかに、新たな可能性に賭けたほうが、よっぽど、日本国民の幸せな暮らしが叶うようになると、私は思う。
今の、資本家や富裕層の人間達が、国の政治をカネの力で買うといった犯罪行為を平然と許すような、心底まで腐りきった、日本の与党の政治家達の政治姿勢には、全く持って、期待すらできるはずがない。
その様な、日本の腐敗にまみれた政治における、不正行為を、完全に断つために、今こそ、日本国民が一丸となって、政治家の不正行為と戦う決意を持たなければ、絶対にならないのである。
また、今まで、日銀がしてきたことは、着服や横領の類になる、犯罪行為そのものであるという、きちんとした、経済認識を、日本国民一人ひとりが、持たなければならないのである。
その理由は、日銀は、私達、国民の財産の価値を目減りさせることでしか、新規通貨発行はできないからであり、つまりは、日本国民全体の莫大な財産の価値そのものが、日本の非常に大きな経済的信用力であることになり、その日本の非常に大きな経済的信用力を、日銀自らの莫大な資産として、ただ、盗んで、すり替えるためにだけ、これまで、日銀が用いてきたこと自体が、明確に、日本国民全体の財産から、その莫大な価値だけを盗んで、日銀自らの莫大な資産へと、その莫大な価値のすべてを盗み、そのすべてをすり替えるといった、日銀がこれまで行ってきた、異次元緩和策や大規模緩和策といった犯罪行為によって、今日の国民生活が、貧困状態に陥れられたことに、すべてが、繋がってくるという、その日銀の愚行は、列記とした、国家犯罪行為であるとしか言えないためである。
つまり、異次元緩和策や大規模緩和策といった日銀の金融政策は、明らかな、国家犯罪行為であり、その日銀の国家犯罪行為による、経済的損失を、すべて、日本の国が、日本国民全体に対して、ただ、押し付けてきただけに他ならないからなのである。
つまり、異次元緩和策や大規模緩和策という日銀の行為は、今の日本が、アメリカと同様に、経済成長を続けていて、その利益が、きちんと、国民に還元されているような状態で行うならば、国家犯罪にはならないかもしれないが、今の日本の経済状態のように、マイナス成長を伴うような経済状態で、その影響によって国民が貧困化し続けている状況で行えば、列記とした、国家犯罪になりうる愚行としか言えない行為なのである。
そのようなことからも、今現在の日本において、国民一人当たり、月10万円のベーシックインカムの支給という、経済政策は、日本国憲法で保障された国民の権利を、日本国家自らが守り通すためにも、日本国家の責任において行うことが、必要不可欠な政策なのである。
もしそれをしなければ、日銀の愚行によって、これまで莫大な経済損失だけを押し付けられてきた、日本国民が、決して、黙っているはずかないと私は思う。
その様な認識を、きちんと、持てない、今の日本の与党の、心底まで、無責任な政治家たちは、自分たち富裕層のことしか考えていない、最低な人間であると言えると、少なくとも、私は思わずにはいられないのだ。
私は、過去の私の作品において、この国民に対するベーシックインカムの支給が、今の日本経済の再生のためには必要不可欠であることについて言及しているが、日本国家からの国民に対するベーシックインカムの支給は、日銀の投資行為を成功に導くためのリスクヘッジ手法の一つであることを、口を大きくして、私は、この過去の作品の中で述べているのであるが、今の日本の与党の政治家たちには、全く、届いてもいないらしい。
日銀の投資行為を成功に導くためには、リスクヘッジを講じなければならないのは当然のことであるのに、なぜ、それを、今の政府与党は、躊躇わなければならないのであろうか?
https://note.com/hiromattsun/n/n8dedbcf33459
https://note.com/hiromattsun/n/n37005188d53c
国民に対するベーシックインカムの支給という、リスクヘッジを全く行わないで、日銀の投資行為を有効な投資行為とできないのは、当然のことであるという、きちんとした認識を、今の与党の政治家たちは、一体、なぜ、持てないのだろうか?と、私は、心底、疑問に思わずにはいられないのだ。
この、これまで日銀の行い続けてきた、異次元緩和策や大規模緩和策という国家犯罪行為は、日本国家の信用問題に発展するだけの大問題である。
このような、非常に大々的な日本経済そのものを悪用した、国家犯罪行為を、日本国家は、日本国民に対して犯しておきながら、今の与党政党の政治家たちと、過去と現在の日銀総裁は、平然としていられるはずはないであろう。
それは、アベノミクスという、これまでは、経済政策と思われていた、政策そのものが、その事実が、明確な国家的犯罪行為であることが、完全に、暴かれてしまったためである。
だからこそ、現在、開催されている国会の場において、ろくに審議もしないまま、新たな違憲極まりない法案ばかりが、与党政党とそれに同調する勢力によって、次々に可決されようとしている大きな理由なのである。
つまり、今の与党政党の議員たちは、自らが犯罪者でありながら、自らが犯罪者であるということを国民から指摘されることを恐れるあまりに、心底まで、違憲極まりない法案を早急に通して成立させ、いち早く自己保身を図りたいがために、法案の審議もほとんどせずに、ただ、違憲極まりない法案を無理やり押し通しているだけでしかないのです。
そして、こんな、犯罪者自らが作った法律なんて成立させられたら、はっきり言って、日本国民は黙っていられるはずがありません!
私自身は、今の与党政党が、このような日本経済そのものを完全に悪用した、国家犯罪を行っていた事実が明らかになった今となっては、今の与党とその補完勢力を支持し続けるような、心底、間抜けな日本人は、皆無だとは思うが、ここまで、今の与党政党が、日本国民を、心底まで、バカにし腐っていた、つまり、侮辱した、政治を行い続けていたことに対して、腹を立てない日本人は、私は、本当の意味での、日本人ではないと思う。
なぜならば、この場に及んでも、今の与党政党を支持し続けるような、心底、間抜けな日本人は、自らの、人としてのプライドさえも、持っていない、ただのクズ人間だからである。
富裕層以外の、大多数の日本国民が、これまで、長年にわたって味合わされてきた、本当に違憲状態である苦痛の日々を考えたら、人として、人間として、決してタダでは許すことができるような状況ではないことぐらい、今の与党政党の政治家たちは、わかりきっていることだろう。
私たち、日本人は、今こそ、真の野党政党による、政権交代によって、自らの、生命を存続させる強い意志を、持たなければならないのである!
私の言う、真の野党政党とは、これまで、ずっと、今の与党、自民党、公明党や、大阪や国会における竹中平蔵が黒幕である日本維新の会の悪事に対して、警笛を鳴らし、その悪事を暴き続けてきた、日本共産党と、新しい政治勢力ではあるが、これまで、与党、自民党、公明党の悪事と、大阪での悪事を大きく働いてきた、竹中平蔵が黒幕である日本維新の会に対して、それを完全に暴こうと必死になってきた、山本太郎氏と大石あきこ氏が共同代表を務める、れいわ新選組の、2つの政党だけであることは、皆さんも、きっと、おわかりだと思っている。
そして、私は、この2つの政党を日本における二大政党とすることでしか、今の日本の政治は、絶対に、良い方向に変えることはできないと思うからであり、日本の政治体制そのものを、一気に、日本共産党とれいわ新選組による、二大政党制に変えるだけの日本国民の怒りのパワーがなければ、公共の福祉、つまり、国民みんなの幸せの実現は決してあり得ないと思うからである。