これからのデザインに欠かせない「対話」とは何かを改めて考える|① そもそも対話とは?
みなさんこんにちは、MIMIGURIの小田です。
今回のnoteは、こちらのツイートでも言及していた、デザインにおいてなぜ対話が欠かせないのかについて、考えていきたいと思います。
そもそも、この20年余りで、デザイナーのあり方は大きく変わってきました。僕が大学に入学したのが2009年。当時はまだUXデザインという言葉も広がり始めたばかりだったように思います。そして気がつけば2023年、今年はAIの話題でもちきりです。AIの想像以上の進化の速度に、デザイナーという職業のあり方も改めて問い直されているように思います。
そうした中で、冒頭のツイートにもあったように、これからのデザインに「対話」は欠かせないものになるはずです。もっと言えば、もとからデザイナーに「対話」は必要不可欠なものでした。
では「対話」はなぜデザイナーにとって重要なのでしょうか?
今回のnoteでは、なぜ「対話」が重要なのかを改めて整理していきたいと思います。(長くなったので、シリーズでお届けします!)
対話ってそもそも何?
議論と対話と会話のピラミッド
毎日のニュースでも、聞かない日はないくらい、当たり前のように使われるようになった「対話」という言葉。みなさんは「対話」ってそもそも何と聞かれたら、どのように答えるでしょうか?
まず、大前提として、「対話」と「議論」は違います。しかしながら、国会などの与野党間のやり取りなどを見ていても、この辺りがごっちゃになっているように感じることは少なくありません。
では具体的にどのように違うのでしょうか?
僕はその違いについて説明する時に、よくこの図を用いて説明しています。
議論と対話に加えて、急に「会話」も入れてしまいましたが、これは中野民生先生と堀公俊先生の本にある議論と対話と会話のピラミッドの図に、僕なりに解釈を入れてまとめたものです。こちらをベースに対話とは何かを考えていきます。
議論のベースに必要な「考えの多様性」
より良い意思決定には、多様な考えがあることが重要です。考えが多様にある、ということは、つまり多様な価値観が広がっているということを意味します。
考えの幅が狭くなっていってしまっては、当然その場で意思決定される事柄は、何かしらのバイアスによって非常に偏ったものとなっていくことがわかるでしょう。裏を返せば、より楽にロジカルに意思決定をしたければ、前提にある多様な考えを排除してしまえばよいのです。
考えの多様性が無くなっていく、ということは、視野が狭まり、変化に適応しにくい状況が生まれるということも言えます。変化の激しい時代に、多様性の重要性が謳われるのはこのためなのです。
対話とは、前提にある価値観をひらきあい、豊かにするための場
こうした考えの多様性、つまり多様な価値観の広がりを支えているものこそ「対話」なのです。私たちは皆、多少似たり寄ったりするところはあれど、一人ひとりが固有の価値観を有しています。それらを互いに開示し合い、その違いや共通点を豊かに共有していくことが、良い議論に欠かせないのです。(英語では、Shared Assumptionと言ったりします)
対話は、まず「判断を留保する」ことが大切だと言われています。私の考えとあなたの考えのどちらが正しいか、判断することは一旦やめて、まずはそれを互いに開示し合い、深掘りしあいましょうという営みです。
とはいっても、これがとても難しい。どうしても最初は互いに疑心暗鬼になってしまいがちです。無理に相手の考えが正しいと受け止める必要はありませんが、それが自分の考えが正しいという主張になってしまってはいけません。
判断の留保ができたなら、そこから開示された互いの考えや価値観への理解を相互に深めていきます。ここでは、「豊かな問いかけ」が欠かせません。
問いかけについては、MIMIGURI共同代表の安斎の書籍やこちらの記事をご覧いただければと思いますが、この問いかけが中途半端なままになってしまっていると、その後の議論の土台は非常に脆いものになってしまいます。互いにわかったつもり、あるいはわかってくれるだろうという甘い認識が広がっているだけで、どこか前提のずれた議論が広がってしまい状況になるのです。
話を聞くこと、だけが対話ではありません。そもそも聞くという言葉自体、ただ相手の話は聞きましたよ、ではダメなのです。
一方で対話を求める方も、判断の留保の前提を忘れがちです。相手の考えは間違っている、なんで対話してくれないんだ、という主張は、そもそも対話の原則からして間違っているのです。
対話する関係を構築するための、会話の場
こうした対話も、いきなり成立するわけではありません。対話の下支えになっているのは、「会話」がなされる場。簡単に言えば、雑談の広がるような場です。
もう少し踏み込んで言えば、「判断を留保するしたり、問いかけあったりすることができる関係を構築する場」と言っても良いでしょうか?
