詩「人生悪役ⅩⅩⅩⅨ」

2021-01-27

おそらく 見たことのない『彼』が迎えに来るまで
タヌキは 自分の記憶の中の彼を思い出していた

やっと記憶の欠片を見つけると
その姿を 再び白い壁に映していた

白い壁は タヌキが気の毒で仕方なく
涙が止まらなくなってしまった

その結果 酷い結露が起こり
掃除をしなければならなくなった

タヌキは 白い壁の下に置かれた雑巾で
床と壁を磨いてみた

擦ると 床にも壁にも
びっしりと タヌキの描いた絵があった

それは 記憶の鉛筆で刻み込まれていた
忘れないように 何度も書き加えられていた

タヌキは それを見て落胆した
その絵は タヌキにしか見えないからだ

他人と共有することで
記憶の精度は上がる

タヌキが持っていた記憶は
タヌキしか知らない記憶だ

タヌキは やっとそのことに気が付き
全てが妄想だったと 改めて突きつけられた

タヌキは 彼との思い出を 部屋から拾い上げて
それを口に入れて 飲み込んだ

そして 明日
とうとうここを出ると告げられた

心臓が締め付けられて
破裂しそうに緊張した

十年ぶりの 現実を受け止められるだろうか
そもそも 自分は どこにいたのだろうか

そして どこへ行けば良いのだろうか
知っている人が 一人もいなかったら?

そう思うと 知らないはずの『彼』
明日迎えに来る『彼』が とても怖かった

明日は そのまま今日になり
眠れない夜は 早く起きた朝になった

タヌキは深呼吸をした
部屋で 一人静かに ゆっくりと ゆっくりと

陽の光 揺れて揺れて
タヌキも 揺れて 揺れた

白い壁は とても寂しかった
(こんなに面白い人間は もう現れないだろうな)

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