アシュラム滞在記(8) インドの結婚式 【世界旅行記055】
2012年10月24日(水) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月24日、水曜日。
今週は毎日がお祭り状態、つねに誰かと会話しているような状態で、せっかくのアシュラム生活も、ただのバケーションと化してしまった。毎日が日曜日みたいに心がふらふら浮ついている。修行や鍛錬といった日々とはまるでほど遠い。瞑想も集中できず、なかなか気持ちが落ち着かない。あの、一度感じた心地よさをもう一度体験したい!という思いが強すぎるようで、そこにばかり意識が向いてしまう。コンビニを辞めてやってきた男の子に、「瞑想の時間だけ急に集中しようとしてもダメなんですよ」と諭されてしまった。
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今日はダサラという祭りの最終日で、リシケシュじゅうが浮かれていた。夕方のヨガクラスの最中にも、花火の打ち上がる音がドンパチ聴こえてきた。クラスが終わると、先生が「これから祭りを見に行くので一緒に行きたい人はどうぞ」と言うので、祭り好きのわたしは即決、瞑想クラスを欠席して町へ繰り出した。
町へ向かう道路は大渋滞。途中でリクシャーを降り、歩いてガンガー沿いのメイン会場へと向かった。ガンガーの両岸は押し寄せる人の波で大賑わい。この8日間、断食していた人も多いようで、町にはたくさんの屋台が繰り出し、大人も子どもも開放感に満ちた顔ではしゃぎ回っていた。
しばらくすると花火が終わり、祭りのハイライトになった。ハイライトはなにかというと、ガンガー沿いに設置された数十メートルもある大きな木の人形3体(神様ではなくて賢人らしい)に、順番に火をつけ、倒れて砕け散るまで爆竹で勢いよく燃やすというもの。巨大な人形がバチバチと轟音を放ちながらもろく崩れ去るのを見るや否や、さっさと観衆は引き上げ態勢に入ってしまった。そのあまりにあっさりした最後をあっけらかんと見つめながら、はたしてこれをわざわざ見に来る必要があったのだろうか、と若干の疑問が湧いてきた。
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もはやアシュラムの夕食には間に合わなくなってしまった。するとヨガの先生が、近くでやっている結婚式へとわたしたちを連れて行ってくれた。インドの結婚式は何日もパーティーが続き、直接の親戚・友人でなくても気軽に入れると聞いたことはあったが、実際に入るのははじめてである。
新郎はヨガの先生の友人の友人だった。だだっ広い会場に入ると、まだ新郎新婦は到着していなかったが、はやくも料理に大勢の人々が群がっていた。バイキング形式で食べ放題。わたしたちも列に並んで、タダ飯にあずかった。会場にはすでに100人、いや200人はいるだろうか。いったいこのなかの何人が、わたしたちと同じように食事目当てで参加していることだろう。それを考えるとちょっと笑えた。
やっとありついた食事に夢中になっていたら、いつのまにか新郎新婦が到着していた。拍手も歓声も上がらないから、全然気がつかなかった。
先生の友人が気を利かせてくれて、正式なゲストでもないのにわたしたちは上座にあがり、新郎新婦と一緒に写真を撮らせてもらった。プロカメラマンに照明まで当ててもらいながら。外国人など皆無に等しいので、わたしたちは多くのゲストの視線を浴び続けねばならなかった。それなのに、正式にパーティーが幕開けする前に、わたしたちは時間だからとそそくさと引き上げてきてしまった。まるで食い逃げのようなあり様で、なんだか申し訳ない気分になった。
新郎新婦は不思議なことに全然笑わなかった。とくに新婦はニコリともしない。2人とも妙によそよそしいし、嬉しそうな感じがまったく伝わってこない。見つめ合うこともなければ、手を握ろうともしない。新郎は上座で電話なんかしている始末。
インドでは、親が結婚相手を決めることが多いという。カーストの縛りもいまだに強いらしい。もしかしたらこの2人は、ほとんど初対面なのではないだろうか。そんな考えがふと頭をよぎった。もしそうだとしたら、2人はいまどんな気持ちでここに座っているのだろう。結婚式の瞬間だけ切り取ったら、日本のカップルのほうがはるかに幸せそうに見える。が、はたして長い目で見たらどうなのだろう。なにもかも自由な状態より、制限のあるなかで最善を尽くすほうが幸せな場合だって、もしかしたらあるかもしれない。日本人のわたしにとっては、とても不思議なインドの結婚式だった。
インドでは今日は特別な日に当たるそうで、今日は結婚式ラッシュだったらしい。帰り道にも2組の結婚式に遭遇した。そういえば、わたしたち夫婦が結婚式を挙げたのも、2年前のちょうど今日の日だった。
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