見出し画像

草薙剣と千代鶴国安 名古屋くま蝉2

おりられオジさんこと、くまちゃんの名古屋セミナー2日目は、実地研修。
舞台は、熱田神宮。
ハプニングを乗り越える術を謎解き実地研修~「草薙剣」を求めて~
というタイトルの、フィールドワーク。

熱田神宮のご祭神は、熱田大神。
天照大神だ。

ずっと以前。
あれもおそらく10年くらい前だと思う。
そして、真夏だった。

熱田に参拝して、草薙剣を、受け取った。
…というより…
「掘り起こした」の方が、フィットする感じ。
どこから?
自分の裡から。
その掘り起こしたモノに霊(この場合はたましいと読んで)を受け取った...というのが、感覚としては合っている。
もちろん、物質ではない。

というか…その時は、草薙剣というよりは、天叢雲剣として受け取った。

とにかく、受け取った。

あの日も本当に暑くて、熱中症っぽくなりながら帰ったなと、懐かしい。

 


 

境内に入る前の段階から、フィールドワークは始まった。
参加者それぞれに、「今日はサインを見つける日」と、お話しがあり。
信長塀、本宮、大楠、草薙館、龍神社、土用殿、一之御前神社とまわった。

各所で、くまちゃんのお話しを聞き。
答えは言わない方なので、参加者みんなに問いかけながら、話をしていくスタイル。

大楠の下には、比較的長い時間いたように思う。
スタッフの女性が、ガイドっぽいおじいさんに話しかけられていて。
おじいさんは、にこにこ話をきいてもらえてとても嬉しそう。

人には愛嬌が必要だよ、と、くまちゃん伝。

わたしは半生どころか、ほんの十数年ほど前まで無愛想の極みで過ごしてきた。
愛嬌が必要で、大事...ということは、重々わかる。
まあ、それを使えているかは、ちょっと謎ではあるが。
(マシにはなってる。間違いなく)

こうした巨木というのは、わたしにとっての「理想の在り方」の一つだ。
巨木が好き、というのは昔からだけど。
フォルムがどうこう、という問題だけではなく。

根を下ろし、張る。
伸びる。
自らに他種が寄生しようとも受け止めて、共に育つ。
そこにあるだけで、存在感を放つ。
あるだけで、人が寄る。

そんな姿が。
修行、します。

蛇には会えなかった
しめ縄は何を現してる?カタチを見ればわかるよね?
という問いに、つい「雷」と言ってしまう雷好き人間が通ります。
でもそれ、「しめ縄」じゃないから!
しめ縄は、蛇。

 


 

本命は、土用殿。
草薙剣を明治26年まで奉安していた社だ。

くまちゃんに、その場所を聞かれたが、わたしは「土用殿」という名称がまるで記憶になくて応えられなかった。
もちろん、行ったことはあったけど。
そんな名前だったのか...と、現場で思った。


この日
参加者は、それぞれに、それぞれの草薙剣を、受け取った。
それがどのようなもので、どう使うかは、現場で伝えられた。

わたしのすでにあった草薙剣は、思いがけない感じに「変化(へんげ)」した。

後から、くまちゃんに、「もともと持ってたしね」と言われたけど。
やっぱ、バレてた。

 


 

草薙館は、前に参拝した時にはまだなかった。
ここは、日本刀好きとして大いにテンションあがったのは言うまでもない。


草薙館リーフレットとチケット半券

このフィールドワークでは、参加者がそれぞれにとっての「サイン」を見つけよう、というのが一つのテーマだった。
目に入るものすべてから。
感じることすべてから。
自分にとってのサインを、見つけていく。

わたしの場合、そもそも「草薙剣」というのは、神絵を描くようになってからずっと自分にとって特殊な存在なので。
それを祀る神宮は、それ自体がサインだ。

が。
今回は、この草薙館で、
「わたしが、こうしようと決めた一つのこと」
について、これでもかというサインが用意されていた。

千代鶴国安
という、京の都から越前武生へ拠点を移した刀匠がいた。
鎌倉から室町へと時代が移る境目の時。
刃物づくりに相応しい水と鉄に恵まれた地が、越前だった。

千代鶴国安は、刀という「殺すための道具」を作る匠であったが、心から平和を願っていたという。
そのため、普通、刀匠は農具を作ることはないが、鎌などの農具を打った。
それが、現代に続く伝統工芸「越前打刃物」として、続いているのだ。

