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詩📓「ダダコネ」

20240930

うざったい愚痴を 仕事場でも 吐いてしまう人間になってしまったことを 後悔するよりも 今 ここで ストレスを溜めないほうが マシなのかも知れないから それはそれで ガス抜きの場所を 間違えないようにすれば良いとは思う ただ 自分の悪口が やがて首を締め付けるのだ その時になって嘆いたって 誰からも信用はされない 俺は誰かに 何かを言われたり やられなければ 何もしない そう みんな そう思っているのだ 「何かされた」から 「何かをする」だけ 正義か悪かみたいな話で どちらが先かの話で その答えはない 絶対的に悪い奴なんていないし 絶対的に良い奴なんていない だからこそ 愚痴を吐く場所と人を間違えないようにして 頻度なども考えた方が良い 反省しつつ 永遠に来ないサムライマックを待っている 原材料から作っているのだろうか? これでポテトが冷えていたらクレームものだ そうだ 俺はクレームをあまり入れたことがない でもよく考えると 愚痴より クレームの方が 誰かのためになる可能性があるのではないか? なんて 心底どうでも良い (独り言を ブツクサ言っているおっさんが 目の前の席を立つ さようなら 二度と会わないように ……これだってうざったい愚痴だ) マックでノートパソコンを開いて詩を書いている 同時に死を描いている 俺は詩でも映画でも 人が死ぬ方が面白いと思っている これは極端な話だし 人が死ななくても大好きな映画なんてゴロゴロある ただ 人が死ぬという非日常を味わえるんだ それがフィクションの良さだ 俺はフィクションを愛する だから本名より「UtaMochi」だったり 「詩餅」という名前の方が好きだ あー! 目が痛え コンタクトを外してメガネに変えた 視界が歪んでちょっとだけ気持ちが悪い 眼球にコンタクトレンズを入れたい 最近 真面目に考えている コンタクトの乾きも メガネの歪んだ世界も あんまり好きじゃないけれど メガネは特に嫌いだ メガネがない世界があるならそこに行きたい というより 目が悪くならない世界か? それとも目に何も映らない世界か? どちらにせよ そんなフィクションの方が どんな現実よりもマシなんだ そこには くだらない愚痴を変換するマシーンがある 最高のシステムだ 勝手に性格人格をひん曲げる 有る事無い事でっちあげる それが俺だ あー! まだかな マックに流れる どこの国のものなのかもわからない音楽は 不思議と耳に馴染みやすいが ずっと聞いていると 耳がピクルスになってしまいそうになる 酸っぱい匂いの中でまた何か悪巧みをしよう 今日 仕入れてきた苛立ちを 粘土のように捏ねて 形作り 焼き上がったらオブジェとして飾って貰おう そこまで邪魔にならない場所になら 居座っても壊されることはないはずだ と思ったが 像を盗む事件も現実にはあるわけだ なるほど 像が盗まれてしまうのは嫌なのでインターネットという下水道に流してしまおう 漂え ただ酔え ただ読め ただ俺

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