こんにちは。 最近の転職活動は専ら自己分析ばかりです。 特に今は自分を作り上げた”過去の棚卸し”を中心に行なっている段階です。 その一環で「『本当の自分』がわかる心理学」という書籍を読んでいます。 読み進めていく中で、幼少期における自身の家族の状況や、その家族環境に属していた自分がどのように感じていたのかを思い出すようになった。 幼少期の思い出ってあんまり思い出すことができないと思っていたけれど、頻繁に意識的に思い出そうとするとフッと思い出すことがあって面白い。 振り返
こんにちは。 これから転職活動を始めていく29歳です。 どの業界、どの企業に行くかからではなく、そもそも自分はどういう生き方をしたいのかというところからスタートです。 幼少期、学生時代、社会人1年目から今日までの軌跡の中で、自分がどのようなことを経験し、そこから何を得てきたのか、それらの経験が作り出した今の自分は一体どのような人間なのかを改めて自己分析しています。 もちろん今までも、同様のことを考える機会はあったのですが、今思うと当時は「変えてもらおう」と他人任せにして
アマゾンオリジナルの海外ドラマ「モダンラブ」を近頃見るようになった。 元々書籍で出版されていたものを手にしたことがあったので、親しみを感じて観てみることにした。 全8話のオムニバスドラマで放送される各話が40分弱。 海外ドラマとしては短いような感覚を覚えた。 タイトルの通り「愛」をテーマを主軸に、各話異なる切り口でテーマを表現されていた。 ドラマチックな展開が繰り広げられる非現実的というよりも、同じ空の下ののどこかでは、このような人間模様が繰り広げられているのだろうかと感じ
ネットで検索してみると、多種多様の自己診断サービスを見つけることができる。 有料のもの無料のもの、大学などの研究施設での研究結果に基づいたものから眉唾物なものまでありとあらゆるものがある。 自分はこのような診断系のサービスが結構好きだ。 お手軽に自分の特性や長所に短所、自分ってこういう人間なんだということが知られるのがおもしろい。 仕事を辞め、数ヶ月ニートをしていたとき、複数のサービスで出た結果を並び上げて「人から見える自分」というモデルのようなものを作って見たこともあった
「現状維持は退化である」と成功者やインフルエンサーの方々は言う。 その言葉に対して反対意見はない。 成長や向上心を持たず自堕落に過ごしていることに負い目を感じてしまうタイプの人間であり、逆に向上心がなく「今のままでいいや」と半ば自身の人生を自分以外の何かに委ねようとするタイプの人と積極的に付き合いたいとは思わない。 ただ、何か有益なことをし続けなければいけない、常に有益な情報をインプットし続けなかければいけないという脅迫観念に襲われることがある。 向上心は持っているつもりで
自分名前をどのように呼ばれたいかというのをふと考えてみた。 その中でこの呼ばれ方はどのような層から呼ばれる傾向かもあわせて考えてみた。 苗字または名前+敬称有りまたは無しの組みで下記のようなパターンがある。 ①名字+敬称なし ②名字+”さん” ③名字+”くん” ④名前+敬称無し ⑤名前+”さん” ⑥名前+”くん” ただし、今回はニックネームは対象外としている ①名字+敬称なし 中高生の時代の同級生または職場の上司、特に歳の離れたちょっと厳しめの男上司からの呼ばれ方。 ②名
同僚に対して業務への向き合い方が適当であり、注意をしようと思うことがある。 そんな時に自分の中に天使と悪魔が現れる。 「相手の今後を思うであれば少し言葉が強くなっても伝えることは伝えたほうがいいよ」と言ってくれる天使。 「そいつのせいでお前が尻拭いをしなくちゃいけないんだったら、その憂さ晴らしに怒りの感情をぶつけてスッキリしたって誰も文句は言わないぞ」と言ってくれる悪魔。 この両者の言葉がせめぎ合う。 結局のところ、今日はどちらにも振れることなく鎮火するに至った。 「怒る
なにかの感想を述べるとき、好きなものについて話そうとするとき、頭の中では話せるだろうと思っていても、実際に話そうとすると言葉がうまく出てこない。 先日好きなアニメのことを話そうとしたとき、キャラクターの名前がすぐに出てこない瞬間があった。 何周もした上で、名前はインプットされているはずなのに、アウトプットができなかったのだ。 せっかく沢山のことをインプットしたとしても、アウトプットができなければ、その知識や経験の価値というものは半減してしまうと思う。 インプットよりもアウ
