甲州早川「赤沢宿」 いにしえからの信仰の道 身延往還の講の宿
比呂池が撮影した重伝建シリーズ⑦
全国の重伝建地区は126地区(令和5年現在)で、成り立ちにより8種類に分類されています。分類のひとつ「宿場町」は数多くありますが、「講中宿」の分類は赤沢宿が全国でも唯一です。
赤沢宿は、日蓮宗総本山の身延山から、霊山の七面山を結ぶ参道(身延往還)途中の講中宿として中世から栄えました。
江戸時代初期、家康の側室お万の方が七面山を登詣したことにより女人禁制が解かれ、また、山岳信仰の「講」が盛んとなり参詣者は増えました。
明治初期には、参詣者を案内したり荷物を運ぶ人達も増え、9軒の旅籠屋が営まれました。
大正から昭和にかけて、身延線の開通と共に参詣者が急増し、赤沢宿は隆盛を極めました。
昭和30年代から、七面山登山口までの迂回ルートが整備されると、参詣客はバスで登山口に乗りつけ七面山を往復する様になり、中継地点であった赤沢宿から客足が遠のくことになりました。
比呂池は現地を訪れて、身延山・赤沢宿・七面山の位置関係や宿が衰退にいたった経緯がやっと理解できました。
そんな訳で、イメージマップ作ってみました。
イメージマップをご覧いただきながら、上記の文書を再度読んでいただくと理解できるかと思います。
旅館の外壁にビッシリと貼り付けられています。
多くの人が一斉に、履き物を脱着したり、室内に出入りできるよう、1階の外に面する部分は長い土間になっています。赤沢宿の旅館に共通する特徴です。
1993年(平成5年) 重要伝統的建造物群保存地区に選定
赤沢宿は、単に町並みを見学するだけでなく、周囲の宗教施設との関わりや、時代による変遷を理解すると、とっても興味深い重伝建地区となります。
伝建協 > 早川町赤沢
https://www.denken.gr.jp/archive/hayakawa-akazawa/index.html