怒り方・叱り方
同僚に対して業務への向き合い方が適当であり、注意をしようと思うことがある。
そんな時に自分の中に天使と悪魔が現れる。
「相手の今後を思うであれば少し言葉が強くなっても伝えることは伝えたほうがいいよ」と言ってくれる天使。
「そいつのせいでお前が尻拭いをしなくちゃいけないんだったら、その憂さ晴らしに怒りの感情をぶつけてスッキリしたって誰も文句は言わないぞ」と言ってくれる悪魔。
この両者の言葉がせめぎ合う。
結局のところ、今日はどちらにも振れることなく鎮火するに至った。
「怒る」という行為は自身の精神エネルギーを多分に使わなくてはいけない行為だと思っている。
「無視する」「放置する」といった行為を選択する方が、その場で要する精神エネルギーは少なくて済むと思う。
だからこそ、たいていの場合は省エネの観点から後者の行動を選択することが多い。
その傾向がある中でなお「怒り」という感情を表に出そうとする瞬間があるのはなぜか?
怒りの感情とは第二の感情であるという
今回の一件で言えば、その原因は「不公平さ」から生まれるやるせなさだと思う。
自分の仕事は自給制のパートタイマーである。
同じ時間に2人入っていて、2人とも時間単位の給料は変わらないのである。
自身と同僚との業務量の違いは明らかである。
元々負担や責任が少なく、やるべきことをやっていれば他に何をしても構わないという緩い働き方である。
Wワーカーも多数いる。同僚もそうである。
Wワーカーが問題なのではなく、すべきことを真っ当にこなせておらず、その尻拭いをこちらがしており、それでも同僚は他ごとをしているにも関わらず、今共に出勤している時間で発生する給料が同じであるということ。
不公平である。
しかし、これは受け止めなくてはいけないことなのだろう。
どれだけ手を動かしたところで、利益が上がっているわけでもない。
そんな中で他ごとに精を出す同僚のほうが賢いのだろうこともわかっている。
わかっていてもなお、納得しきれないのだ。
だからこそ、「怒り」という感情として現れようとしている。
これは本当に出してもいい感情なのだろうか?