写真と俳句 その三十八
ツツジ
躑躅(つつじ)は、見る人が足を止めるほど美しいということで、「躑(たちもとおる)」と「躅(ふむ)」という、「立ち止まる」「佇む」という意味の漢字があてがわれています。
上の写真は、クルメツツジですが、品種が多く、素人には判別しにくいですね。「朝霞」かな?と思いました。その他、似ている品種は、「玉の輿 」「高蒔絵」「大御代」「薄雲」です。
ツツジとサツキの違い
ヤマブキ
さて、山吹について
古くは「山振」で、細くてしなやかな枝が、風に振られて、揺れて動いている様子の名だそうです。
万葉集でも詠まれている山吹は、日本と中国が原産。はっとする色は、どこに咲いていても気付かされ、不思議なほどに、無条件で好きな花です。いつ見ても心躍る花、そんな山吹について、お話しします。
ご存知の方も多いかとは思いますが、太田道灌の伝説について。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
このお話は、庶民に好まれて、講談や落語にもなっているようです。
道灌が鷹狩に出たというこの伝説の地は、幾つもあるようですが、その一つに、都電荒川線の「面影橋」駅近くの地があります。新宿区には「山吹町」という住所もあります。
私はその辺りに住んでいたことがありますが、散歩にもいい道ですので、このエピソードなどを思いながら、神田川沿いを歩かれるのも楽しいかと思います。道灌の時代ではありませんが、江戸時代の様子を、以下の浮世絵からご覧ください。橋、神社、お寺と、現在とほぼ変わらない位置関係がわかります。
高田姿見のはし俤の橋砂利場 歌川広重(初代)
上部の地図の「山吹の里の碑」は、昔、この碑の200メートル北にある「南蔵院」の入口にあったようです。この広重の描いた浮世絵は、江戸時代の様子がよくわかります。手前の大きな橋は、俤(おもかげ)の橋で、下に流れるのが井之頭から流れている神田上水です。その奥の黄色の部分が稲田で氷川田圃、川岸から砂利が取れたので、砂利場になっています。この道は、鎌倉街道で、人の往来も多かったのでしょう。
ちょうど中央右寄りの黄色の屋根が現在の「高田氷川神社」です。昔は「山吹の里氷川宮」といわれていました。その道を挟んだ右が南蔵院です。
ほろほろと 山吹ちるか 瀧乃音 芭蕉
(前から五行目)
よしの川 岸の山吹 ふく風に そこのかげさへ うつろひにけり 紀貫之
(右頁最後)
芭蕉の句は、上記の紀貫之の歌を受けたものです。上部「笈の小文」画像のこの句の右(前から四行目)に「西河」とあります。西河は、吉野川周辺の地名で、芭蕉は、その場所の滝を訪れ、詠みました。(奈良県吉野郡川上村西河)
吉野といえば桜ですが、山吹も皆に親しまれていたようです。
山振之立儀足山清水酌尒雖行道之白鳴 高市皇子
〔紀曰、七年戊寅夏四月丁亥朔癸巳、十市皇女卒然病發薨於宮中〕
万葉集 巻二 一五八
万葉集から山吹の歌を一首。
高市皇子(たけちのみこ)は、異母妹の十市皇女(とおちのひめみこ)を想って、この歌を詠みました。
十市皇女は、天武天皇の第一皇女。母は額田王。大友皇子(弘文天皇)の正妃です。父と夫との争いで、心身ともに疲弊してしまいました。上記「天武七年四月七日に十市皇女は突然発病して宮中で没した」とありますが、自ら命を絶ったともいわれています。その死を悼んで詠まれたものです。
上部「万葉集講義 巻第二」画像の右頁二行目から
紀貫之や松尾芭蕉も、この万葉集の歌を知っていたはず。
「うつろひ」「ちる」は、この世の儚さを含んでいるように思います。
山吹の花は、黄泉の国に通ずるものとして、捉えられていたのかもしれません。
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山吹に 目を奪はれし 太古より 広在
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花水木
ハナミズキは、明治45年(1912年)(大正4年(1915年)の記載もある)に、東京市長がワシントンにサクラを贈り、その返礼として東京に贈られた樹木で、アメリカヤマボウシとも呼ばれますが、花が目立つミズキ科の樹木なので、ハナミズキと言う名前がつけられたそうです。
ワシントンでは、楽しそうにお花見をされている姿が見られます。海外の方々も、私たちと同じように、桜を愛でる、その様子を拝見すると、とても嬉しくなります。
山法師
山で見かける「山法師」は、この花によく似ていますが、日本原産で、自生しています。
ヤマボウシの名前は、中央の球形の花序を「僧侶の頭」に、総苞片を「白色の頭巾」に見立てて、「比叡山延暦寺の山法師」になぞらえたものといわれているそうです。
しかし、延暦寺の僧というと、屈強なイメージで、常緑性のあるヤマボウシではありますが、この清々しく繊細な植物に、どうしてこの名がつけられたのか、結びつきにくいですね。
もしかすると最澄の姿を思い描いたのかもしれません。最澄の肖像画「伝教大師像」は、白くみえる頭巾*を被っています。
十九歳頃に比叡山に入った最澄は、山で修行生活をおくり、一乗の教えを体解(たいげ)するまで山を降りないと誓われたそう。三年後には、「一乗止観院」、現在の「根本中堂」を創建しました。
*(正確には頭巾とは呼ばない。後のことだと思われるが、縹色に染めた「縹帽子(はなだぼうし)」は、天台宗で一定の資格のある僧侶が着用した。)
その時の願文は以下です。
最澄の願文
五つの心願
ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)とヤマボウシの違い
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#さてもうすぐゴールデンウィークですね
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