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マカオで由緒ある安宿に泊まる 【世界旅行記014】

2012年7月29日(日) 中国 広州 → マカオ(バス)

広州から香港に入ろうと思ったが、どうせマカオも行くなら周遊しようと思い、広州、マカオ、香港というルートをたどることにした。広州からバスに乗り、珠海経由で国境のある洪北口岸へ。歩いて国境を越えた。

中国とマカオの国境がある洪北口岸。出入国検査場は常に混雑している。

調べたところによると、ターミナルを出れば、高級ホテルへ行く無料のバスがたくさん停まっているので、どれかに乗れば市街地へ出られると書いてあった。それを信じて、適当なバスに乗った(宿泊客を装って)。すると、あれよあれよという間にメインエリアをかけぬけ橋を渡り、タイパ島というところまで行ってしまった。マカオの全体像を把握していなかったため、どのホテルもメインエリアにあると思い込んでいた。そのホテルからも多くの無料バスが出ているので、市街地へ近づくバスを探したが、どのバスがそれなのかわからない(地名を理解できない)。おまけに、どのバスも大行列。せっかく高級ホテルに泊まっても、この大行列ではかなわないだろう(タクシーも大行列なのだ)。結局、到着時とは異なるフェリーターミナルまでわざわざ行き、そこからまた別のホテル行きバスに乗って、ようやく市街地にたどり着くことができた。

そこからの宿探し。アテをつけておいた福隆新街という安宿が集まる通りまで出るのに、また一苦労。漢字だけでなく、ポルトガル語でも通りの名前を覚えておかないといけなかった。「福隆新街」は、ポルトガル語で「RUA DA FELICIDADE」と表記される。

今晩は、あの孫文も泊まったという由緒ある安宿「新華大旅店」に宿泊。1920年に建てられた老舗の宿で、欧米の旅行者にも人気らしい。窓もなければ、エアコンもテレビもなし。おまけに、ベニヤ板のような壁は天井まで届いていない(そのおかげで風通しはよくなっている)。華やかなマカオでも、裏道へ入れば庶民的な街が残っている。

チャン・ツィイー主演「2046」でも使われたという新華大旅店。
通り側の部屋を押さえられれば、バルコニーにも出られる。

2024年7月29日(月)のつぶやき
マカオで泊まった新華大旅店は、いまもあるのだろうか。アジアの安旅では、隣室と天井でつながっている部屋に当たることが多かった。壁が薄くて声が漏れるというレベルならまだしも(それでもイヤだが)、そもそも壁が途中までしかないのだから声は丸聞こえで、「個室」という概念が揺らぐ。それでも同室に大勢で寝泊まりするドミトリーに比べたらはるかに贅沢で、「声は聞こえても見られてはいない」という状態が、いかにプライベートを保てるかを知った。

この週末、録画していたパリ五輪の開会式を見た。弊社の顧問を務めるESG/SDGsコンサルタントの笹谷秀光さんに、「クリエイティブな視点から、ぜひ見るべき」とアドバイスをいただいた。

パリは個性を引き出すのが世界でもトップクラスの都市だ。本当の意味で「エリート」が生きていて、選ばれたら「あとはちゃんとやれよ」と任せる文化がある。クリエイターの起用や組織力の発揮がとても上手だから、企画能力はもちろん、運営面でも勉強になると笹谷さんは教えてくださった。

笹谷さんが東大卒業後、農林省からパリに留学していたのは、29歳の頃。ちょうどわたしが旅をしていた頃だ。国家のエリートと単なる放浪人では雲泥の差だが、自分の目で世界を見る視点は、これからも大切にしたい。

パリ五輪の開会式では、大会組織委員会のエスタンゲ会長が「フランスは愛の国だ!」と熱弁をふるっていた。「史上初のスタジアム外開催」というコンセプトは圧倒的にわかりやすいし、洗練されたクリエイティブが目を引き、いかにも都市と文化の成熟を感じさせるセレモニーだった。個性的なパフォーマンスの数々からは、「他人と違っても構わない、自分たちは自分たち」という自信が感じられた。

世界に向けて胸を張って「わたしたちは愛の国」と断言できるフランス。さて、日本は何の国だろうか?

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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