街を歩いていると、「この人たちは周りが見えていないのか?」と疑問を呈したくなる瞬間がある。 道に対して目一杯に広がって、自分達だけで道路の幅を独占する集団。 駅の改札口のすぐ手前で談笑をしている二人組。 人通りがあるのは明らかであるにも関わらず、その進行を妨げるようなフォーメーションとポジショニングをとるその姿には、呆れとか怒りとかではなく、ただただ疑問である。 これらの集団に所属するのは決して”若者”と言われる人間に限ったことではない。4,50代のスーツを着た男性、そ
趣味や人間関係、味の好みなど「好き」「嫌い」でカテゴライズすることがあると思う。 アイドルの〇〇ちゃんが好き、とかこの映画が好きとか ピーマンは苦いから嫌いとか、アイツは性格が悪いから嫌いとか 意見がはっきりしていると言うのは良くも悪くもわかりやすいので、自分に相性が合うかどうかの判断をつけやすい。 しかし、この好きと嫌いは二分されるものではないと思う。 好きを最上級、嫌いを最下級と設定してみると 好き 好きかな 嫌いじゃない 苦手 嫌い これはあくまで思い付いた感性の
家での時間。 いつも何かを聞きながら過ごしているような気がする。 掃除をするときも、晩御飯を作るときも、洗濯物を干すときも。 いつも何かを聞きながら行なっている。 音楽から始まり、YouTubeの学び系の動画やお笑い動画、アマゾンプライムで映画やアニメなどを音声として聞いている。 今日はそれをやめてみた。 双方が惰性になってしまっていて、自身の身近な幸福を遠ざけてしまっているような感覚を覚えたからだ。 晩御飯を作るときは、ただ晩御飯を作っていた。 いつからだろうか、部屋が静
大学生時代にお世話になった人とご飯に行ってきた。 初めてお会いしたのは7年前。 今よりもずっと地味で暗かったときに出逢った人だ。 その方とお会いしながらここまでの日々を脳内で振り返ってみた。 当時の自分と今の自分一体何が変わったのだろうかと? 確かに見た目で見る限りの変化はあったと思う。 それでも中身の変化、他者への影響力といった意味では美妙である。 先日見た「言の葉の庭」でヒロインがこんなことを言っていた。 「15歳の頃の私から27歳の私は全然賢くなっていない」と。 学
考えているようで実は考えていないんだな と、ここ数日投稿をするようになって思うようになった。 なんとなく、日々起きる出来事に対して思考は巡るけど、いざ文字に起こそうとすると、その解像度の低さに驚く。 孤独を好む人間は思慮深いイメージがあるが、思慮深いというステージにはまだまだ遠そうだ。 なんとなく引っかかった物事に対して、単に流すのではなく、留めて掘る。 時間がかかるけれど、発言に滲み出る「その人っぽさ」というのは、この掘る経験によって作られていくのかなと思った。
今日は1日休みの日。 前日の夜遅くまで呑んでいたせいで、頭がぼーっとしていた。 ふとサウナに行こうと思い立つ。 近所のスーパー銭湯。 小さい頃はスーパー銭湯なんてなかなか連れて行ってもらえない非日常な空でワクワクしたものだ。 ワクワクするという感情が徐々に減っていくというのが大人になるという一つの証明なのかもしれない。そんなことを思った。 サウナはいい。 熱々に熱した身体を、水風呂で一気に冷却。そして露天風呂の一角に座り外気浴を行うという1セット。これを3セットするのが常
近頃は積極的にInstagramを開かないようにしている。 他人が魅せようとする私生活を覗くことに疲弊し消耗してしまうからだ。 確かにいろんな得られる情報が多いというメリットはある。 仕事や生活に役立つ情報を発信している人も数多くいる。 ただ、それ以上に他者との比較にさらされるというリスクが圧倒的に多いと思っている。 友人知人があげる投稿というのはだいたい華やかだ。 友達とテーマパークに行った 豪華なディナーに行った 彼氏彼女とデートした 車を買った 結婚した 家を買っ
今日は業務の中でGoogleスプレッドシートを使った在庫表の作成に勤しんでいた。関数を駆使して、必要最低限の情報を入力するだけで在庫データ情報が反映されるようにするためだ。 関数と言っても難解なものを使うわけではなく、足したり引いたり、「SUM」という選択した範囲の数字を合計してくれる関数を使ったりという至ってシンプルなものだ。 実物在庫の数を確認しつつ、設定した関数が表の上でうまく反映してくれているかの確認作業を繰り返すという、実に地味な作業である。 しかし、この地味な作