人間いきなり対話することはなかなかできません。まずはそのための関係を構築する必要があるのです。
会話においてまず重要なのは、雑談という言葉にもあるように、「無目的さが許容されている」ことが重要になります。
仲良くなりましょう!という目的を持った場では、関係を構築しにくかったりしますよね?そもそも関係とは生まれていくもの。タバコを吸っているついでに、たわいもない話をしていたら、気がついたら仲良くなっていた。こうした「無目的さ」が許容されていることはとても大事です。
当然ながら、相手に関心を持つことも大事です。タバコの場でただ話しているだけでは、関係はうまれません。相手の口から出た言葉に、興味を持ってみることで、徐々に関係が構築されていきます。
コロナ禍でオンラインでのやり取りが増えた今日、こうした無目的さが許容された状況や、相手への関心を向けるコミュニケーションを自然に行うことが、とても難しくなっています。
関係ない話を積極的にする場をどれだけ作れるかは、とても大事なことであり、オンラインの場ではかなり意識的にこれをやっていかないと、会話の場の土台は脆くなってしまいます。オンラインだとうまくいかないよね、という現象の根源にはこうした状況があると考えています。
価値観の多様化する社会で、対話は欠かせない
多様な価値観がただ許容されるだけでは、最適化の罠にはまる
ここまで、議論と対話と会話の違いについて触れてきました。少し解像度は上がったでしょうか?
ではなぜ対話の重要性が増してきているのでしょうか?
インターネットやSNSの普及によって、人々がやりとりする情報の量やそのチャネルの数は莫大に増加しました。これによって、もともと比較的似たような価値観を有してきた、ハイコンテクストカルチャーと呼ばれる日本人にも、ローコンテクスト化が進んでいる状況があると考えています。
これはつまり、価値観が多様化していることも意味します。多様な価値観が許容されるようになった。これ自体はとても良いことでしょう。
しかしながら、以前こちらの記事でも触れたように、ただ価値観が多様化するだけでは、価値観の近い人たちが自分たちに最適な小さな集団を形成し、その集団間での対立が深まるという、「最適化の罠」ともいうべき状況が起きてしまいます。
こうした対立が起こること自体は仕方がないところもあるでしょう。もっと言えば、対立があるからこそ、新たな何かが創造されるわけで、本来対立なき社会はあり得ないのです。
しかしながら、ただ対立しているだけで、相手のことを否定しているだけでは、何も新しいものは生まれていきません。だからこそ、判断を留保し、豊かに問いかけ合うことが欠かせないのです。
価値観や、私たちのとっての「良さ」は変わり続けるもの
こうした多様な価値観が渦巻く社会の中で、私たちは、私たち自身が何を良いとするかを、関係性の中で構成していきます。
これは社会構成主義と言います。詳しくはこちらの記事をご覧いただければと思いますが、私たちにとっての「良さ」とは、誰かが決めた絶対的な定義があるわけではなく、常に私たちの間で構成され直されつづけているのです。
わかりやすく言えば、コロナ禍以前は、毎日時間通りにオフィスに出社することが当たり前とされていました。しかしながら、コロナ禍をあけたといっても良いであろう今日、全く以前と同じ状況にはなっていません。
このように、私たちにとって何が「良い」かは、変わり続けるのです。そしてそれは私たちの間で構成され続けます。
裏を返せば、どのように「良さ」が構成されるかという、プロセスの質は、今後の社会のあり方に大きく影響を及ぼすはずです。
ファシリテーターは、豊かな対話の場作りを目指す
私たちMIMIGURIも「ファシリテーション」という営みを大切なケイパビリティにおいていますが、ファシリテーションが重要だという主張は、かなり一般化してきたと思います。
しかしながら、書籍を手に取ってみると、会議の進め方、この場合は議論の進め方を指南するものも多くあります。ただ、ファシリテーションという営みは、議論の場を中心に据えているものではありません。(含まないという意味ではありません)
ファシリテーターが目指すのは、豊かな対話が広がる場です。それは決して仲良しこよしの場ではなく、対立の間の中で、互いの判断の留保と問いかけ合う場です。
こうした場こそが、私たちにとっての新たな「良さ」を豊かに形成していきます。対話なき議論は、豊かな「良さ」を形成していくことはないでしょう。こうした「良さ」について対話する場やプロセスの質を高めるために、ファシリテーターが求められているのだと考えています。
次回|なぜデザインに「対話」は欠かせない?
ここまで、対話とは何か、なぜ対話やファシリテーターが求められているのかを簡単に紹介してきました。
次回の記事では、ではなぜデザインに、あるいはデザイナーにとって「対話」という営みは重要なのか、紹介していきたいと思います。
ぜひこちらのnoteもそのベースになると思うので、ぜひ読んでみてください!
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