チベット記(4) シガツェの朝、光射すタシルンポ 【世界旅行記034】
2012年9月6日(木) チベット ラサ → シガツェ(車)
チベット第二の都市、シガツェまでやってきた。ラサから西へ約230キロ、一見舗装されているが実は凹凸だらけの道を車で駆け抜け、ほぼ1日かけてたどり着いた。途中、ギャンツェに立ち寄ったが、高山病による頭痛がひどく、あまり記憶に残っていない。
ラサと同じように、シガツェの街は、中国人エリアとチベット人エリアが明確に分かれている。ラサよりむしろ、両者の差は深いように感じられた。チベット人エリアは、とても第二の都市とは思えない廃退感が漂っている。わたしたちは、ガイドのゲルさん馴染みのホテルに宿泊した。もちろんチベット人エリアである。
翌朝、治まらない頭痛を我慢しながら、タシルンポ寺へ足を運んだ。ダライ・ラマに次ぐチベット仏教のナンバー2、パンチェン・ラマの居所である。広大な敷地に、歴代パンチェン・ラマの霊塔や多くの僧殿が立ち並んでいる。寺院自体が、まるで一つの町のようだ。現在でも1000人近くの僧侶が生活しており、チベットでもっとも活発な寺院と言われているという。
朝の光が、眩しく建物を照らす。白壁にエンジの僧衣が映える。祈りにきた多くの信者が往来する。寺院は朝がもっとも美しいということに気づかされる。
圧巻は、西端の仏殿に安置された金銅仏。高さ26メートルの金銅仏は、世界最大を誇るという。なかへ入ると、その神々しさに圧倒される。窓の隙間から射しこむ陽の光が、仏の顔を照らす。横で年老いた僧侶が、穏やかにお経を唱え続けている。信心深い人々が、狭いスペースで五体投地をはじめる。気がつくと、横で妻が涙を流していた。
パンチェン・ラマも、ダライ・ラマと同じように生き仏であり、生まれ変わるとされている。現在のパンチェン・ラマは11世だが、実は11世は2人存在する。ひとりはダライ・ラマが認定した11世、もうひとりは中国側があとから勝手に認定した11世。前者は幼い頃に中国側に拉致された。以後、消息がわからない。
タシルンポ寺に掲げられている11世の写真は、すべて中国側が用意した少年のものである。街なかへ出ると、どの店にも歴代パンチェン・ラマの写真が掲げられている。一番多く見かけたのは、中国側が用意した11世の写真ではなく、人々から親しまれたという10世のふくよかな写真だった。
現在のチベットでは、ダライ・ラマ14世の写真も、ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世の写真も、掲げることが禁じられている。パンチェン・ラマの街・シガツェで、チベットに住む人々の声なき声を聞いたような気がした。
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