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私の芸術運動175情熱

前回の記事で私の見る虚しさと美しさについて書きましたが、完全に私主観の感性の一部の話なので正直言って意味がわからない記事だったと思います(ぶっちゃけ自分でもよくわかりません)。笑

感性なんて誰しもが自分なりに持っているものです、きっと同じ景色を見ても色彩感覚も情緒的感性も違うわけですからそこから感じ取れるものは人によってまさに千差万別、十人十色でしょう、しかしそんな感性も生きていれば良くも悪くも変化してゆくものです、嘘も本当も人によりけり、人間は見たい様に物事を見て、聞きたい様に聞いて、信じたい物を信じる生き物ですからね。

だからこの世のものはあってない様なものばかりです、確かにあるのは皮肉にも自分の心が掴み取った形無き真実のみです、目では見えないものばかりと言うわけです。

情熱とは自分が信じたいものにこそ宿ると私は考えます、どうせ自分なんてと口では言っていても、心のどこかでモヤモヤしているのなら、それは自分を信じて突き進みたいという情熱です、情熱にも種類があるように思いますが、自分の頭の動きと心の動きにギャップが感じられたならそこに自分なりの情熱があるのかもしれない!と自問自答してみるのはいい事と思います。

種類があると言いましたが、全ての情熱が自分をいい方向に引っ張っていってくれるわけじゃありません、中には情熱じゃなく執着な場合もあります、正直執着心がほとんどだと思います。笑

例えば好きな人に振られたが諦められず執拗に付き纏うのは情熱じゃなく執着しているわけです、相手に押し付ける形になるのは大抵執着心だと私は考えます、情熱は1人でに心に燃えます。

冒頭でも書いた虚しさと美しさ!ですが

虚しい自分を誤魔化そうと充実したフリをするのはまさに虚しいですし、キラキラした自分への執着と言えます、その虚しさを自分がしっかり生きる為に、必要な物こそ情熱です、何も大それた事をする事が情熱的な生き方じゃないとも思います、目の前の事をしっかり自分がやる!!接客業ならお客様に喜んでもらう、事務作業ならバシッと仕事をこなして周りの人の仕事もしっかり見る、この積み重ねが自分の心に情熱を燃やす第一歩ではないでしょうか?

何が情熱の起爆剤になるか?は、自分じゃわからないものです。

やりたくない事でも今目の前の必要な仕事なら虎視眈々と様子を伺いながら生きてやるのが良いですね。

日常生活での全てが私にとっては自分の芸術に繋がる足掛かりとなっているのを実感してます、自分のできる全力で、出来ることからやっていく、その積み重ねが人生の実となります。

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