幸せとは何なのか。
まいど。ひろきんです。
今回のテーマはこれ。
幸せとは何なのか。
僕個人の意見ですが
「絶対的な幸せを、幸せの基準にした方が幸福度は上がるし安定する」
と思っています。
いきなりですが
今時の若い女性が、明日から無人島に一生暮らさないといけなくなったと想像してください。
この女性が、これからどう生きていくかを考えるのではなく
どうやったら幸せを感じることができるのか?と考えてみます。
当然、無人島にはテレビも冷蔵庫もありません。
1個100万円もするような高級バッグもありません。
高級バッグは、普段の生活では必要かもしれませんが
無人島に持って行ったとことで何の意味がありません。
では、この女性は無人島でどうやって幸せを感じて生きていけるのか?
日々の生活の中で見つけるしかないですよね。
何も娯楽が無い中で、感じられる幸せと言えば
ご飯を食べられる有り難みでしょうか?
でも、普段生活していてご飯の有り難みって、そんなに感じないですよね?
ご飯を食べれることが普通というか、当たり前の人が多いと思うんです。
つまり、無人島に行ったことで
この女性は、普段感じない幸せを感じることができます。
人って、
人に羨ましいと思ってもらいたい、自己承認欲求や、優越感の塊ですよね。
装飾品は本来生きていく上で絶対必要なものでもないし、時計なんて一万出せばSEIKOの一生壊れそうにないガッツリ時計買えますよね。
要は他人にどう思われているかが幸せの基準。
それに対して、ご飯美味しいとかマイナスイオンとかは、他人関係ないですよね。
自分がどう感じるかだけの問題ですから。
他人に左右される幸せは自分の環境が変わったら急に幸せを感じなくなります。
年収1000万で周りの友達よりもらってるとウキウキハッピーの人が、年収1億の人限定のパーティーに行ったら超絶不幸な気分になると思います。
人と比べると環境一つで幸せ吹っ飛びます。
それって、本当の幸せかい?
それに対しての絶対的な幸せって環境に左右されにくい。
自分が幸せと思えたら幸せなんですから、環境も、他人もクソくらえですよ。
どうでしょう?
相対的な幸せより絶対的な幸せを増やした方がいいって話です。はい。
これって、いろんなとこで応用できます。
自分の好きなバイクがあるとします。
これをSR400とします。
僕が昔乗ってた超絶カッコイイバイクです。
これ、めちゃくちゃ人気あります。
僕は、これを買う時に人気だからとか言う理由で買いませんでした。
バイクの知識が全くない時にGooBikeとかの雑誌読んで、一目惚れして購入を決意しました。
このバイクが不動の人気バイクと知ったのは購入後のことです。
それでも友達からは、人気のバイク買うなんてミーハーやなと言われました。
当時はぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱいになりました。
他人からみたら、ミーハーと思われるかもしれませんが、僕は、人気だから買ったんではなく、自分がカッコイイと思ったから買ったんです。
ものを選ぶときは、人気だからとかいう理由で買わない方が良い。
人気なんていつなくなるかわからんし、そんなもんに愛着なんて湧きません。人気がなくなったらポイするんでしょう?
音楽も同じです。
後輩に、ある特定のあまり売れていないバンドが好きな娘がいました。
その子になぜそのバンドが好きなのか聞いてみたら、「誰も聞いてないから。ミスチルとかみんなきいてるから嫌だ」って言ってました。
アホの極みここにあり。
ですね。
日本から出たことないやつが日本が一番いい国と言ってるくらい滑稽ですね。
誰も聞いてないのが好きな理由?
貴様!
ミスチルの抱きしめたいを聞いてみろよ!
高校のときの淡い失恋を思い出してなんか酸っぱい気持ちになるやろ!
プールの監視員してて、いつもかかってたあの曲や!
これは私情がガチンコで入ってしまいましたが、誰が聞いてようが、人気があろうがなかろうが、自分が良いって思えれば良いのですよ。
その後輩にも一つ質問。
「そのバンドがめちゃくちゃ有名で、ミスチルがマイナーな地域でしか活動しないようなバンドならどう?」
「んーミスチル好きになってるかも」
なんじゃそら!!
これも、好きの基準が他人なんですよね。
スポーツも一緒です。
僕の子供がストライダーというべダルなし自転車の競技やってるんですが、まあ速い子めちゃくちゃいましてなかなか1番になれないんです。
そんなときに1番になれっていうのは目標としてどうかなと思うんです。
だって、それならもし自分がちょっとでも成長してても1番取れなかったら、成長してても成長できてるかわからないじゃないですか。
速い子も同様に練習してるし更に速くなってるんやから。
じゃあ何と比較すんの?って、過去のタイムと比較するんです。
レース会場は毎回変わるけど、スピードメーターつけてるんで、MAX何キロ出たか、平均時速や、メートル換算してタイムは上がったかを見る。
過去の自分と比較するんです。
そしたら成長感じれますよね。
ちょっとでもタイム上がってたら嬉しいし、やる気もでる。
タイムで競うスポーツはこれがやりやすいですよね。
トラック競技やってた後輩がいたんですが、走るだけで何がおもろいの?って、走るのが激糞嫌いな僕が、トラック競技者にぶち殺されてもおかしくない質問をしたら、
「練習した分だけタイムに出るから、成長がわかるし、達成感を感じれるからおもしろい」といってました。
超納得したのを覚えてます。
僕はそれでもやりませんけど(笑)
チーム競技の場合はこれが難しいですよね。タイムで勝敗決まらないスポーツ。
野球とかサッカーとかバレー。
まあ、この場合は点数とかで比較できますけどコレは、他人と比較になりますね。
でも点数以外に他に客観的に成長を確認できる手段はいくらでもあると思います。
何球中何球成功したかとか。
他人とではなく、過去の自分と比較する
これがスポーツにおいては大事だと思います。
偉大なるイチローも、同様の名言残していますしね。
これは相対的でなく絶対的な価値観で物事を判断しなさいってことだと思います。
よくおかんがいう、あれです。
よそはよそ、うちはうち。
関西だけかもしれませんがよう言われました子供の頃(笑)
なんか旅行とかよく行く友達が羨ましいから自分も旅行行きたい言うたら、
ここで伝家の宝刀
「よそはよそ、うちはうち」
が発動するパターンですね。
話ちょっと飛躍しますが、
絶対的な幸せにお金って必要でしょうか?
お金なんかなくても幸せだという人はウソツキです。
お金がなくても幸せはウソだと思います。
100億円もらえるなら誰でももらうでしょう。
人より収入良いからって優越感に浸って幸せを感じるのではなく、
自分自身がこのくらいの収入がまああれば満足だと思う絶対的な幸せの収入額を目指す。
それは人それぞれ額が違いますが、それでも、少なければ良いとは、僕は思いません。
何故なら絶対的な幸せには最低限のお金よりも充分なお金が必要だと思うからです。
自分に嘘つかずに、
絶対的な幸せと、
それを掴むために
絶対的な収入を
手に入れることに挑戦してください。
まだ、達成してない人は。
絶対的な幸せ。
僕は、これ手に入れるために生きてます。
おわり。