
#0 Introduction : 経営実務の言語化
はじめまして、金井と申します。キャリアはコンサルからスタートしましたが、そのあとは一貫して経営企画として、成熟企業、成長企業、スタートアップと、経営の実務を担当してきました。このNoteでは、キャリア全体を通じて得られたエッセンスを、アウトプットしていきたいと思います。
はじめに
最初に少しだけ自己紹介をさせてください。
学生の頃、紛争やテロについて研究しており、海外フィールドワークなどを行っていたのですが、全く企業への就職を考えておらず、ピュアに世界を良くしたいと思って、国連や研究者を目指していました。とはいえ、国連に行ったからといって、本当に社会に貢献できるのかと悶々と悩んでいた時、ある論文に出会いました。
マイケル・ポーターの「競争優位のCSR戦略」という論文です。
お恥ずかしながら、当時はマイケル・ポーターの名前すら知らず、本当にたまたま図書館でハーバードビジネスレビューを手に取って読んだのでした。その内容に衝撃を受け、悶々とした悩みにパッと光が差し込んだことを覚えています。「企業が本気で社会を良くすることで、それが競争優位となって返ってくるような、企業と社会のWin-winを作れれば、世界の諸問題が解決できるのではないか」と思い、民間の世界に飛び込みました。
その想いから、ちょうど15年ほど経ちました。紆余曲折はありましたが、今もその想いは変わっていません。一方で、この15年間で、成熟企業、成長企業、スタートアップと、あらゆるステージの企業に身を置いてきました。それにより、長い時間でみたときの、会社の変化や成長過程を、疑似的に体験することができました。
こうしたキャリアの中で得られた知見をアウトプットすることにより、自身の振り返りを行い、自分がどこまで来ているのか再確認したいと思ったことが、Noteを書くきっかけになりました。
価値創造のために必要なこと
企業は社会性に違いはあれど、社会に何らかの価値を提供し、その対価を受けています。しかし、多くの成熟企業は社会に新たな価値を生み出せていないし、多くのスタートアップは価値の創造に失敗して消えていきます。
なぜ企業は価値創造に失敗するのでしょうか?
その多くの理由が、勝負する土俵を間違えていることに起因します。どのような業界に、どのような身の置き方をするか、というのは非常に重要です。対象業界に巨大企業がいたり、やがて巨大企業とぶつかることが想定され、かつ資本の論理で勝負が決まる業界の場合、成功確率はぐっと下がります。
とはいえ、もし転職者や起業家ではない場合、勝負する土俵を選ぶということが、そもそも難しかったりします。なので、ここではそれは所与として、どうすれば成功確率を上げられるかを考えたいと思います。
そうすると、当たり前ですが、次のようなことが重要です。
成功への筋道を描くこと(一般的に戦略策定と言われること)
その筋道に沿ってやりきること(一般的に戦略実行と言われること)
このNoteでは、上記の一連の活動を「経営実務」と定義したいと思います。
ここで、私の課題意識としては、こうした経営実務には、アートの部分が非常に多く残っていることです。経営理論はありますが、その実務的な有効性は限定的で、経営の多くが属人的な感覚で運営されています。(でないと、経営理論を知らない中小企業の社長でも、一定程度成功することが説明できないと思います。)
経営実務の言語化
「経営実務」が何であるかもう少し掘り下げますと、経理や労務といった、企業に必要不可欠なルーティン業務とは違います。この部分は、相当程度ルール化されて運営がなされています。一方で、経営トップが掲げる会社のビジョンそのものとも異なります。ここは経営トップの理念やWILLに基づいて決まる性質のものなので、ルール化できないし、すべきではないとも言えます。
この間にある経営実務はどうでしょうか?繰り返しになりますが、経営実務とは、経営ビジョンを達成するために、筋道を描き、実行することです。この領域は、ルール化はおろか言語化されていない領域が多く残っているため、かなりの部分が属人的な感覚で運営されていると思います。
経営ビジョンそのものは主観的なので良い・悪いがありませんが、経営実務はビジョンをいかに達成するかであるため、客観的に良い・悪いが存在します。であるならば、理屈としては、経営実務はすべからく言語化できるはずです。もちろん経営理論が言語化をサポートしてくれることはあるのですが、ピュアに経営理論に基づいて経営されることは少なく、経営理論を知っていることと、経営実務ができることには、結構な乖離があると思います。そうした経営実務の言語化できていない部分を言語化できれば、産業全体の経営能力が向上し、社会により多くの価値を提供できるのではないかと思うのです。

蛇足ですが、私はもともと歴史が好きで、Coten Radioのファンでよく拝聴しておりますが、西のローマが次々と人材を輩出してハンニバルという天才を下したように、東の秦帝国が王の属人性ではなく法という仕組みを使って中華統一を成し遂げたように、共通して、天才やカリスマによる属人的運営よりも、ルールないしはルールの集合体であるシステムが強い組織体が覇権を握ってきました。
どんなに優秀でも一人でやるには限界があるし、そもそもレオナルドダヴィンチのような万能の天才は、世の中に本当に僅かしかいません。そうした才能が一時的に世の中を引っ張ることはありますが、結局は長持ちしません。であるならば、実務的には、そんな天才はいないと割り切って、最初からシステムを作りに行ったほうがよいと思います。
実際に、属人性から脱却できない企業や、システムが老朽化して苦しむ企業を今まで見てきました。そのため、経営の属人的な要素をなるべく言語化し、誰でも運営できるシステムに変えていくことは、社会の価値創造にとって意味があることだと思っています。
そういった野望を持ちながら、Noteでは、今まで私のキャリアを通じて経験したことや学んだことをアウトプットしていきたいと思います。
尚、本Noteでは、特定の企業や個人の話は一切しませんので、あらかじめご了承ください。