「未解決」の真実を求めて ① 迫る時効 熊谷ひき逃げ事件
※ここで書く内容は全て事実を踏まえたものです。ご遺族の許可を得て掲載しています
連載記事です・第2回 第3回 第4回 第5回
書かなければー
そう思い続けながら、日々の仕事や生活に追われて時間ばかり経ってしまった。結果的にとても貴重な時間を無駄にしてしまった。
書かなければ、と思うことがあまりに多く、複雑で、どう書けばちゃんと伝えられるのか、そもそもここで書いていいものなのか、頭と心の整理がつかなかった。しかし「タイムリミット」が迫る中で、今書かなければ一生後悔すると思い、これを書き進めている。
これから記していくのは、10年にもわたり「未解決」となっているある事件と、その事件によって人生を壊された一人の女性、遺族の記録だ。
奪われた息子の命 熊谷ひき逃げ事件
事件が起きたのは10年前の2009年9月30日。場所は埼玉県熊谷市の市道だった。この日、小関代里子さんは最愛の息子を「ひき逃げ」という犯罪行為によって突然奪われた。
小関孝徳くん。サッカーに打ち込む、まだ10歳の少年だった。
孝徳くんは代里子さんにとっての、たった一人の家族だった。そのかけがえのない家族を奪った「犯人」はしかし、未だに捕まっていない。事件から10年が経った今もー。
「生きながら、ずっと地獄にいるような思いです」
事件後の日々について聞いた時、彼女から出てきた言葉はこれだった。「地獄なんて、そんな言葉でしか表現できないのがもどかしいほどの」苦しみだったという。なぜ息子が亡くなったのかも分からない。怒りをぶつけたくても矛先を向けるべき「犯人」がいない・・・事件の「真実」に辿りつけない「未解決事件の遺族」という境遇が代里子さんをさらに追い詰めた。
そして事件から10年が経とうとしている今、事件は次の展開に入ろうとしている。「時効」という無慈悲な制度によって。およそ2カ月後、9月30日には警察捜査は否応なく打ち切られる。「迷宮入り」が迫っているのだ。
遺族の戦いと、10年目の警察不祥事
この10年、代里子さんは事件現場に立って現場を通る車両ナンバーを集め、集めた情報は警察に届け、情報提供を呼びかけるチラシを配り続けてきた。周囲の協力も得ながら、出来得る限りのことを続けてきた。誰にも理解され得ぬその孤独な境遇の中で彼女はずっと戦ってきたのだった。事件の解決に向けて、10年もの間ずっと。
しかし、事件は解決しなかった。
そして時効まで残り一年を切った頃、この事件に関する警察捜査の大きな不備が明らかになった。
「未解決事件の証拠品の紛失」という、信じられない警察の手落ちだった。この件についてはまた後日触れることになるが、この手落ちと、後にまた明らかになる警察の不祥事は、代里子さんの胸中に(警察は、初動捜査の時点からきちんとした捜査をしていなかったのではないか?)という深刻な疑問を生じさせることになった。
生まれた警察捜査への不信、そして刻々と迫る「タイムリミット」。
彼女は、さらなる行動を起こさざるを得なくなった。自分がもっと動かなければ解決しないのではないか、という危機感に迫られてのことだった。
彼女が起こした行動の一つに、情報収集のために立ち上げたブログがある。
ブログの投稿に、代里子さんの思いの一端が記されている
犯人へ
生きているなら
読んで欲しいです。
事故が起きた時
孝徳は生きていましたか
痛がっていませんでしたか
泣いていませんでしたか
助けを求めていませんでしたか
その時孝徳の状況を教えてもらえないでしょうか
お願いします。
どうして車を止めて救護してはくれなかったんですか
犯人が置き去りにして逃げた後
孝徳がどうやって亡くなっていったか
犯人に見せて伝えたい
逃げ切ったとしても
時効を迎えて捜査が終了したとしても
真実を聞くまでは探し続けます。
生きている限り
犯人と私には
終わりはないのです。
・・・事件解決への思いや、孝徳くんとの思い出を記していったこのブログは大きな反響を呼び、今ではこのブログを起点に、多くの情報が寄せられるようになった。
