アシュラム滞在記(7) 下界へ 【世界旅行記054】
2012年10月21日(日) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月21日、日曜日。
日曜日がやってきた。ヨガも瞑想も休みなので、ひさしぶりにアシュラムをでて、俗の渦巻く下界へ買い出しにでかけた。トイレットペーパーやマスクなど生活に必要なものを買い揃え、念願のストールも購入。これで格好だけは先生たちの仲間入りである。ついでに新たにクルターもオーダー。2着で880ルピー(約1,300円、仕立て代込み)と格安。この値段で自分の体にフィットした洋服が手に入るのだから、インドで洋服を買うときはオーダーメイドがいい。しかも一晩で作ってくれる。明日の仕上がりが楽しみだ。
それからもうひとつ、町の写真館へ行って、夫婦で記念写真を撮ってきた。わたしたちは毎年、10月の結婚記念日(あたり)に写真を撮ることにしている。といっても今年で2回目だが。昨年は新宿の伊勢丹写真館で立派に撮ってもらったが、今年はインドの山奥で撮ることになった。せっかくならインドらしく!ということで、妻はサリー、わたしはクルターにパジャーマーという格好で撮影。ネタとしてはおもしろいだろう。こちらも明日の現像が楽しみだ。
そろそろデリーに戻ってから先のことも考えなければいけないので、旅行代理店へ行って鉄道切符も手配。ジャイプル、ウダイプルを経由してムンバイへ向かうことに決めた。
----
アシュラムにこもって1週間が経ち、先生やスタッフの人たちとも少しずつ仲よくなってきて、それぞれの「顔」が見えるようになってきた。
スタッフのひとりが、会うたび用もなく「ヒロ!」と声をかけてくれる。食事の前後やチャイの時間に、先生たちが「これは日本語でなんて言うの?」などと話しかけてきてくれる。そういうちょっとした会話があるだけで、無機質で単調な日常にぬくもりが加わり、そのぬくもりが積みかさなって日々の生活がぐっと豊かになる。
わたしはやっぱり、食よりモノよりなにより、人に触れて生きていたい。シンプルな生活のなかで、そういうことをつくづく感じている。
----
この週末に、一緒にすごした仲間がひとりまたひとりと去ってしまった。自身の誕生日にアップルパイ(それもベジタリアンのことを考えてちゃんと卵抜き!)を振る舞ってくれたインド人のターニャも、もう40年以上このアシュラムに通っているというスイス人のジョージも、おのおのの期間を終えて帰ってしまった。ほんの1週間ともに過ごしただけ、それも食事のときに一言二言しゃべる程度だったのに、もうここに彼らがいないと思うと妙にさみしい気分になる。
去る人がいる一方で、毎日のように新しい人もやってくる。
今日からアシュラムに滞在しはじめたオランダ人のロビンと知り合い、一緒に渡し舟でガンガーの対岸へ行き、夕方のアルティ(毎日行われるお祈り)を見た。いつもちょうどヨガをやっている時間に、遠くガンガーから聴こえてくる音楽とお経の声。それを多くの外国人観光客にまじって、目の前で聴いてきた。
わたしも彼らと同じ観光客だけれど、インド人と同じ格好、それも修行僧のような格好をして出歩いている。妻からは、インド人に紛れてわたしがどこにいるのか見分けがつかないと言われた。自分がこの小さな町の一員として同化したような心地がして、なんとも快感だった。もちろんそんなふうに感じているのは自分ひとりだけなのだが……。
それにしても、ロビンのよくしゃべることしゃべること。最初はおとなしい物静かな青年だと思ったのに、一度打ち解けたら堰を切ったように話が止まらなくなってしまった。ひさしぶりの下界というだけでも気が張るのに、しゃべり続けた1日だったので、宿に戻るとひどい疲労感だった。
振りかえってみると、今日はいろんな人と話しはしたけれど、自分自身と向き合う時間がまったく取れなくて、なんだか自分を失ったような1日だった。いろいろやったけれども、無為にすごしてしまったような、やるべきことをやらなかったような、そんな後味の悪さが残った。
そういえば、これまでの日常はこんなふうにして、慌ただしく過ぎ去っていた。
いま感じるこの後味の悪さは、この1週間、自分と向き合う時間をたっぷり取ってきたことの証でもある。この感覚を大事にして、また明日から新たな1週間を送りたいと思う。瞑想とヨガとともに、そして口数を減らして。
← 前の旅日記:アシュラム滞在記(6) ライブラリにて
→ 次の旅日記:アシュラム滞在記(8) インドの結婚式