尾崎豊展。
『尾崎豊』
26歳で急死し、死後30年もたつのに色あせない。
私が初めて『尾崎豊』の歌を聴いたのは中学生のとき。
友人に借りたカセットテープに入っていた『15の夜』や『卒業』。
夫と一緒に福岡市で開催された『尾崎豊展』に行ってきました。
ゆっくりと見たかったので、平日を選んで。
なんか、私が『尾崎豊』をいろいろ語ると安っぽい。
だから、当時の思い出話を書きます。
興味のない方は遠慮なく読み飛ばして下さい。
むしろ、あまり読まれたくないような内容です。
私が中学生のときは、ビー・バップ・ハイスクール全盛。
しかも、通っていた中学は地元でもかなり「悪い」と評判。
なので、授業中に校庭でバイクに乗って遊んでいる生徒を
体育教師が追いかけていたり、
朝行くと、教室の窓ガラスが割れていたり、
タバコの吸い殻でトイレが詰まって、流せないので、
使えるトイレは教職員用のみ、
なんていうのは日常。
「危険」という理由で、
プールの授業は3年間で1度もなかった。
授業中と休み時間の区別は
ほとんどなく、
教室内外、廊下、皆、自由にウロウロしていた。
さらに、学校行事があると他校の生徒が来て
ケンカが起きるので、
体育大会などの行事の時は、正門、裏門、全て
教師、PTA役員が複数人で警備。
私は、当時、
決して不良と言われる子どもではなかったのだけど、
不良グループと言われる子たちに、
なぜか好かれていた。
席替えや、修学旅行の班決めがあると
必ず「一緒になろう」と誘われるのだ。
いわゆる「※パシリ」ではなく、
普通に一緒に行動する。
※「使いっ走(ぱし)り」の略》俗に、用事を命じられてあちこち使いに出されたり、買い物などに行かされたりすること。また、そうやってあごで使われる人のこと。
でも、見た目は明らかに違う。
制服も通学カバンも
いじっていないし、髪型も。
(そもそも、私の育った家庭は
超絶貧乏家庭だったし、
お小遣いもなかったので
美容院に行ったり、
オシャレをするお金はない。)
ある日、友人の一人が
「制服のスカートを長くしてあげる」と言って
上手に加工してくれた。
(当時は長いスカートが流行っていた。)
家に帰ると母に怒られたけど、
結局、卒業するまでスカートは長かった。
いわゆる、不良グループと言われる子たちと
一緒に行動し、何をしていたかというと、
特別なこともなく、ただ、
帰り道や公園で
好きなアイドルの話や、昨日見たテレビ番組の話、
憧れの先輩の話など、いたって普通のお喋りをする。
友人の家に行って、
音楽を聴いたり、ビデオを見たりするのは
楽しかったな。
(私は自分の家が嫌いだったので
友人の家は居心地が良かった。)
友人には
2歳上のお兄ちゃんがいて、
なんだか、ちょっと怖そうな感じなんだけど
時々、一緒に遊んでくれることもあった。
学校帰りに会うと、自転車の後ろに乗せてくれた。
自転車通学は禁止の学校だったから
些細なことでも
校則違反をすることが
自由になることと勘違いして
少し気持ちが高ぶっていた気がする。
彼氏を取った、取られた、で
女子同士の激しいケンカもあった。
髪の毛を引っ張って、壁に頭を打ち付けたりして
一歩間違えたら死ぬんじゃないかと思うようなことも。
一度だけ、このケンカの「見張り役」を
やらされたことがある。
騙されたというか、
「一緒に帰ろう」と言われ、
ただ帰っていただけなのに
帰り道に
そういう現場に立ち会うことになり、
私は、誰か(大人)が通りかかったら、
大きな声を出して知らせる、という係に任命された。
あくまでも複数人で一人を、ではなく、
一対一の喧嘩だ。
なので、いじめ、ではないと思う。
しかし、私は途中で怖くなって
仲裁に入ってしまった。
そのあとのことは
記憶が曖昧なんだけど、
翌日、そのケンカをした女子2人が
仲良く一緒にお弁当を食べていたのが印象に残っている。
それから、周りの子はよく万引きをしていた。
私も誘われたが、万引きはしなかった。
でも、その場に一緒にいたから
今考えれば同罪かもしれない。
あと、こんなことを書いて、
夫や子どもたちに見られるのも恥ずかしいが
せっかくなので恥も書いておこう。
進路を決めるとき、商業高校に行って、
卒業したらすぐに働いて家にお金(生活費)を
入れるのが我が家のルールだったため、
(短大進学出来ないため)
夢であった保育士になれないと思った私は
勉強を全くしなくなっていた。
そして、ついには定期テストで
問題が解けなかったため
カンニングし、
先生に見つかって大変なことになった。
しかも、友人の答案用紙を見て写していたため、
「見せた罪」となった友人にも
迷惑をかけることになった。
こんな恥ずかしい過去を
わざわざ書く気になったのも不思議だけど、
なんとなく、書いておこうと思った。
noteの優しい皆さんは、
私のことを美化しているかもしれないので
黒部分もあえて書きたくなったのかも?笑
それとも、昨夜、みゆさんの記事を読んだから?
10代前半に聴いていた『尾崎豊』の曲。
多感な時期に影響、受けないわけはないよね~。
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
「 15の夜 」より
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業
「 卒業 」より
きしむベットの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけて しまわぬ様に
「 I LOVE YOU 」より
久しぶりに35年も前のことを思い出して、
つらつらと書きました。
『尾崎豊』のカセットテープを貸してくれた友人は
中学を卒業後、高校には進学しなかった。
妊娠し、結婚したことまでは知っている。
彼女は今、元気だろうか。
先週もスキ♡たくさん、ありがとうございます🌈
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
ご縁ありましたらエッセイ本も読んで頂けたら嬉しいです💛