言い伝えでは、国安は、刀を一振り打つたびに、願いをこめて砥石で狛犬をつくり、池に沈めて奉納していたという。
武生には、千代鶴池があり、そこから狛犬が数多く見つかっている。
見たことがあるが、穏やかで愛嬌のある彫り物だった。

そして、わたしはこのエピソードにあやかって、
「一定以上の作品を購入してくださった方に、わたしなりの「千代鶴の狛犬」を、お納めしよう」
と、決めた。

今年の春のことだ。
だから、それ以降に高額作品をお納めした方には、小さな陶器人形をお渡ししてきた。
目下のところは、狛犬ならぬ狛兎だ。

 

実は、このフィールドワークに入る前のランチ時間に、くまちゃんに、その一つをお渡ししたところだった。
春に、うっかりお渡ししそびれてしまい、半年も預かっていたものだった。
(くま蝉1日目にも渡すの忘れてた...持っていたのに)

わたしは、行き先についての事前リサーチは、まったくしない。
旅行でも参拝でも、しない。
だから、千代鶴国安の名をここで見ることになろうとは思ってもみなかった。

今までは、「一定の金額以上の作品」で、お渡しすることにしていたのだけれど。
今回の件をうけて、少し、考え直そうかと思っている。

もちろん、すべてに陶器人形...みたいなわけにはいかないが。
それでも、なにがしかの、国安の狛犬的なものを加えていこう...と。

作品には落款を押したり、名を入れる。
そこに、何かを添える...というのも、よいかもしれない。
花押を作ったから、こういう時にこそ使い所だろうか。

国安にあやかるのなら、池に沈めて神への捧げ物としていたという行いに、あやかるべきか?
だとしたら、「沈める」に相当するのは、わたしなら、何だろう。

わたしの場合、鎮魂よりは活性の意味合いが強いから、沈める=鎮める...では、なさそう。

そこは、また、どこかのタイミングで何か降りてくるのを待つとしよう。

 


 

わたしが愛知から福井へ移住した意味の一つには、今回の件にも現れている
「歴史の積み重ね」
を、なにがしか、この身が受けて引き継いでいるという感覚がある。

熱田に塀を奉納している織田信長の、織田一族は、越前町にある越前二宮剱神社の出身だと言われている。
町名も、織田(おた)だ。
別にその血筋だということではないのだが。
なぜか、生まれてからずっと、この氏には縁があり。
とうとう出身地に来ちゃったな...と、思ったものだった。
本当に、話せば長い、奇妙な縁なのだ。

刀は昔から大好きで。
特に詳しいわけではないが、あの「刃」と「フォルム」に、魅了される。
そして、刀を振りたいというよりは、打ってみたいと思う。
越前の刃物の由来が刀匠だというのは、かなり後で知った。

わたしの一番ご縁の深い神様は素戔嗚尊。
そして、八岐大蛇。
古事記には「八岐大蛇は高志から来る」と書かれているという。
(高志=越 こちらも参照

 

こうやって。
こじつけじゃん、と一蹴することもできるけれど、捨て置くにはひっかかりがありすぎる案件が積み重なっていく。
それが、わたしの、絵描き道だ。

くまちゃん僕アニ時代のご著書の一部は「サイン」
サブタイトルが「神様がくれた、幸せの羅針盤」という。


わたしの羅針盤は、北極星を指す。
わたしの、北辰信仰。
心の師匠たる北斎も終生描いた、北辰。
星をつないでいくと現れる図形は、意味深で、壮大。

神々が示すサインもまた、意味深で、壮大。

そんな、熱田のフィールドワークだった。

 

あなたにとっての「サイン」は、どんなカタチをしているだろう?
目に入るものすべて
感じるものすべて
聞くものすべて
何かが、宿っている。

キミに幸アレ

 

【関連記事】

 

 




いいなと思ったら応援しよう!

緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
読んでいただき、ありがとうございました! 「フォロー」「スキ」やコメントを、あるいは「 ものづくり材料費」か「コーヒーをご馳走」してください♡