いらんことは言わない努力
私は幼いころから、思ったことをすぐに口に出すタイプでした。
だから敵はたくさんいましたし、逆にそれをサバサバした性格だと、気に入ってくれる人もいました。
小学校2年生の時です。
担任は定年間際のおばあちゃん先生でした。
おばあちゃんなのに眼光が鋭く、みんな彼女をビビッていました。
ある時先生が、
「分からないことがあれば手を挙げて質問しなさい」
と言いました。私は先生の言うことを聞く良い生徒だったので、手を挙げて聞くことにしました。
「ハイ!」
「何ですか?」
「先生の言っていることが分かりません」
私の言葉に、全員が息をのみます。
「私の言っている意味が分からない、ということですか?」
私は首を横に振ります。そしてもっと元気よく、はっきりと答えました。
「いいえ、先生が何を言っているのか聞き取れません」
先生の顔がみるみるうちに真っ赤になり、隣の教室まで聞こえるほど大きな声で叫びました。
「私の言っていることが分からないなら、教室にいなくても一緒でしょう。廊下で立ってなさい!」
先生に言われるまま、私は廊下に出て立っていました。
お母さんに毎日のように言われていましたから。
「先生の言うことはちゃんと聞きなさい」、と。
先生に言われた通り、分からないから手を挙げ「分かりません」と言っただけなのに、なぜ自分は教室にいられないのかと理解できませんでした。
授業が終わって教室に戻っていくと、みんなが私を白い目で見ます。
私は恐る恐る、隣の席の男の子に聞きました。
「先生がなんて言ったか、わかった?」
彼はお前はアホか?という顔をして私を見ます。
「分からへんかったけど、何を言うてるかわからへんって先生に言うたらあかんやんか」
私は彼が言っている意味が理解できませんでした。
なぜ分からないことを分からないと言ってはいけないのか、と。
その後、私が口を開くたび、先生は反抗的だと鼻から決めつけ、廊下に立たせることが増えてきました。
私は言葉を発することが怖くなってきました。
異物と判断したクラスメートたちは、私をいじめるようになっていきました。
不幸なことに、8歳離れた姉は受験勉強中だったので、家では音を立てることも許されないばかりか、母は姉が良い高校に入れることだけに集中していたため、私の話を聞いてくれませんでした。
家でも学校でも自分の居場所はなくなっていきました。
どんどん、どんどん、私は自分の殻に閉じこもってしまいました。
大人になって、言っていいことと悪いことの区別をつけようと、頭の中で考えるとき、いつもその先生のことを思い出します。
日本では、思ったことを口にするのは悪いとされています。
特に、目上の人に「間違っている」というのは厳禁です。
それっておかしくないか?
ずっと思っていました。
間違っていることは間違っている、正しいことは正しい。正しいことをするために、間違っていることは正さなければならない。
でも、この年になってやっと気づきました。
私はあの先生を傷つけたんじゃないかと。
年上だから言ってはいけないとか、先生だから逆らってはいけない、というより、彼女のプライドを傷つけるようなことは、言ってはいけなかったのだ、と。
普段何気なく言ったその一言が、他人を傷つけてしまうこともあります。
自分ではそれが正しいと思っていても、立場が変われば、それは間違っていることだってあります。
国が変われば法律も、宗教も違うように。
考えれば考えるほど、わからなくなってくるので、最近一つの結論に達しました。
いらんことは言わんで“ええじゃないか”、と。
人と話をしていると、ついついいらんことを言ってしまい、相手の気分を害することが多々あります。だから、「そのいらんことが、いらんのだ」と。
私にはちょっと難しいことですが、いらんことは言わない努力を毎日しております。