さらに、交通事故の専門家も交えて事件の「再現実験」、証拠物件の「再鑑定」も行った。そして警察捜査では浮かび上がっていなかった新事実が幾つも浮かび上がってきたー。
止まった時が再び動き出したかのように、この半年ほどで色々なことが動き出したのだ。全て彼女の覚悟の戦いが生みだした成果だった。しかしどんな成果も、彼女を本当の意味で慰めることはない。
彼女が本当に望んでいるのは「事件の真実」を知ること。
つまり、犯人逮捕なのであるから。
事件現場に立つ小関代里子さん。何度ここに立ったか、数え切れない。
無理を重ねた事による過労やストレスもあったと思う。命に危険が及ぶ病状に襲われて緊急入院に陥った事さえあった。文字通り彼女は「命を賭して」解決に向けて走り抜けてきた。代里子さんを突き動かしているのは、いや支えているのは、「真実を知りたい」というただ一つの、執念のような思いだ。彼女を見守りながら、痛切にそれを感じる。
浮かび上がる新真実 そして疑念
私がこの事件と、すなわち彼女と関わってからもう8年になる。しかし少なくとも表面上、この事件が動いたのはこの半年ほど。つまり彼女が行動を起こしてからである。そして彼女の戦いを見守る中で、ある疑問が私の中で大きく膨らんでいった。
なぜこの事件が「未解決」のまま10年も経過してしまったのか
という、至極当然の疑問がそれである。
マスコミ報道ではその理由について「証拠の乏しさ」というワードが慣用句のように使われてきた。警察発表だ。私自身も、その言葉を使っていたし、代里子さんもそう考えていた。しかし、本当にそうなのだろうか?彼女が命を賭して真実を追求していく中で、そこには「証拠の乏しさ」だけではなく「警察捜査の杜撰さ」がどうしても透けて見えてきている。
初動捜査は適正だったのか。本当は、すぐに解決できたのではないか?そんな思いを、彼女と私は抱かざるを得なくなっている。まだ詳しくはここでは書かないが、それは代里子さんが命を賭して行動し、そして浮かび上がらせた事実に基づく思いだ。
この事件が投げかけているもの
孝徳くんの命を奪ったこの事件が社会に投げかけるものは何だろうか、とこれを書き進めながら考えている。
きっと、10歳の子どもの命が突如奪われ、一人の母親の人生が破壊されたというだけにとどまる事件ではない。警察捜査の在り方、交通事故に関する「時効」制度の是非、「遺族」への社会的支援・・・多くのものがこの事件から浮かび上がってくる。
それだけではない。孝徳くんの死は、同級生たちの人生を変えた(これもまた後日書くつもりだ)。事故現場近くには新しく信号機がつき、小学校ではヘルメットの着用も義務づけられたという。
「亡くなってからも、孝徳は人のために貢献し続けているんだなって思います」
彼女はそう話す。
この記事は、事件の悲惨さ伝えることだけが目的ではない。
事件が投げかけているものを、孝徳くんが命を張って教えてくれているものを、出来る限り書き記していきたい。いや、書かなければいけないと思っている。書き始めてすぐ、1回で書ききるのはとても無理だと悟り、複数回に分ける方法を取ることにした。本業を抱える中でどこまで書き進められるか、正直不安だ。しかし命を燃やして戦う彼女の前で、私が弱音を吐くわけにはいかない。事情が許す限り書き進めていきたいと考えている。
解決に繋がるよう、祈るような思いを込めて。
〈熊谷市ひき逃げ事件〉
2009年9月30日、埼玉県熊谷市の市道で当時小学四年生だった小関孝徳くんがひき逃げされて亡くなった事件。警察は犯人の行方を捜査。事件から10年となる今年9月30日で時効を迎える。
※《追記》2019年9月にこの件はご遺族の活動の末に「時効延長」になりました。それまでの経緯は後々の記事に書かれています。
第2回は▽「『未解決』の真実を求めて② 奪われたもの」です。
お読みになった感想、事件の情報提供は下記、小関さんの連絡先までお願い致します。
(連絡先)
〇小関代里子(孝徳の母)
メール:k.takanori0930@gmail.com
ブログ:
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