KID FRESINOがfashionとして消費される前に
まえがき
今回のタイトルになったのはフレシノ氏が日本に取ってとても重要なアーティストだと思っているからで
わざわざnoteにするのは気が進まないが表題のままに書き進める
これから書くものはフレシノ氏に対して、アートだの、チルだの、宗教だの言っている
HIP HOPとファッションを一緒にしているサブカル層に向けてアンチテーゼではあるが
もしかしたら的外れなこともあるかもしれない
しかし、本人も理解されないと言っているわけで、この問題とは向き合う必要があると感じた。
フレシノという人物については省いて話を進めるが
ちなみに僕が初めてライブを見たのは2018年森、道、市場とかなり最近ではあるが
それが、とても衝撃的で魅了され、度々彼のライブへ足を運ぶようになった
US的、成り上がりとしてのHIP HOP
まず前提として、HIP HOPの中に成り上がりの文化がある。
地位の低い貧困層である黒人達が音楽やグラフティ、ダンスを通じて自己表現をするのがHIP HOPだが、そのカルチャーの発達の先には『成り上がり』的な、一攫千金の希望の光がある。
近年流行っているTrapというHIP HOPは、アトランタというアメリカ南部の街のドラックカルチャーと強い結びつきがあり、その資金で活動をしていたアーティストも多くいるが、その後Trapは世界に広がり、今や音楽の中心にまで辿り着いた。
日本でその文脈上にあるのはBAD HOPだ、川崎の工場地帯から成り上がり、日本武道館へというドラマがそこにはある。
HIP HOPでは、成り上がった証のキーワードとしてよく出てくるものがある
それは高級ブランドであり、スポーツカーであり、金のネックレスである
ここでの幸せは資本主義的な経済力であり、とてもアメリカ的な発想であるが、無駄にでかい金のネックレスやお札をばら撒く銃もある。
一方で、彼らには民族意識もとても強く、同じ環境で育っている子供達などへ資金を還元している、例も多く見られる。
では、 KID FRESINOはどうか
そういった資本主義のシステムの中での優位性とは別の所にいるのが、彼の文法であろう。
それは、システムから逸脱することであり、ルールの外に行くことで
その点ではとてもHIP HOP的であり、そこに文化と彼との調和性があるのだろうと考えた
例えば、『Rondo』という曲がある
I ain’t got no car in garage but I’m better man
という歌詞がある、ガレージの中に車は無いが、俺はよりいい男だ
それはHIP HOP的な資金力ではなく自分にはそれよりも別の所に魅力を持っているということでは無いだろうか
この曲の中では
Yeah, my gold chain invisible Look, we got snare incredible
俺の金のネックレスは透明だ、見ろヤバいスネアを手に入れたぞ
確かに彼はブリンブリンをつけている所は見たことはないし、いつもミニマルな格好をしている
(個人的にはKudosが似合っていて、最高だなと思っている)
つまり、重要なのはネックレスではなく石若駿のドラムがヤバいという話だ。
つまり、彼の成り上がりドラマであることは間違いないが、それは単純なお金の話では無い
では、彼は何を見て、どこに向かっているのか
I go buy another ring I go hard another level
another level, 目指す先は何か
とても良いシチュエーションのMVである。
それはWallflowerであり、天使の涙であるわけだが、この曲の歌詞もとても象徴的である。
鳴るステレオからbody 抜け出すそのmoney
であり
no planで遊び
daylightでI wanna see
you and me like awesome
doller bill なら gotham
give a shit and a spit some
never life never no some
俺らは最高だ、金はクソだ、興味ない、人生はそうじゃない
そして、この後にNENEのヴァースがある。
freedomが正解
解き放てば もっと自由にやれば
自分かける電話
出たらいきなhurry up
それはまさに合理性や損得勘定の外側にある感覚価値の話であり
セックスやドラッグだけではなく、もっと繊細な部分にまでフォーカスを当てている、それは音や時間、晴れているうちにライフを飛ばせということだ
お金に対しての嫌悪感は多くの作品を通じて感じられ、それは資本主義的な悪循環の中で失っているものへの、回帰を目指すものでもあろう。
Love今も同じtime刻む秒針
そして、その場で同じ時間を共有していることへの喜びであり、重要性である。
Bon IverとFRESINO
もう少しだけ話を進めると
2020年1月、僕もBon Iverのライブに行っていた
数年前のcoastの公演は行けなかった為、初めてのライブだったが、そこで衝撃を受けた。
ジャンルに縛られない音楽が、ライブハウスを包み込む
ツインドラムの迫力や、電子音であったり、時にノイズであったり、ジャスティンの繊細な声もそうだがそんな細部の話ではなく
演奏者も観客もその音の中で
その全ての体験を通し、精神的な国境なく共感し合えることへの幸福がそこにはあったような気がした。
それは、単なる幸福な音楽ではなく、苦しみや孤独も内包しているんだと
最後に
資本主義への反発や、反体制的な感覚で進んできたところが僕にはあった
しかし、コロナが時代を押し進め、最近は少しその感覚が変化してきた。
偶然にもコロナ前最後に行ったライブこそBon Iverのライブであったわけだが
彼の音楽はとても内省的であり、孤独から始まっている。
しかし今ではテイラースイフトとコラボをする様に、様々な文化を吸収し血とし、肉とし、進化し続けている。
つまり、社会的に反発をしてムーブメントを起こす、パンク的な美徳ではく
個を高め自分を見つめ直し、負のサイクルから抜け出すことによって
希望の光を灯し続けようと、そうすれば、そこに仲間が集まり。
それはいずれ大きなムーブメントとなるだろうと、そんな感覚に自分がシフトしてきたと感じる。
最後は自分の話になってしまったが、KID FRESINOの全てを理解しているわけではないし、あくまでこれは自分の体感である。
いつでも、自分を見直して、生活を見直して、当たり前を疑って
HIP HOP的にルールの外側に生きていくことが重要なのであろう。
KID FRESINOという最高のアーティストが多くの人に届くのは最高のことだ
このnoteもお節介かもしれない
説明しない美徳も世の中にはあるので
これ以上は各自で探求してほしい
その為に最新アルバムに関しては言及しないし、彼自身も次に進んでいるはずだ
ただ、KID FRESINOがFashionとして消費される前に
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